SIRIUS

貴葵 音々子

Track 1. 幕が上がる

 二月の乾いた冬空の下にビル群が広がる。

 歩行者信号の色が変わるのを待ち呆けていた一人の青年が、街頭のディスプレイ広告から流れる聞き慣れた歌声に気づき、思わず頭上を見上げた。


ORIONオリオンから待望の新ユニットがついにデビュー!』


 CMのナレーションが、画面の向こう側にいる消費者の購買意欲を煽る。

 映像では十代から二十代の男性七人が歌とダンスのパフォーマンスを繰り広げていた。


 新宿のど真ん中、十五秒のCMで一日十万円。リリースの二週間前から打っているとすれば、広告費はそれだけで百万円越え。

 そう言えばここに来るまでの駅中にも、大々的に壁面広告や街灯タペストリーが展開されていた。動画広告の方が見る機会の多い時代だが、やはり現物の費用対効果は計り知れない。端的に「こんなに金をかけられるくらいこの人たちは注目を集めている」という印象を持たせることが大切なのだ。人気は生まれるものではなく作るもの。それもマーケティングの一つだ。


 歩行者信号が青に変わる。だが青年はディスプレイ広告から目が離せなかった。

 映像の中で、一人の男が曲間に綺麗な宙返りを披露する。

 見慣れた横顔、耳馴染みのあるファルセット。だが洗練された衣装と楽曲で光り輝くその人は、全く知らない人物にも思えた。



 ――つい三か月前まで共に活動していた同期が、明日デビューする。



 お互いデビュー前の入所歴最長を更新し続けてきた戦友とも呼べる男。

 そんな彼から喜ばしい話を直接聞かされたのは、事務所から各メディアに向けて公式の告知があった三日後だった。


 単刀直入に「おめでとう」と言うと、隠しきれない喜びが滲んだ申し訳なさそうな顔で「お前に言いづらくて。ずっと隠しててごめん」と謝られた。


 本人は隠しているつもりだったろうが、火のないところに煙は立たない。アイドルの原石が数多に転がる事務所内では、デビューの兆しは肌で感じ取れる。ずっとペアで活動していたのに、最近は彼だけ一人仕事が増えたなと思っていた矢先。「社長の部屋に先輩たちが呼ばれたらしい」と、後輩タレントの口から語られた情報は、瞬く間に広がった。


 先に輝かしい舞台へ招かれた彼が素直に「ありがとう」と返してくれなかったのは、一人置いて行かれる最後の同期を気の毒に思ったからではないだろうか。

 そんな風に考えてしまって妙にぎくしゃくした二人は、それ以来まともに顔を合わせていない。そもそもあっちがプロモーションの取材やら撮影やらで忙しすぎる。


 街頭広告で久々に顔を見た戦友は、原石が磨かれて宝石に変わったようにキラキラしていた。『キラキラ』なんて陳腐な表現だが、それ以外に相応しい言葉が見当たらない。

 海外で活動する超有名作曲家から提供されたデビュー曲は地上波ゴールデンタイムのドラマ主題歌で、メンバーの一人が主演を飾るらしい。さらに両A面のもう一曲は大手飲料水メーカーとのCMタイアップときた。カップリング曲でもMV撮影をしたと聞く。

 一生に一度のデビューには最高におあつらええ向きな仕事だ。とても『キラキラ』している。


 一方で街頭広告を見上げる青年は、今日も今日とて実家とレッスン場を電車で往復し、休憩室で日課である公式ブログの原稿三百文字程度をまとめるといういつもの日常を生きている。明日は先輩の主演舞台の通し稽古だ。見せ場は幕間の口上だけ。去年まで担当していた台詞のある役は、成長著しい後輩へ引き継がれた。あのキラキラと自分を比べることすら烏滸おこがましい。


 人が行き交う道のど真ん中でぽつんと立ち呆ける青年を、周囲の歩行者は邪魔そうに避けて歩く。たまに肩をぶつけられたりしたが、金縛りにあったようにその場から動けずにいた。


 羨ましいとか、妬ましいとか、そういうたぐいの感情ではない。ただ空虚だった。


 入所十一年目、長くなるだけで中身の伴わないの芸歴、来春に控える大学の卒業、就活に勤しむ同級生、「あなたの好きにしなさい」と言ってくれる両親。


 与えられた環境で自分がどうすべきなのか、ずっと答えを見い出せずにいる。




類人るいとさん」




 すると、立ちすくむ青年の手を誰かが取った。

 急に戻ってきた意識が目の前の人物を認識するまで数秒の誤差が生じる。


 その人は、天使のようだった。

 天使を実際に見たことはないが、美しい天使を描きなさいと言われた人のほとんどがこういう造形で描きそうだなと思うくらい優れた容姿をしている。


 青年よりも年下だが十センチも高い位置にあるしゅっとした顎。

 カラコンじゃない天然物のマリンブルーの瞳。

 目鼻口のどれかが数ミリズレていただけで平凡な顔になっていたかもしれない奇跡の顔面比率。


 名のある彫刻家の芸術作品とも遜色ないその人物は、ヴィオラの音色を彷彿させる耳障りの良い声で青年の名を呼ぶ。




「もう、類人さんってば。信号変わっちゃうよ?」




 そうだ、今から二人で一緒にレッスン場に向かうのだった。

 握った手を引いて歩き出した天使につれられて、四ノ宮類人しのみやるいとは歩き出す。

 これじゃあどちらが飼い主かわからないなと心の中でぼやきながら、類人はリードを握るような気持ちで、繋がれた手に力を込た。




 四ノ宮類人は時価3000億円(仮)の犬を飼っている。




 アメリカと日本のミックス、十七歳。身長190センチ、体重65キロ、毛並みは天然プラチナ。


 天真爛漫で大らかな性格だがご主人類人第一主義の超高級忠犬。顔面力戦闘力もかなり高い。


 食費は自分で稼いで来るし散歩も一人で勝手に行けるが、高級料亭よりも類人と並んで食べる立ち食い蕎麦が好きだ。リードに繋がれていたとしても一緒に歩く散歩の方が嬉しくて、見えない大きな尻尾がぶんぶん揺れる。


 好きな食べ物は肉、特技はダンス、嫌いなものはセクハラおやじと嫌味なプロデューサー、夢はデビューした類人のファンクラブ会員第1号になること。


 この時価3000億円(仮)の犬は、ルーナ・・ハミルと言う。愛称はルナール。

 日本の芸能事務所ORIONオリオンで夢に踊る、類人と同じアイドルの卵だ。

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