第64話 魔物をたずねて三千里

 ――共和国政府本庁地下、階層式囚人収容施設。



 かつて政府本庁が魔王城として居を構えていた頃は“タルタロス”と呼ばれていた、地下牢獄。

 地中を筒状にくり抜き、その内側壁面にいくつもの檻房を備えたような構造をしている。下を覗くと“底”は見えないほど深く、頭上からはわずかな陽光が入るのみ。

 世界安全保安局に連行された賞金首逹もここに収容されている。


 その絶対脱出不可能な牢獄の地下二十四階に降り立つ、青い髪を左右で結んだ少女――アンナ・ヴァレイ・ペンゼスト。

 彼女はとある檻房の前で足を止めると、付き添っていた看守に一瞥する。看守は小さく頷き、その場を離れた。


 アンナが立ち止まった檻房の中には、違法魔術精製の罪で投獄された男――ブリス・ジャンヴェイル・ペンゼストの姿があった。


「……アン」


「お兄様……お久しぶりです」


 格子を挟んで、兄と妹が対面する。

 二人の間の物理的な距離はほとんど無いに等しいが、檻の中と外では、心的距離は遙か遠く遠く離れていた。


「なかなか会いに来れなくてすみませんでした。あれから色々と忙しくて……」


「わかっている。……あれからもう五年も経つなんて、月日が経つのは本当に早いな……」


「まだ一週間しか経っていませんよ」


「えっ、ほんと? お前がいないと一日がいつ始まるのかわからなくて」


 兄が冗談で言ったのか素で言ったのかわからなかったが、アンナはこの一週間での“外”での出来事を話した。


「お兄様……私、評議員選挙に当選しました。皆のおかげで……ショーコさん逹も応援してくれて、この一週間ずっとがむしゃらにやってきて、なんとか認めてもらえたんです」


「話には聞いてる。おめでとう」


「評議員の権力でお兄様を釈放できるかやってみたんですが、まだしばらくは無理だそうです」


「さっそく職権乱用しようとするんじゃない」


「ここでの暮らしはどうですか? なにか困ったことはありますか?」


「いや、存外楽しくやってる。日中は地上で身体を動かすこともできるし、図書館や談話室もあるんだ。囚人同士の交流も盛んで、先日なぞなぞ同好会も作った」


「さすがお兄様。どんなところでもしたたかにやってける人間力」


「アン……お前が評議員になったと聞いて、最初は正直複雑だった。大事な妹が、忌み嫌っていた政治家になるなんて……だが、“持たざる者”の痛みと悲しみを知るお前なら、きっとこの国を良くしてくれると信じてる。多くの悲しみを知る者なら、人にやさしくできるはずだ」


「お兄様……」


「がんばれアン。辛い現実に悲しむ者を一人でも多く救ってくれ。お前なら出来る。いや、すべきだ」


「はい。人にやさしくあるよう努力します。お兄様がそうだったように」


 ブリスは口角を上げた。もう妹は、世間にビクついて隠れていた頃とは違う。顔を上げ、前を向いて歩き出している。それは彼にとって、嬉しくもあり、どこか寂しくもあった。


「……世間話は十分だ。ここに来たのは、何か用があって来たのだろう」


 アンナは表情を引き締めた。彼女は、兄にあること・・・・を尋ねるため、この地下牢獄へと赴いたのだ。


「……お兄様達が製造していた違法魔術“シャブラグ”……あれは、誰が開発した魔法なのか知っていますか?」


「……」



 ――……


 ショーコ達が共和国首都“オズ”を発って数時間。彼女達が駆る魔動二輪車は〈西ヴォーガ大陸〉の地を真っ直ぐに進んでいた。


 神聖ヴァハデミア共和国は、〈西ヴォーガ大陸〉に点在した二十六の国々が合併して組織された巨大連合国家。つまりこの大陸の各都市は全て共和国ということになる。

 が、共和国の領土内とは言え、首都を離れれば都市間を結ぶ舗装された道が一本延びている以外は高原や荒れ地のまま放置されている。昔のRPGで言うワールドマップみたいな感じだ。

 時には平原。時には岩地。時には森林地帯を臨みながら、四台の魔動二輪車は南へ走る。昔のハリウッド映画でそーゆーのがあった気がするが、ショーコはその映画を見たことなかったので口にはしなかった。


 クリスの背に掴まりながら周囲を見渡すショーコ。彼女の瞳に異世界の情景が映る。そこに生きる生命いのちの数々は、彼女の好奇心を大いに刺激していた。


「わっ! 見て! ちっちゃいおっさんが木こりやってるよ! あれって妖精のノームだよね! あ! 向こうでケンタウロスが弓の練習してる! めっちゃマッチョだけど腹筋どうやって鍛えたんだろうねあの下半身で!」


「イチイチ騒がしいやっちゃなー。目につくもの全部にハシャいで、まるで子供だな」


 無理もない。ショーコの世界では空想上の存在が、ここではわがものがおで存在してるんだもん。そりゃテンションもあがるってもんさよ。


「あ! ペガサスが渡り鳥みたいに隊列組んで飛んでる! なんか不気味!」


「ふっ……今の内に楽しんでおけ。いつかショーコが大人になったら、この景色も記憶の中から薄れてゆくだろう。“今”を楽しんで生きろ」


「さすがマイさん。大人っぽいこと言いますね」


「まっ、ショーコはガキだからな。大人ならこんなことでハシャがな――」


「やっべェー↑! 見てアレ! ユニコーンのオスがメス追っかけ回してんよ☆ ブッハハハハ! 顔面に後ろ蹴り入れられてやんの~♪ ふざけんなセクハラ野郎バーカバーカ!」


「ヨーカ、汚い言葉遣いはもうちょっと抑えようね」


 ショーコ同様ハシャぐヨーカと、それを窘めるカイルを横目で見て、クリスは首を振りながら溜め息をついた。



「ねえ、ああいう普通とちょっと違う動物って魔物とはまた別なの? 私からしたら区別つかないんだけど」


 ショーコはフェイに――いつもの如く――質問を投げかけた。ちなみに魔動二輪車のエンジン音は静かなので走行しながらでも会話が出来る。


「そうですね……今、ショーコさんが目にしている動物達は、私達も含めて空気を身体に取り込んで生命活動を行っています。ですが魔族は違う。魔族とは、“マナ”を取り込んで生きるモノを言うのです」


 “マナ”――この世界の草木や花、水、大地といった自然が生み出す、目に見えないエネルギー。魔法の源であり、無くてはならない力。

 それを糧とする生き物が“魔物”であり、“魔族”とはその総称。酸素を吸って心臓を動かす動物とは構造からして全く異なる生き物なのだ。

 つまるところ、たとえ普通の動物と姿形が似ていても、空気を取り込んでいるか“マナ”を取り込んでいるかで区別される。両者は生物として根底から全く別の存在というわけだ。


 フェイに続いてカイルが口を開く。


「魔族は最低最悪の害獣です。この世界に生きる全ての生物にとっての脅威であり、意思の疎通も取れないバケモノ……しかし、“マナ”を取り込んで生きるが故にその力は他の生物よりも遙かに強いのです。魔法の原料を糧にしているのですから」


「なるほど。“マナ”を食べて生きるってことは族じゃなくて族ってことだね」


「え?」


「ん?」


 ちょっとした小ボケをかましたつもりだったが、完っ全にスベってしまったショーコは顔を真っ赤に染め上げた。


「ああ、なるほど。族のと“ナ”のをかけたジョークなのですね。さすが転移者殿。理解するのに時間を有してしまい申し訳ありません」


 カイルはショーコの冗談の意図を瞬時に汲み取れなかったことを詫びた。

 だがショーコは、ボケをコンセツテーネーに解説されたことでさらに真っ赤っかに紅潮した。


「カイルさん、それはものすごく残酷な仕打ちだよ……」


「コイツは昔っからマジメすぎてつまんねーやつなんだよ。道端で小銭を拾えば落とし主が現れるまでその場に一ヶ月野宿してでも待つし、猫のケンカを見かければ仲裁に入る。朝起きて最初にやることが次の日に着る服選びなんだぞ。常軌を逸してるっての」


「いやあ、クリス姉さんに褒められると照れてしまうな」


「な? イカれてんだろ?」


 カイル・ウォーシャンは正義の味方である。十三騎士団の一員として、多くの悪人逮捕に貢献し、多くの魔物の残党を狩り取ってきた。

 それもこれも、全ては“みんなのため”。彼は自分以外の全ての人々の為に、出来うること全てを実践する、底なしの善人なのだ。

 趣味はボランティアで、休日は朝から街に繰り出て清掃作業に従事し、午後は収監されている囚人一人一人に面会し、更正を促して一日を終える。

 彼は決して人の悪口を言わない。そして彼の悪口を言う者もいない。誰からも尊敬され、誰にでも敬意を表する品格溢れる騎士だ。


「ひえ~、イケメンで文武両道で性格もいいなんて、アニメのキャラクターみたいな人なんだね」


「アニメ? なんらそれ?」


 ヨーカが問う。ショーコは逆に驚いた。


「アニメ知らないの? もしかしてこの世界には存在しない? じゃあ好きな漫画がアニメ化した時の興奮と不安も味わったことないのか」


「マンガってなんですか?」


 フェイが問う。ショーコは更に驚いた。


「マンガも無いの!? ……まさか映画も無いだなんて言うんじゃあ……!」


「……?」

「?」

 フェイとヨーカが顔を見合わせ、肩をすくめた。


「ぬあああぁぁぁ~~~っ! なにをやってんだ“最初の転移者”は! 銃とかビジネススーツとかくだらないもんばっか輸入しておいてっ!」


 ショーコが憤り、声を上げる様に一同が――マイでさえも――ちょっとビクっとした。


「出会ってそれなりになりますが、ここまで怒ったショーコさんは初めてです」


「よー、そんなにイイモンなのか? そのアニメってやつは」


「もっちろんだよっ! 私達の世界では、大切なことは全部アニメから学んだんだ。イカサマのやり方、松ぼっくりを使った着火方法、差別や偏見やイジメは絶対ダメ、オークはたいがい変態、百万のパワーで一千万のパワーに打ち勝つ方法……」


 クリスの問いにいつになくツラツラとまくしたてるショーコ。一同はその意味をよく理解できていなかったが、彼女が言う“アニメ”や“漫画”や“映画”が、彼女にとって非常に大きな価値があるのだろうと察せられた。


「出会ってそれなりになりますが、ここまで楽しそうに語るショーコさんっは初めてです」


「言ってる意味はあんまわかんねーけど、そこまで言うってことはスゲーいいもんなんだろうな」


「そりゃそうだよ! 私が“最初の転移者”だったら、まっさきにこの世界に伝える重要文化だね。アニメが無い世の中なんて、昇り専用のエスカレーターだよ」


「その意味するところは?」


「“くだらない”……なーんつって!」


「……」


「……あ、もしかしてココ笑うところですか? あはは、さすがショーコさん」


「まじワケワカメ☆」


「察するにエスカレーターとやらは上方向に“昇る”ものであり、下方向へ“くだらない”とかけたジョークなのでしょう。理解が遅れて申し訳ありません、さすが転移者殿。頭の回転が風車の如く速いですね。任務を終えて帰還したら市民の皆さんにも伝えようと思います。転移者殿曰く、“アニメの無い世の中はエスカレーターだ。ちなみにエスカレーターとは転移者殿の世界に存在する、くだらないもののことである”と。きっと皆、転移者殿の天才っぷりに舌を巻くこと確実です」


「早口で長々とフォローされると余計に辛くなるスよ……」


 カイルの善意に心を引き裂かれるショーコ。

 だが、魔物退治という大一番に向かう中でジョークを言えるとは、ショーコも随分肝が据わっていると言える。


「ドラゴン退治なんてヤダってゴネてた割にはリラックスしてるじゃねーか」


 クリスに言われて初めて、ショーコ自身も恐怖心が意外に無いことに気付いた。


「そうかな……? まあでも、今までも色んなおっかない相手と戦ってきたけど、いつもフェイやクリスやマイさんが守ってくれたから、今度もきっと大丈夫だって安心してるのかもね」


 ショーコはスーパーパワーやチートスキルよりも信頼出来る武器がある。何があっても必ず助けてくれる、強い仲間達だ。

 だが、その仲間の中で最大の実力者であるはずのマイが釘を刺す。


「ショーコ……今回ばかりはそうとは言えんぞ」


「えっ」


「今現在も生存している魔物ということは、十五年前の大戦を生き延び、残党狩りも凌いだということだ。よほどずる賢いか、強者かのどちらかということになる。もしくは運がいいだけか」


「ちょっ、怖いこと言わないでよマイさん」


 マイが口角を上げた。だがその表情は、いつも彼女がショーコに見せる笑顔とは違って見えた。


 なんとなく、中身が無いというか、どこか空っぽな気がした。

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