姫騎士と竜と尿意

平野ハルアキ

姫騎士と竜と尿意

 ――姫騎士。それは、民衆の憧れを力に変えて戦う美しき戦乙女いくさおとめ


 人々の尊敬の念は空間を越え姫騎士の力の根元『寵 姫 石レスぺ・ビジュ』へと集まり、乙女に比類なき力を与える。無二の力を得た姫騎士は美しく華麗に戦いあらゆる害悪を退け、人々の声援に希望を持って応えてみせる。


 美しさとは強さ、強さとは美しさ。


 いかに暗澹あんたんたる闇が国々の未来を包み込もうとも、姫騎士を前に必ずや払い浄められる。


 いかに悪辣たる魔が人々の平穏に手を伸ばそうとも、姫騎士を前に必ずや調伏ちょうぶくの末路を辿る。


 人々の夢と希望を背に受け、姫騎士は今日も戦う。たとえ行く手にいかなる困難が待ち構えていようとも――






「は……っ!!」


 横薙ぎに振るわれた赤竜の鋭い爪を、私は間一髪で避ける事が出来ました。鼻先を掠めた風圧の余韻をそのままに、一度、二度と背面へ大きく飛び退すさって赤竜から距離を取ります。剣を構え直し、二つ、三つと大きく呼吸をするたび、私の肩に掛かる金髪が視界の片隅で上下に揺れるのが見えました。


 すみません、挨拶が遅れましたね。


 私はアリシア。"シェーン王国"唯一の姫騎士です。


 現在、赤竜"ファーブニル"との戦闘中です。今から約二〇〇〇年程前――姫騎士が誕生するはるか以前の時代、伝説の七賢者達によって王国南の山奥へと封印された邪悪な竜……だそうです。いにしえの当時では倒す手立てがなく封印するしかなかった巨竜が、ご覧の通り今現在復活しております。野太い四本の足を踏み締め大地に立つ姿は、見上げる程に大きいです。頭から尻尾までは、海洋を渡る大型船を二~三隻縦に並べたくらいの長さがあるんじゃないでしょうか。


 目覚めたファーブニルは北上し、王国へと侵攻しようとしております。このまま放置すれば、何千何万の国民の命がの赤竜に蹂躙されてしまう事でしょう。幸いにも、ファーブニルに空を飛ぶための翼はありません。地上を歩いて移動する都合上、その進路は限られています。途上にある平原で待ち構え、赤竜ファーブニルを討伐する事。それが、今回私に与えられた使命なのです。


 敵の力は強大、一方平原で迎え撃つのは私一人。いかに一騎当千をうたわれる姫騎士の力と言えど、戦況は辛うじて五分五分と言ったところでしょう。かと言って、増援を頼みにする訳にも行きません。あの赤竜との決戦に並の兵士達を参加させたところで、無用な犠牲を積み重ねるだけです。


 それでも、私の心に恐れはありません。この胸に輝く寵 姫 石レスぺ・ビジュを受け継いだ時から、私の覚悟は決まっています。例えどんな艱難辛苦かんなんしんくが立ち塞がろうとも、私は決して逃げない、目を背けない。力尽きる最後の瞬間まで、私は人々を守るため剣を振るい続ける。


『頑張れ……っ!! 頑張れアリシアちゃん……っ!!』


『負けないでっ!! 私達も精一杯応援するからっ!!』


『行けぇ――――っ!! そこだぁ――――っ!!』


 それに、平原に立つのが私一人だけであっても、私は決して一人で戦っている訳じゃありません。人々からの声援が空間を越え寵 姫 石レスペ・ビジュへと届き、私に力を与えてくれています。


 今までだって、こんな苦難は何度も何度も乗り越えて来ました。ですから、今回だってきっと上手く行きます。シェーン王国を守るため、私は必ずこの赤竜を討伐して見せます!


 ――と、行きたいところなんですけど。


 今現在、私の身にファーブニルとは全く別方面からの危機が迫っていると言いますか。辛うじて冷静さを保っていますけど、内心では心が乱れまくっていると言いますか。


 端的に言うと、おしっこに行きたいです。それも可及的速やかに。


 封印が破られる兆候を事前に察知出来ず、従って準備時間がほとんどない急な出陣であった事と、直前までレモンティーを飲んでいた事。この二つの要因がもたらした危機でありました。


 え? だったら『漏らせ』って? 王国の運命が掛かった命懸けの戦闘の最中なんだから、それぐらい割り切れって?


 仰る通りです。普通なら。


 先程も言いましたが、私は姫騎士です。"人々の憧れを力に変えて戦う"存在で

す。姫騎士としての力を得るには、人々から向けられる声援や尊敬の念、言い換えれば『好意的な感情』が必須なのです。


 その一環として、現在この戦いの模様は使い魔を介した遠隔視の魔法によって、シェーン王国で中継されております。音声含め、こちらの様子はばっちり王国中の人々に見られているのです。同時に、先程のように王国の人々からの声援もこちらの耳へと届いています。『姫騎士の戦いをみんなで応援しよう!』と言う発想です。私の戦いを直接見て頂いた方が、皆さんも声援に力が入りやすくなり、その結果姫騎士の力もより効率的に強化される……と言う仕組みです。


 そんな、不特定多数の人々に見られている状況で漏らしてしまったら。


 単に恥ずかしいだけでは済みません。私に憧れを抱いている人々から失望されてしまいます。民の中には『アリシアたんは汗もかかないし、トイレにも行かないんだよっ!!』……と力説される方もおりますが、普通にかきますし行きます。流石にそれは極端にせよ、つまりは普段からそう言ったイメージを抱かれている訳です。もしも衆人環視の中でお漏らしする場面なんて見られたら、男女共に私に対するイメージダウンは間違いなしです。好意的感情もさぞやガッツリと減る事でしょう。


 それはつまり、姫騎士としての力が大きく衰える事を意味します。ただでさえギリギリの戦い、ここで私の戦闘能力が落ちてしまえば、敗北は必死です。赤竜ファーブニルによるシェーン王国侵攻を許してしまうでしょう。


 漏らす=敗北。


 絶対に漏らせません。二重の意味で惨劇が待っています。それと誤解のないように一応言っておきますけど、個人的感情としても絶対嫌です。普通に恥ずかしいです。私だって乙女なんです。戦う覚悟は出来ていても、漏らす覚悟は全くの想定外なんです。


 もはや、一刻も早く赤竜ファーブニルを討伐するより他ありません。かと言っ

て、動けば当然尿意が牙を剥きます。焦らず慎重に動く必要が――


『グオオォォォォオオォォオオッ!!』


 ファーブニルが凄まじいばかりの咆哮を上げ、上体を持ち上げます。高々と天にかざされた左前足が、私の視界から太陽を覆い隠します。竜の黒く鋭い爪が、逆光の中で危険な輝きを放っておりました。


 私は急いで背後へと飛びます。一手遅れて、赤竜の左前足が私が立っていた地面へと振り下ろされました。大気を揺さぶる程の轟音が響き、大地が叩き割られ、石と土と泥のつぶてが周囲に飛散します。全力で回避したおかげで私は間一髪、事なきを得ました。


「~~~~~~っ!?」


 全然そんな事はありませんでした。代わりに、抗しがたい程の尿意が全身を駆け巡りました。思わず地面にガクリと膝を付きました。ヤバかったです。もの凄い波でした。あとちょっとで決壊するところでした。て言うか、今も十分ヤバいです。決壊しそうです。危ないです。ヤバい。


『おい、見ろよ。アリシアちゃん、あんなに苦しそうな顔をして……』


『赤竜ファーブニル……よほどの強敵なんだな……』


『きっと、俺達の応援が足りていないんだっ!! みんな、もっと気合い入れて応援するんだっ!!』


 危機に陥る私の姿に、人々の応援が一層強くなります。まさか、危機の正体が尿意であるとは夢にも思わない事でしょう。応援が強化されたおかげで、先程より力が増しているのが分かりますが、尿意は引いてくれません。姫騎士の力は、どうやら膀胱ぼうこうまでには及ばないようです。


 それでも息を整えて立ち上がります。正直動きたくはありませんが、そうも言ってられません。膀胱に耐えてもらうしかありません。


 とは言え、このままではファーブニル討伐より先に尿道決壊の方が先でしょう。先ほどの回避で良く分かりました。私は思考をフル回転させ、何とか気付かれずに用を足す手段を考えてみました。


 まず、一旦赤竜から逃れ、どこかの茂みに隠れて思いを遂げる事。


 無理でしょう。先ほども言った通り、この戦闘の模様は中継されております。茂みに隠れてスカートの中へと手を伸ばし、ホットパンツと下着を降ろしてその場にしゃがみ込む……なんて動作、何をしているのか言葉以上に雄弁と物語る事でしょう。『わたし、大きくなったらアリシアおねえちゃんみたいなかっこ良い姫騎士になりたい!』と言ってくれた十歳くらいの女の子は、私の姿を見て何を思うでしょう。事を終える頃には、姫騎士の力も終わっているはずです。


 ならば、一旦中継を止めてもらう? 遠隔視魔法の媒介となっている使い魔に向かって、『ちょっと写すの止めて下さい!』と叫ぶ?


 それも避けたいところです。中継が途切れれば、人々はいぶかしむ事でしょう。それだけ、応援にもノイズが混ざる事になります。姫騎士としての力にも、少なくない影響を与えるはずです。このギリギリの戦いの最中では、その影響が命取りとなりかねません。


 何より、私に向かって敵意全開で睨み付けているファーブニルが、簡単に私を逃がすはずがありません。あの赤竜は、私に対して逃がす時間も出す時間も決して与えてはくれないでしょう。


 ならば、川の中で用を足す? ここより西を流れる川は、私の腰くらいの深さがあります。そこまで移動して清らかな流れの中へとこの身を浸し、戦闘しながら思う存分お花を摘み取る?


 それも無理です。私はこの戦闘で、かなり動き回っています。必然、汗もたくさん出ましたし、体内の水分量も減っている事でしょう。更に、私は普段から肌荒れ対策のために、ビタミンB2を多く含んだ錠剤を服用しています。そしてビタミンB2は水溶性のため、余剰分は尿に混ざって排出されます。


 つまり、間違いなく尿の色は"黄色"であると断言出来ます。一方で川は澄んでいて濁りがありません。川に浸かった私の下半身から黄色い帯が下流に向かってたなびいて行き、同時にスッキリとした私の表情を見れば、人々は何が起こったのか察するでしょう。はにかみながらも『ア、アリシアさんは、僕の天使ですっ!!』と勇気を振り絞って言ってくれた二十代前半の男性は、私の姿を見て何を感じるでしょう。私が晴れやかな心を取り戻す頃には、姫騎士の力は取り戻せなくなってしまいます。


 結論。


 我慢しろ。


 涙がにじみました。それでも、尿道から滲ませる訳にはいきませんでした。


『ゴァァアアァァァアァアアア……ッ!!』


 そんな私の様子など一向に構わず、赤竜ファーブニルは大口を開けて喉の奥から炎を揺らめかせました。


 私がその場から退避した次の瞬間、ファーブニルの口から炎がほとばしります。赤竜の右から左への首の動きに合わせ、圧倒的な熱を持った紅蓮が草原に揺らめく緑をなめ尽くし、ことごとくを黒々とした灰に変えて行きます。地を扇状に焼き払う、灼熱の暴気を発した主の姿が、陽炎かげろうの奥で揺らぐのが見えました。


「ん……っはんんんん~~~~っ!!」


 一方、退避のために大きく横っ飛びに跳ねた私の口からは、奇っ怪なうめきが迸っていました。下から迸らなかったのが奇跡なくらいでした。ほんとあぶない。


 ファーブニルは更に続けて炎を吐き出します。先ほどよりも威力を押さえた小型の火球が、逃げる私の進路に喰らい付くように小気味良く連続して放たれました。着弾した火球が草原に爆ぜ、鮮やかな熱の花がそこかしこに咲き乱れます。


「はぁ……んっ!! んはぁっ!! んんんんんん~~~~っ!!」


 尿の代わりに情けない呻き声を漏らしながら、私は逃げ惑います。やばいですこれやばいです。例えるなら、なみなみと水の注がれたコップを片手に、一滴もこぼさないように注意しながら跳ね回るようなものです。これむりです。むりです。きびしいです。こぼれそうです。あかん。やばい。むり。これまじやばいほんときけん。


 それでもわたしはなんとか……失礼、息を整えますね。……私は、何とか耐え切りました。今日ほど膀胱の強さに感謝した日もありません。


 それでも、未だ波は引いてくれません。辛うじて決壊しなかったと言うだけで、今も尿意は遠慮も容赦もなく元気に暴れ回っています。今ちょっと動けません。動いたら出ます。


『……おいおい……。アリシアちゃん、何かいつもより動きにキレがないんじゃないか……?』


『ほらー、しっかりしなさーいっ!! 攻めなきゃ勝てないわよーっ!!』


『アリシアたん、今何か変な声出してなかった……?』


 尿意に耐える私の耳に、人々からの野次混じりの声援が届きます。同時にほんの少しではありますが、姫騎士としての力が衰えるのを感じました。戦闘に直接影響を与えない程度の、ごくわずかな減少です。


 私の不甲斐ない戦いぶりに、少しずつ失望の念が混ざり始めているのです。全員が全員と言う訳ではなく、あくまでも一部の人々からではありますが、彼らが私に要求しているのはただの勝利ではありません。"正々堂々と華麗に戦った末の、美しい勝利"です。そこには、最前線で危険に身を晒し戦っている私、及び私の膀胱に対する気遣いなどありません。


 尿意うんぬん以前に、命を懸けて戦っているのに。そもそも、私が負ければ次はあなた達が危ないと言うのに……と、本音では思うところも色々あります。しかし、それを言ったところでせんもない事です。


 姫騎士の力は、人々からの好意的感情に依存しています。言ってしまえば、当人がどれだけ頑張ろうとも、姫騎士の強さは最終的に『人任せ』なのです。そして姫騎士の力へ直接影響を与えているものは、表面的な言葉ではなく本音の感情です。例え口で『応援している』と言ったとしても、本心で失望していれば姫騎士の力にはなりません。


 姫騎士である以上、人々の本音を正面から突き付けられる宿命を背負っているのです。それを含めての覚悟です。分かっていた事でした。


『アリシアよっ!! 聞こえるかアリシアッ!!』


 そんな私の耳に、国王陛下の声が聞こえて来ました。


「あ、ひゃいぃ……!」


 私の口から、訳の分からない返答が出て来ました。


『……何やら、相当に切羽詰った声を出しておるが……まあ良い。それよりも、城内の学者達が掴んだ情報があるっ!! 今、そちらに使い魔が到着するはずじゃっ!!』


 陛下が言ってすぐ、使い魔と思しきフクロウが飛んで来ました。私のすぐ側に降り立ったフクロウは目を光らせ、空中に映像を浮かび上がらせます。


 四角に投影された映像には、真っ赤な鱗に覆われた背中が映っていました。赤竜ファーブニルの背中を映したものだと、すぐに分かりました。上空を飛ぶ別の使い魔から送られて来た映像でしょう。


 映像の中央、ファーブニルの首元よりやや下と思しき箇所に、一本の剣が突き刺さっているのが確認出来ました。


『映像が見えるかっ!? そこに映っておる剣は、いにしえの時代ファーブニルに挑み敗れ去った勇者が、辛うじて背中に突き立てた聖剣であるそうじゃっ!!』


「そ……そう、にゃのです、か……っ!!」


『……アリシアよ、大丈夫であるか? どこかに怪我でも負っておるのか?』


「……だ、だいじょぶです……っ!!」


 全然大丈夫じゃありません。


『……? まあ大丈夫なら良いが……。とにかく城の魔術師達によると、ファーブニルの身体に突き刺さった聖剣は、竜の体内を巡る邪悪な魔力によってその力を封じられておるそうじゃ。……しかし封じられておるだけで、聖剣は未だその力を失ってはおらぬっ!! 赤竜の背から引き抜き、そなたの姫騎士の力を流し込めば、の聖剣は必ずや秘めた力を解放するであろうっ!! そなたが聖剣を振るえば、ファーブニルと言えどもひとたまりもないはずじゃっ!! ……アリシアよ、奴の背中に飛び乗り、突き刺された聖剣を引き抜くのだっ!! やれるなっ!?』


「……は、はいぃっ!!」


 無理です。恐らくは陛下も想定していないであろう理由で無理です。飛び乗って引っこ抜くとか、私の膀胱の危険が危ないです。


 しかし、他に手はありません。このまま耐えるばかりでは、決壊までの時間を先延ばしにする事にしかなりません。ならば一か八か、聖剣を抜いてサクッと赤竜倒して、急いでトイレに向かう道に全てを懸けるしかありません。


 剣を支えに、私は立ち上がりました。それだけの動きで尿意の波が嵐の海の如く荒れ狂いましたが、耐えますこぼれそう。


 眼前には、地を揺らしながらゆっくりとこちらへ迫る赤竜ファーブニルの巨体。しかし、逃げる訳にはいきません。ここで逃げれば、トイレが遠ざかります。


「――んにゃああぁぁぁあぁぁぁああ~~っ!!」


 なりふり構わず謎の叫びを上げながら、私は全速力で駆け出しました。ちょっとにじみました。けど、ちょっとなのでセーフです。


 ファーブニルの口から、迎撃の火球が次々と飛んで来ます。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいけど私は回避しつつ、右側面へと回り込みますやばい。そして全身をバネに勢い良く背中へ向かって飛び上がりますやばいやばいやばい。


「あ……んんんんんんんんんん~~~~っ!!」


 赤竜の背中に着地しますきけんです。尿意が私の意識と忍耐をフルボッコにしますが、負けません。涙が止まりませんが、がんばる。


 ファーブニルは己の巨体と己の放った火球の煙とが災いし、私の姿を見失った様子です。首を左右へ巡らし、必死に大地へと視線を這わせています。鉄より硬い竜の鱗に私一人が立った程度では、感触で気付く事も出来ないのでしょう。これはチャンスちょっとまったやばい………………ちゃんすです。


 私はゆっくりと急ぎながら慎重に聖剣へと歩いて行きます。一歩、また一歩と進むたびに私の膀胱へ尿意の牙が突き立てられ、絶望の津波が押し寄せます。でもここまで来た私にとって、それはもはや耐えられない苦難ではありませんだめこれ。


 遂に私は、赤竜の背に突き刺さる聖剣へと辿り着きました。二〇〇〇年の時を経て、すっかり錆び付いた剣ではありましたが、微かに神秘の力を感じます。剣を引き抜き、私の姫騎士の力を流し込めば、秘められた力が解放されるはずです。


 私は右手の剣を腰の鞘に収め、聖剣の柄をしっかり両手で握り締めます。これから力を込めつつも、膀胱に刺激を与えないようにゆっくりと引き抜かなければなりません。はっきり言って相当にヤバいですが、負けませんやばいきたちょいまった


 ――ここからが勝負でしゅっ!!


「んっ……んんっ!! はうぅぅぅうっ!! んんんんんんんん~~~~っ!!」


 ヤバいですこれ想像以上です。膀胱があかんです。危険ですが負けません。


 負けません負けません負けません負けない負けそうですやばいですがんばるあかんだめこれきけんすごいきけんだめこれだめふざけんなまけないからなもれるもれるもれるもれるもれるもれるもれるたえたたえたいまいけるいまいけるいまいける

絶ッッッ対に負けません……ッ!!


『ギャオォォォォォオォォオオオオオオッ!!』


 ファーブニルが大きく吼え、同時に赤い鱗に覆われた身体を揺らしました。私が背中にいる事に気が付いたのでしょう。


 完全に不意打ちでした。


 弾みで、聖剣を引き抜く手に強い力が入りました。下半身にも強い力が入りました。


 それは、押しとどめるための力ではなく、押し出すための力でした。


 あ















          ~~美しい詩をお楽しみ下さい~~


               幼児の喜び

           作 ウィリアム・ブレイク


「ぼくには名前がないんだ。

 生まれて二日しかたってないからかなあ」

 なんて呼んでほしいの?

「ぼく、幸せなんだ、

 喜びジョイって名前がいいよ」

 そうね、素敵なジョイがお前の上にありますように!


 素晴らしいジョイ!

 生まれて二日たったばかりの素敵なジョイ!

 素敵なジョイって呼んであげるわね。

 まあ、可愛い笑顔だこと――

 母さんが子守唄を歌ってあげるわね――

 素敵な喜びジョイがお前の上にありますように!









 終わった。


 オワッタ。


 オワタ。


 ――赤竜ファーブニルの背の上に、引き抜いた聖剣を高々と掲げながら、出すものを全て出し切った私が立っていました。


 濡れたスカートやホットパンツからは、今もぽたぽたと水滴が垂れ落ち、私の足下に広がる水たまりに次々と波紋を生み出しておりました。


『……なあ、あれって……』


『……もしかして、アリシアちゃん……』


『……小便、漏らした……?』


 魔法を通じて、私の耳に人々からのざわめきが聞こえて来ます。信じられないものを見た、と言う空気が手に取るように伝わって来ます。


 完全に終わりました。


 私の姫騎士としての力は、無惨な程に失われる事でしょう。例え聖剣の力を借りたとしても――いえ、それどころか聖剣の力を解放させる事さえ怪しいです。いずれにせよ、もはや赤竜ファーブニルに対する勝ち目などありません。


 これから人々の口から、私に対する失望の溜息がこぼれる事でしょう。嘲笑が広がる事でしょう。もはや、乙女の尊厳などあったものではありません。


 心底恥ずかしいし、悔しいし、泣きたいくらいです。けれど、全ては私の膀胱の弱さが招いた結末なのです。受け止めるしかありません。刑の執行を待つ囚人の心持ちで、私は静かに目を閉じました。


『――聖水だ』


 …………はい?


 唐突に耳へと飛び込んで来た民の言葉に、完全に意表を突かれました。


『あれは噂に聞く、アリシアちゃんの聖水だっ!! まさか生で見られるなん

てっ!!』


『ほ……本当にあったんだ……。やべえ……何か俺、興奮して来た……っ!!』


『赤竜の野郎、アリシアちゃんから直接聖水浴びせてもらうなんて、何て羨ましいん

だっ!! そこ替われよお前っ!!』


『待てよ手前ぇっ!! 抜け駆けは許さねーぞっ!! オレだってアリシアちゃんの聖水浴びてぇんだよっ!!』


『僕だってそうだっ!! 聖水浴びたいっ!!』


『『『聖水っ!! 聖水っ!! 聖水っ!!』』』


 …………あの。何故か姫騎士としての力が急上昇しているのですけど。何ですか聖水って。男性の皆さん、何でボルテージが高まってるんですか。


『素晴らしいわ、アリシアさんっ!! 漏らしてもなお、あんなにも堂々としていられるだなんてっ!!』


『あれはきっと、アリシアさんからのメッセージなのよっ!! 『漏らしたって立ち上がるわ、だって私は姫騎士だから』……って、私達一人一人へと語り掛けているんだわっ!!』


『ああ、アリシアさん……っ!! 漏らしてもなお美しいだななんて……っ!! ……いいえ、違うのよっ!! 正面から漏らして見せたからこそ、アリシアさんはなお一層美しく輝いているんだわっ!!』


『あれは……あれは正に聖水よっ!! 眩しい程に尊い、アリシアさんの覚悟の証なのよっ!!』


『『『聖水っ!! 聖水っ!! 聖水っ!!』』』


 ……女性の皆さんも、ボルテージ上がりまくっております。違うんです。特に意味はないんです。普通に漏らしただけなんです。


 私の戸惑いをよそに、人々からの声援はかつてない程に高まっております。私の胸の寵 姫 石レスペ・ビジュも、今までにないくらいにビカビカ光っております。姫騎士としての力が過去の最高レベルを軽々突破し、なおも上昇を続けております。その力に当てられたのか、何もしていないのに聖剣が勝手に力を解放し、聖なる輝きを放っております。


『グゥオォォォォォオオォオオッ!!』


 私と聖剣の力を脅威に感じたのでしょう。赤竜ファーブニルが、大きく背中を揺さぶります。慌てず騒がず私は跳躍し、赤竜の真正面へと降り立ちます。振り返ると、私に対する明らかな恐れの色がうかがえる、ファーブニルの顔が見えました。


 ……。


 …………。


 ………………。


 …………うん。


 取り敢えず、こいつ倒しときます。


 私は天に向かって高々と跳躍しました。


 無言のまま、空中で聖剣を振りかざします。発生した凄まじい光が巨大な刀身を形作ります。私は何の表情も浮かべず、聖剣を縦一文字に振り抜きました。


 光の刃が赤竜ファーブニルの身体を捉え、聖なる奔流が巨体を飲み込みました。


『ギィィィィイヤャアアァァァァアアァァァアアアアッ!!』


 断末魔の咆哮だけを世界に残し、赤竜ファーブニルは肉片一つ残す事なく消滅しました。


 勝ちました。


 何の感慨もありませんでした。






 赤竜ファーブニル討伐を果たし、シェーン王国へと帰還した私を待っていたの

は、人々からの凄まじい歓呼の嵐でした。


『『『"聖水姫"アリシア万歳っ!! 救国の乙女万歳っ!!』』』


 王国史に残る最強の力を得るに至り、更には強大な力を持つ聖剣を腰にびる私は、その日から"聖水姫"の称号をいただく事となりました。


 私の偉業を後世にまで残すため、王国の中央広場に銅像が建立される運びとなりました。もちろん、モチーフは聖剣を引き抜き、聖水を流した際の姿です。資金獲得のために王国が一般への募金活動を行ったところ、初日から我も我もとばかりに募金がつのり、最終的には目標金額の二倍超が集まりました。王国内では二体目を建立するべきか、より豪華な銅像を建てるべきかの議論が続いています。


『『『聖水姫っ!! 聖水姫っ!! 聖水姫っ!!』』』


 晴天の元、城のバルコニーに立つ私へと称賛の声を上げる人々に、笑顔で手を振りました。


 けれども、私の戦いはまだまだ終わりません。私が姫騎士である限り、これからもシェーン王国と人々の平和を守るため、戦い続けます。


 戦い続けるんですけれども。


 ……まあその、私だって人間ですから。嬉しい事も辛い事もありますし、人には中々ぶっちゃけ辛い本音と言うものもありますし。


 ですからその、気持ちをすっきりさせるためにも、最後に本音を吐き出す事をお許し下さい。










 滅んじまえこんな国。



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『幼児の喜び』 作 ウィリアム・ブレイク

岩波文庫 『イギリス名詩選(平井正穂 編)』より抜粋

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姫騎士と竜と尿意 平野ハルアキ @hirano937431

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