3.Consequence


 隈川を起床させたのは、分刻みに設定しているアラームの五度目の音だった。昨日の夜半に飲んだカフェインが残っているせいか、彼は微かに頭痛を感じた。のみならず、口腔内にはうそくさい香料の匂いが残留しており、彼は顔を顰めた。


 隈川はベッドから離れて、カーテンを開けた。空は曇り、朝日は弱々しかった。が、彼にとってはこのくらいが最適だった。強すぎる日光は、彼に眼痛と、それによって誘発される頭痛を増強させる。


 隈川は寝起きで未だ論理的整合の取れない頭で、漫然とした思考を展開していた。今日は久々の休日ということもあり、彼はもう一度創作に励んでみようと考えた。彼は色々と考えを巡らせた。そして、昨日見た【共感映画】のことを思い出した。


 生徒たちが織りなす青春の群像劇は圧巻で、実話であることが俄かに信じがたい程だった。しかし、配給される映画は、必ず政府の厳格な検閲を受けるので、フィクションどころか誇張さえあり得ないだろうと彼は考えた。


 隈川はどうせ【創作罪】で拘留される危険を冒すのなら、思い切った虚構を描きたいと考えた。現実にないものを登場させ、胸躍るものを作りたいと考えた。


 そこで思いついたのが、恋愛と闘争を組み合わせた活劇だった。主人公は凡庸な外見をしていながらも、優れた格闘術を習得している。その主人公は、悪の組織と化した政府と闘う最中、街中で美しい女性を助ける。そして、その女性と恋愛をしながら、革命を起こすのである。


 隈川は嬉々しながら、思いついたアイディアを忘れないよう紙にメモした。昨日は勿体なく思い米粒よりも小さい文字で書こうとしたが、今は溢れ出てくる物語の原型の方がよっぽど高価値であるように思えた。故に、潤沢に紙面を使い、そのプロットを走り書きした。


 隈川の心は高揚し、全てが上手くいく気持ちがした。そうだ、今日は景気づけに本物のコーヒーを買いに行こう。少々金銭面的には痛いが、その香気を鼻腔にくゆらせながら、至高の物語を生み出すのだ。それこそが、彼の思い描く至福だった。


 隈川は顔を洗い、髭を剃り、服を着替えて身支度をした。


 ピンポーン。


 その時、来客を知らせるチャイムの音が鳴った。彼は弾む心に倒錯し、忘我的な酩酊を帯びて、相手を確認することもなくドアを開けた。


「警察です。お伺いしたいことがあります」


瞬間、彼は両足の感覚さえ失ったように感じた。


 ドアを開けた先に立っていたのは二人の警官で、一人は三十歳ほどの男で、もう一人はいかにも新採用らしき若い女だった。彼等は黒光りするブーツを履き、帽子を目深に被っていた。


 その帽子には、権威的な国家を顕す日の丸と八咫烏やたがらすの意匠が凝らされたシンボルの金メッキのバッジが、中央に遠慮知らずに貼り付けられている。そのバッジの下縁には、『truth and order bring you peace.(真実と秩序が平和を齎す)』という文科省のスローガンが刻字されている。


 隈川は警察官の身につけている物のディテイルを見つめることしかできなかった。視界は定まらず、極度に狭窄していたのだ。それに正常な思考は働かず、脳は現実逃避ばかりをしてしまう。口腔内は酷く乾燥し、言葉を紡ぐことは困難だった。


「あなたが危険物を購入し、それを所持している疑いがあるとの通報を受けました。署まで御同行願えますか」


隈川は同意するしかなかった。彼はせわしなく首を縦に振ることで、抵抗の意思がないことを懸命に訴えた。そのまま両隣を警官に挟まれながら歩き、彼等の車に乗った。


 警察署に着いた隈川は出来る限り真実をを話し、弁明もした。最初こそ蚊の羽音のような小さい声だったが、次第に彼は熱を帯びた激しい声で訴えた。


「ほんの出来心だったんだ。それに俺はまだ一文字も物語を書いていない!」


「【創作罪】を犯された皆様は揃ってそう仰ります。それに貴方あなたの場合は、プロットを作っていた痕跡があります。どうか大人しく罪を償ってください。問題ありませんよ。貴方は罪を償った後、【校正施設】で、善良な市民に生まれ変わることが出来ます。そこを出所すれば貴方は以前のような陰鬱な思考回路に毒されることなく、健やかな生活を過ごすことができるのですよ」


と、新卒の婦警が慈愛の微笑を浮かべながら諭すのであった。隈川はその微笑の裏にある苛烈な正義感を感じ、ひどく怯んでしまった。


 結果、隈川に課せられたのは三ヶ月の懲役の後に【校正施設】で療養することだった。彼はそのことに何かしらの反論を加えたかったが、何も思いつかなかった。


気休めにタオルで包んでいた、オフライン起動ができるノートパソコンは、家宅捜索が始まってから一分も立たぬうちに発見されたらしい。隈川は月給の半分以上も出して購入したパソコンが押収されてしまったことを悔やみもしたが、冷静になった頭で考えてみれば、問題はそれどころではなかった。


 隈川は紛れもない罪人と規定されたのだ。それは、彼にとって当然の回帰であった。


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