第37話 クズ、見られる

 

 何てことのない、仲の良い幼馴染のはずだった。

 親がいなくて泣いてばかりだったヒロを、俺がいつも守ってて。

 俺が兄貴分で、あいつが弟分。俺もあいつもそう思っていたし、周りもみんなそうだったろう。

 だけど、それが変わってしまったのは――



 中等部に上がった時の、最初の試験。

 レズンの成績は芳しくなかった。特に、父親が期待していた医術の成績は最悪と言って良かった。

 そのおかげで、ただでさえ昔から厳しかった父親はレズンに失望し、暴力さえふるうようになった。

 そう。親父は俺に医術を継がせるのが当たり前と考えていたけど――

 俺の不出来のせいで、それが全てパァになった。

 お袋がどんなに泣き叫んでも親父は俺に冷たくあたり、家にも帰らなくなった。



 それに比べて。

 ヒロはめきめきと成績を上げ、剣術以外は大概の科目でトップクラスだった。

 親はいなくても、たくさんの友達に囲まれ、いつも笑顔で、きらきら輝いていて。

 この世の苦痛を、何も知らないかのように振る舞っていた。あいつは。



 ――そんな頃だったろうか。

 俺が同級生どもと一緒に、学校帰りにヒロを連れて川へ遊びに行ったのは。

 その時、周りの奴らと朗らかに笑ってるばかりのヒロに、ちょっとムカついた俺は――

 成績良かった祝いだとばかりに、あいつを川に突き落としたんだっけ。



 勿論、子供がいつも遊んでいるような浅い川だ。大事に至るわけもない。

 当然、ヒロは怒った。何でこんなことするんだって――うん、真っ当な怒りだ。

 でも、びしょ濡れになったヒロの姿を見て――



 俺の中で、何かが壊れた。



 濡れた服が貼りついてくっきり浮かんだ、幼く細い身体の線。

 元気に跳ねていたはずの緋色の髪は、しっとり濡れて首筋に張りついている。

 驚愕に見開かれた、純真無垢な若草色の瞳。

 そして水から抱き起こした瞬間、耳元に感じた吐息の熱さ。自分にしがみついてくる腕のか弱さ。

 水の冷たさに、小鳥のようにがくがく震える身体。



 汚してしまいたい。

 衝動的に、そう思った。



 気がついたら、抱きついてきたヒロを再び、川べりの泥土に押し倒していた。

 何が起きたか分からず、背中から泥だまりに落ちたヒロ。そこに、面白がった同級生が次々に食らいついていく。

 あっという間に水兵服は、泥まみれの真っ黒に汚れた――



 だが、その時のヒロはまだレズンをひとつも疑わず。

 お互い、ただ遊びとしか思っていなかった。

 ヒロは勿論だが、レズンたちの制服も汚れに汚れた。でも何のことはない、これまでだって、泥遊びなんかいくらでもやってたんだから。

 そう、ただの遊びの延長。みんな、そう思っていた。



 だが、抵抗して暴れるヒロを組み敷いて、濡れた身体をさらに汚していく時の快感は――

 一生、忘れることがないだろう。



 やっと、こいつに勝てた。

 やっと、こいつを汚せた。

 俺に守られなきゃずっと泣いてばかりだったくせに、いつの間にか俺の上にいやがったこいつを。



 ――生意気なんだよ。



 そして今。

 ミラージュスコープの画面内では、どんどんヒロの身体が晒されていく。

 画面上でその肌と、そこに流れる紅の筋をなぞると――

 そして痛みに呻き、屈辱にすすり泣くヒロの声を聞いていると――

 刹那的欲求が、満たされていく。



 最初にこの気持ちに気が付いた時は、自分で自分が信じられなかった。

 ありえない。俺もヒロも男だぞ。そんなわけがない。

 ――それでも、昂る感情は抑えられない。


 だから最初は、自分で自分の気持ちをねじ伏せていた。

 俺は多分、サクヤが好きなんだ。ヒロの隣でよく笑っている、あの可愛い娘が――と。

 俺が好きなのはサクヤの方。お前じゃない。ありえない。

 必死でそう思っていた。思いこみながら、ヒロを殴り続けた。


 何度も妄想した。サクヤの眼前でヒロを汚す自分を。

 逆に、ヒロの前でサクヤを無理矢理抱く自分を。

 実際に、彼女に見せつけたことさえある。汚されたヒロの姿を。

 そうすることで、サクヤが汚れた時の姿を妄想しようとした。


 ――それでも、自分の気持ちはごまかせなかった。

 サクヤを見ているより、ヒロを痛めつける方に快楽を覚える自分に気づいた時は――

 どれほど絶望したことだろう。

 認めたくなかった。いや、今でも自分は認めていない。認めるものか。

 俺はあいつにイラついているだけ。あいつの笑顔がムカつくだけだ。

 ムカつく奴を叩きのめすなんて、当然のことだろ?

 大事な幼馴染がムカつく奴になっちまったら、さらにムカつくじゃないか。

 だから俺は――



 父親に殴られ、母親に泣かれるたび。

 レズンはヒロを殴り、汚した。

 実際に汚すだけでは足らず、その姿を写したミラスコを常に持ち歩いている。

 ヒロを口止めする為というのも勿論あるが、自分がいつでも満足できるようにだ。

 どれほど叱咤されても、号泣されても、失望されても。

 ヒロのあの姿を見れば、傷ついた心は癒された。

 ヒロの嗚咽を聞き、汚れていく素肌を見るごとに――



 毛布をかぶりながら、暗闇の中でじっとミラスコを見つめるレズン。

 どれくらいの時間、そうしていただろう。

 昂ぶりを抑え切れず、思わず声を出しかけた――その時だった。




 バサッ




 何の前触れもなかった。

 いきなり引き剥がされる毛布。

 冷気に晒されるレズンの身体。



「……うわっ!?」



 何が起こったのか一瞬理解出来ず、思わずそんな間抜けな声を出してしまうレズン。

 その眼前にいたのは――



 薄手のネグリジェを身に纏った、青白い素肌の女。

 腰まで伸ばした黒髪は手入れもしないまま、ぼさぼさと宙に揺れている。

 若い頃はさぞかしもてはやされたであろう容姿の女性だが、さすがに今となっては肌の艶も衰えが見え始めている。

 目の下には深いクマが出来ており、落ちくぼんだ空洞の中に生まれたような大きな漆黒の瞳はただじっと、レズンを見つめていた。



 それは、レズンの母親――レーナ・カスティロス。



 左頬は何故か赤く腫れている。多分また、父に殴られたのだろう。

 うろたえるばかりのレズンを前に、レーナはベッドにそっと座り、妖艶に微笑んだ。

 何でだ。何で俺の横に、当然と言わんばかりに座る!? いくら母親だからって、今は――



「ふふ。合鍵使って入っちゃった♪」



 レズンの言葉も聞かず、レーナはするりと息子の毛布の中に手を伸ばす。

 このような母親の所業、今に始まったことじゃないが――

 それにしても、時と場所を考えろ。たった今、俺がナニしてたか分かってるのか。

 ノックもせずに息子の部屋に押し入り、しかも当然の如くベッドにまで乗り込んでくるなんて……



 そんなレズンの動揺も構わず、母親は上目遣いで息子にねだってきた。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいる。



「レズンちゃん、お願い。

 ママと一緒に寝ましょ。ねぇ、いいでしょう?」

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