水晶玉

キザなRye

全編

 これは私の記憶として残っている最も古い話である。当時私の家には父と母と私の他に父方の祖母がいた。夫を亡くして自暴自棄になっていた祖母をうちで引き取ろうと父が言い出し、母は乗り気でなかったものの渋々承諾したという。乗り気でなかったのは嫁姑問題が相当複雑だったからだと母から聞いた。年々祖母の自暴自棄も落ち着いてきたが、それと引き換えに認知症を発症した。最初は朝食を食べたあとに朝食はまだかと尋ねるくらいの可愛いものだったが、日に日に症状は悪化し私が生まれたくらいには時々徘徊するにまで至っていた。父と母は子供の面倒と親の面倒を見なくてはならないという多忙な日々を送っていたのだ。

 3歳の夏のある日、私は母と散歩に出掛けて祖母のことはヘルパーさんに頼んで見てもらっていた。この頃になると父と母だけで祖母の面倒を見るのは困難になっていたのだ。母としては私にだけ向き合える貴重な時間で大事にしていたのだと思う。小さいながらも家に居るときの母とは表情が違っていたのを理解していた。この頃の私はとにかく走り回って周囲を探検していたのでキャッキャと言いながらあちこち行っていた。母はそんな私に付いていくのが簡単ではなかったようだが、なんだか楽しそうだった。

 もう家まで数分すれば着くという距離のところで電信柱に一生懸命話しかけている人を見つけた。

柊斗しゅうと、ほら帰るよ。」

遠くからでもそれだけは聞き取ることができた。母は

“認知症が悪化するとおばあちゃんもああなっちゃうかしら”と心配の様子だった。家に帰るための唯一の道なので電信柱の前を通らざるを得なかった。その人のいる30メートルくらい前で母は悲鳴をあげた。悲鳴をあげた意味は目の前にいる人にあった。祖母だったのだ。柊斗というのは私の父の名前で状況から判断するに電信柱を父と勘違いして話しかけているようだ。母は恥ずかしがりながら祖母を電信柱から引き離し、家に連れて帰った。

 父が仕事から帰ってきて家族会議が執り行われた。議長はもちろん母である。起こったことを淡々と話し、今後祖母をどうするべきかと議論を交わしていた。ヘルパーさんが居てもなお徘徊を制御できず、電信柱を人と思って話しかけてしまうというこの状態の祖母を基本的には父と母の二人で見てあげられるのだろうか。祖母が最も幸せな形は何なのか。二人は相当考えて一つの結論を出した、老人ホームにお願いしようと。育児もあるのでそれほどまで祖母に時間をかけてあげられない中でここにいるよりもきちんと見てもらったほうが祖母にとっては幸せで安全な暮らしになると考えたからだという。

 幼い私は祖母の電信柱が話しかける行動をただ単純に面白いと思って見ていたが、祖母が家から出ていってしまうという話を聞くと何かいけないことをしてしまったのかとブルブルと震え、寂しさから泣き出した。まだ私も小さいので状況は何も理解できていない。祖母が電信柱に話しかけていたことと家から居なくなることしか分かっていなかったのだ。

 結局、祖母は近くの老人ホームで生活するようになり、周りの人のおかげで徘徊の症状は収まってきた。一方で人の顔と名前が一致しなくなり、祖母のもとに遊びに行っても私のことは分かっていなかった。

 私にとっては大切な家族の祖母を“失った”大きな出来事で私と祖母を繋げる数少ない紐の一つとして失ってはならない記憶である。もう既に祖母は亡くなっているが、私と祖母が一緒の屋根の下で暮らした宝物として一生保存しておきたいと思う。

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水晶玉 キザなRye @yosukew1616

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