第6話 触手令嬢、もふもふと出会う

 

「まぁ~~……

 かなり良いお屋敷ですのねぇ」

「え?

 そ、そう見える?」


 ヒロ様のお家は、街から少し離れた深い森の中にあるお屋敷でした。

 街にある建造物と比べると造りが古く、よく見るとレンガ壁のあちらこちらに亀裂が入り、デビルカズラの蔓が壁一面を濃い紫に染めております。

 正面玄関から広がるお庭はよく手入れされているようで、豊かな果樹や色とりどりの花が咲き、奥には小さな噴水も見えました。


「黒やグレーや紫、それに血の色のお花もたくさんで、素晴らしいお庭です!

 腐った血肉が焼けるようなこの、鬼魔百合特有の香りも最高ですね。あの紫リンゴの、絶妙な斑点のつき方も美しい。

 あそこの噴水も、鮮血を溶かしこんだような薄紅色が良い感じです。

 ヒロ様にはそう思えないのですか?」


 彼は諦めたように大きくため息をつきながら、呟きました。


「まぁ……多分、魔物にはそう見えると思ったよ」

「なるほど。

 魔物には美しいと感じるものでも、人間にとってはそうでもないというのはよくあると聞きますね」

「そうでもないっていうか、どう見てもヤバイっていうか」

「でも、心配ご無用です。

 ヒロ様が美しいと感じるものなら、わたくしにとっても美しいものですから。

 現にこの街の風景、わたくしは大好きですよ」


 にっこり微笑み、わたくしは愛しの人の頭を撫ぜます。

 ヒロ様はいつの間にか、わたくしの胸にぎゅっと両腕でしがみついていました。

 単純に落ちるのが怖かったからでしょうけれど、それでもこうしてわたくしを抱きしめてくれるのは、嬉しいものです。

 ヒロ様の心音を体幹に直接感じた時は、そのまま天に昇ってしまいそうでしたわ。


「あぁ……もう、何でもいいや。

 何だかんだ言って、俺のじいちゃん、変人だからさ。

 多分お前のことも受け入れてくれるだろ」

「あら、そうなのですか?

 わたくし、さすがにちょっと面倒な手間が必要になるかと思ったのですが」


 わたくしがそっとヒロ様の拘束を緩めると、彼はぴょんと玄関先の敷石に飛び降りました。

 足は何とか元通り治ったようですね。


「まぁ、入れよ」


 ヒロ様が呼び鈴を鳴らし、古風な蝶番のついた漆黒の扉が音を立てて開かれたと思ったら――

 そこにいたのは、一人のメイド。

 いや……一匹のメイド、と言った方が正しいかも知れません。



「ヒロ様、お帰りなさいまし!

 ……って、アラ?」



 そう言いながら現れたのは――

 小柄なヒロ様の身長のさらに半分ほどの背丈しかない、毛むくじゃらの丸々としたもふもふ生物でした。

 ぱっと見、黄土色のもっふもふ。栗のような形状の毛玉にしか見えないこの生き物ですが、土の妖精たるノーム族の亜種。れっきとした魔物です。

 毛玉に小さな手足が生えており、人間の顔に当たる位置に小さな黒い眼球が二つ。

 口や鼻は完全に毛に覆われて見えません。

 毛玉からほんのちょっと飛び出した感じの両腕はかなり短いものの、なかなか良い肉付き。器用にモップを持っています。

 すぐにメイドと分かったのは、その身体に合わせたひらひらのメイド服を着ているから。

 頭についた可愛らしいピンクのリボンのおかげで、何とか女子だと判別できます。

 彼女はヒロ様とわたくしの姿を見るなり、びっくりしてぴょこんと飛び上がりました。


「ま、魔物!?」


 いや貴方もでしょう。

 そんなわたくしの突っ込みも聞かず、彼女はまるで槍の如く器用にモップを振り回し、その先端をわたくしに突きつけます。


「お、お前! ヒロ様に何を!?

 例え触手族といえども、ヒロ様に手出しをすれば、この私が許しませんっ!」


 眉や口らしきものが全く確認出来ないものの、目尻が僅かに吊り上がっているので多分怒っているのでしょう。

 そんな彼女を、ヒロ様が止めました。


「いいんだ、ソフィ。

 こいつは、俺を助けてくれたんだよ。

 湖で足滑らせて、落ちちゃってさ」

「まぁ……そうだったんですか。

 きっとまたヒロ様、湖でいたずらでもなさってたのですね。危険ですからやめてくださいと、何度も言ってるじゃありませんか」


 このようなヒロ様の嘘には全く気付かないのか。

 メイドは深々とため息をつきながら、ぺこりとわたくしに頭を下げました。


「大変失礼いたしました。

 私、ソフィと申します。

 このお屋敷で、ヒロ様のお世話をさせていただいております」

「これはご丁寧に。

 わたくしはルウラリア・ド・エスリョナーラですわ」


 そのように名乗り出ますと――

 ソフィがまたしても、ぴょこぴょこ飛び跳ねました。


「ふぁっ!!?

 あ、あ、あの、あのあのあの、触手族の中でも最強と噂される、あのエスリョナーラ一族……!?」


 あら。

 追放された身だというのに、うっかり名乗ってしまったのはあまり良くなかったかも知れませんね。

 殊に我が一族はソフィの言う通り、魔物の中でもかなりその名と強さが知れ渡っております。


「え?

 ルウ。お前って、そんなに凄い奴だったの?」


 ぽかんとわたくしを見つめるヒロ様。

 あぁもう、まだヒロ様の水兵服の裾から水や泥が滴っているというのに、何を勝手にひれ伏しているのでしょうこのメイドは。


「す、すみません! 

 うちのヒロ様はイタズラ好きの暴れん坊で、たたた大変なご迷惑を……!」


 ――ん? 

 イタズラ好きの暴れん坊? どうもヒロ様のイメージと合致しませんね。

 そう思っていると、ソフィはヒロ様に向かってぷんぷん怒り出しました。


「もう、ヒロ様ったら。本当にいい加減にしてください!

 旦那様がしょっちゅうお留守なのをいいことに、学校をさぼりまくって……!

 今日も先生から連絡がありましたよ」

「……そう」


 ソフィに言われて、ふと目を逸らすヒロ様。


「それに、何ですか。大事な制服をまたまたこんなに泥だらけにして……こないだ新調したばかりなのに、もう!

 一体どこを遊び歩いていたのです、心配する私たちの身にもなってくださいよ」

「……ごめん」


 あぁ……またヒロ様の横顔に陰がさしております。

 これは事情をちゃんと説明せねば――


「ソフィ。ヒロ様は湖で……」

「やめろ、ルウ!」


 思わぬ大声で止められ、さすがのわたくしも黙ってしまいました。

 ソフィもきょとんとして、丸い黒目でじっとわたくしたちを見つめます。

 ……良くも悪くも鈍感なのが、この種族の特徴ですね。


 ヒロ様は気丈にも顔を上げ、若干無理矢理な笑顔でソフィに言いました。


「ソフィ。悪いけど、風呂の用意してくれないか。

 俺、こいつとちょっと話、したいから」


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