地球は、何やってもいい世界

3.14

地球は、何やってもいい世界

ある人は、言った。

「この世の中、怖いからね」


そして俺は、すかさず応えを返した。

「まぁ結局は、世界全て原子の構造体であってそこらへんにある石ころと人間は、同じと言っても過言では、ないからね。

そして原子の中には、原子核と中性子、電子、陽子が存在し…それもすべての物質に通ずるものである。

そもそも人間は、宇宙は、なにか、あいつは、うざい、など様々なことを考える。そして草や木、そしてコンクリートや石ころ。

今述べた物質は、人間からしたら意識は、ないと思われる。

石ころが人間に踏まれて痛い!といったり血液が通ってたりもしない。

だから石ころには、命などなく意識もない。

だが、本当にそうだろうか人間は、石になったことがあるのか。

勿論ない、目の前に散らばられている構造、物質、違い、知識。

これによってほとんどの人は、石が生きて意識があるとは、思わない。

ならなぜか?

人間も石も同じ原子で出来ている。

もしかすると人間の方が原子の配列が複雑なのかもしれない。

なら、例えばカエル、に意識は、あると思うか。

それは、石と同じように分からない。

だって自分は、自分、であってカエルや、石では、ないからだ。

これをクオリア、という。

なら、自分は、人間だ。

なら他の人間にも自分と同じように意識は、ある。

が…本当にそうなるのだろうか、

ここである言葉を紹介しよう。

「我思う故に我あり」

これは、デカルトの哲学者の言葉である。

この世には、信じられないことばかりある。宇宙は、なにか、地球は、本当に球か、この世界は、もしかすると夢なのかもしれない、と殆どのことを疑うことができる。

しかし唯一疑えないことは、

自分が今世界を疑っている行為自体は、誰にも疑えない。

自分が今、神っておるんやろ〜?、って考える。

もし他の人にそんなこと考えてない、と言われても今自分は、本当に考えているので、絶対に他の人は、疑えない。

絶対にだ。

自分が飯食いて〜、って思うことは、絶対にそう思っているだろ?

他の人が飯食いて〜っていっても、もしかすると嘘かもしれない。

簡単に言えば唯一信じられるのは、自分だけだ。

ということ。

しかし…ここでまた一つ疑問が生じる。

本当に自分に意識は、あるのか。

自分は、意識があると思ってるように感じられてるだけで本当は、そこにある石ころと同じかもしれない。

ニュースで誰々が死んだやら、戦争があった、やら。

それは、本当か?

よくそのニュースを見て悲しめるなぁ。

この世には、信じられることなんて一つもないのに。

だからもしかすると人を殺しても周りは、どうもしないのかもw

疑った?ならやってみたら?w

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地球は、何やってもいい世界 3.14 @3140905

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