大変お言葉ではありますが……もう私、貴女の部下ではありませんので。
甘夏
第1話
「あ、はい。さようでございますか……ええ、はい。あ、お客様、お客様……お声が、少し遠いようでございます。お客様。大変申し訳ございませんが、こちらのお声も届いていないようでございますので、一度置かせていただきますね。再度ご連絡いただければ別の者よりご対応させていただきます。失礼します」
言葉は丁寧だが、最後のほうは早口にまくし立てるようだった。
隣で電話対応をしていたのは、私の3年先輩にあたる
先輩なので、普段は呼び捨てになんてできはしないし。
逢沢先輩と敬称をつけてはいる。敬う気持ちなんてとうになくなっているんだけど。
回線の不調を装った切電は、おそらく彼女の演技だ。
しかし、それを指摘する者もいない。
クレーム客や、少しややこしい案件にあたると彼女はいつもこう。
そして、そのしわ寄せは、私たち……別のオペレーターにくる。
ほらね。
耳にかけたヘッドセットからコール音が聞こえてくる。
タイミングを考えても、おそらく先ほどのお客様だ。
着信と同時に、連動したパソコン画面に顧客名、過去の通話ログが表示される。
前回の対応者名の欄にはもちろん、逢沢理絵の名前。
私はすこし恨めしい思いで彼女のほうを見るが、ろくに気にした様子もなく。さほど綺麗な形もしていない爪先のネイルを気にしていた。
「はい、お電話ありがとうございます。Vaios PC カスタマー窓口、上嶋でございます」
「さっきねー! 逢沢さんと話してたら急に電話が切れたのよ! さっきの逢沢さんに代わってもらえるかしら?」
「大変申し訳ございません。私ども担当制ではございませんので、もしよろしければ私上嶋でご対応を……」
「あんた、逢沢さんよりも若いでしょ? 若い子は信用できないのよね! 逢沢さんはいい人よー? 物腰も柔らかで、きっとあなたなんかとは違って、仕事ができるのね! あなた喋り方からしてなってないわよ」
開口一番のクレーム口調。
やけに逢沢先輩のことを褒めるけど。その逢沢先輩はあなたの電話に嫌気がさしてわざとに電話を切ったのよ。
そんなこと、口が裂けても言えないけれど。
私は、派遣会社に紹介されたこの地元にあるコールセンター、
立場上、もっとも弱い立場のオペレーターということになる。
そんな私とくらべて、逢沢先輩はTra-fixsの正社員で、同じコール対応をしているのだが、私を含む他の派遣社員のオペレータ―を監督するリーダーの立場。
長くいるだけ言葉は巧みだけど、その言葉に心なんてない。
それは業務成績……定量的なスコアにはあらわれるものではないのだけど。
むしろ、電話は短い方がより好成績とみなされる。
それは彼女が先ほど行ったような不正な切電でも、数値上は優秀なスコアとして残るわけで。
だから、逢沢先輩はスコア上優秀で、ゆえに窓口責任者のスーパーバイザーは彼女を注意することはない。
むしろ逢沢先輩のような仕事ぶりをするように、と言うくらいだ。
「……このたびは、誠に申し訳ございませんでした。私、
ありがとうございました。の言葉を言う前に切電されてしまった。
じつはこれもあまりよくない。
お客様とのディスコミュニケーションを指摘される可能性がある。
でも。そんなこと、私にどうしろっていうのだろう。
「随分、謝ってたし、ながーいことお話してたわね」
通話を終えた私に、逢沢先輩が声をかけてきた。
――全部、あんたの尻ぬぐいなのよ。
言えるわけない。
「……はい。結構気難しいお客様で」
「あら? そうなの? 私さっき対応してたけど良い貴婦人のお方って感じだったわよ。きっと上嶋さんの対応に問題があったんじゃないかしら? 録音聞いとくようにクオリティマネージャーに報告しとこうかしら」
クオリティマネージャー、略称はQM。
コール品質の担当で、オペレーターのコール音声を聞いて採点しスコア化する責任者。
たぶん正社員の逢沢先輩の報告があれば、すぐに動くだろうし……。
「あの……はい、ごめんなさい。たぶん私が怒らせてしまったんだと……思います」
「気を付けてよね。派遣社員とはいえ、うちで働いてるんだから。つぎの契約のこととかもそろそろ気になるでしょ?」
ほんとは、そういうのコンプライアンスに違反するんですよ?
言えないけど。
逢沢先輩のマウンティングは、いつものことで。
いつものことながら、心にくる。
毎日まいにち、瘡蓋となった心の傷を、ぺりぺりと剥すような所業を、ずっと私はこの1年間耐えてきた。そして、そんな生活が嫌だった。
だから。大変不躾ながら復讐の機会を待っていたのだと、思います。
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