その229 感染爆発

 むろん、駅舎に入った時点で、なみなみならぬ事態が発生していることには気づいていた。


――この拠点……もう、駄目かも知れない。


 サブモニターにはいま、びっしりと赤い光点が蠢いている。

 巷に“プレイヤー”が溢れている昨今。

 人類がほぼ、“ゾンビ”を克服しつつあるこの時代において、ここまで逼迫した感染爆発を目の当たりにするのは、久しぶりだった。


 いや。

 むしろ……都内に存在するいずれかのコミュニティがこういう結末を迎えるのは、ある種の必然と言えるかもしれない。


 伝え聞くところによると、“中央府”は現在、SF小説に登場するディストピアじみた管理態勢で“ゾンビ”発生に備えているという。


 都内だけだ。

 “ゾンビ”に対する備えが、いつまでも中途半端なままなのは。

 それもそのはず。ここは“プレイヤー”の聖地メッカだ。

 もし、困ったことがあっても……近場にいる“プレイヤー”が何とかしてくれる……そういう、甘えにも似た考えが根付いているのだろう。


――だとしても……原因はなんだ?


 PCの録画を見直し、どのタイミングでゾンビが発生したのかを調べる。


――最初の一匹は……三十分前か。


 たぶん、工藤さんと連絡を取っている間の出来事だ。

 そしてその一匹が、数分ほどで数十体に増加……ふむ。


――これ、噛みついて増えたにしては早すぎるな。


 顎に手を当て……考え込む。


 気になるのは、もう一点。

 どうもさっきから、“ゾンビ”の増殖に歯止めがかかっていない。

 これはつまり、、ということだ。


 ここを根城にしている“ランダム・エフェクト”は、ならず者の集まりと言って良い連中だが――、身内の感染爆発を放置しておくほど愚か者ではない。


――どうもこれ、……なんか妙だ。


 まず、僕が疑ったのは……この件、夢星最歩の差し金ではないか、ということ。

 彼女にそれをするメリットはないように思えるが、――正直僕は、夢星最歩という人格そのものに疑いを持ち始めている。


 たぶん彼女、正気じゃない。

 何をしでかすか、見当もつかない。


 そんな風に思えたのだ。


『えーっと。そんじゃこれから、どうしますの?』


 困惑顔の、最歩。

 少なくとも僕にはそれが、演技には見えていない。


『むろん、ジンメイキュウジョがユウセンだ。“ショウフころし”のソウサは、あとまわしにする』

『うん。ですわよねー』


 そう言って僕は、使役下の個体――“ミント”に武器を構えさせた。


『おまえは、どうする?』

『うーんと。――それじゃ、乗りかかった船ですし。お手伝いしよーかな?』

『……そうか』


 すこしばかり、意外な提案だ。

 この女に、人命を尊重するような発想が存在しているとは。


『……えっと。ちなみにこの行動は、私が“ゾンビ使い”さんの好感度を稼ぎたいからであって……その。普段はあんまり、こーいうことしないんですよ? 特別なんですよ? その辺ちゃんと、わかっててくださいね?』


 ………………。

 なんだその、恩着せがましいセリフは。

 むしろその“好感度”とやら、めちゃくちゃ下がったぞ。


 そして最歩は、マジシャンが宙空から棒を取り出すような早業で――一振りの日本刀を掴み取る。


――これは……。


 情報だけ、すでに聞いていた。


――“さしたる用もなかりせば”。


 詳しい理屈はわからないが、任意のタイミングで安全地帯に脱することが可能になるという、強力な武器らしい。


『ひとつ、きいてもいいか』

『はい』

『おまえのその……アイテム。どうやって、てにいれた?』

『うふ。うふふふふ。ひみつです。さすがにそれは、教えてあげなぁい』

『…………そうか』

『でも、ヒントくらいなら、差し上げてもよろしくってよ』

『?』

『“ゴールデン・ドラゴン”を、ゲットしたのです』

『?????』

『うふふふ。わかんないでしょう。わかんないですよね? うふふふふ』


 …………………………。

 攪乱情報、だろうか。


 一時の、思考停止。


――まあいい。


 いまは、ゾンビのせん滅を優先せねば。



 そうして僕は……砂糖たっぷりの珈琲をぐびり。


――手慣れた作業。


 正直、そういう感覚がある。


 都内に存在する“ゾンビ”の一掃に手を貸したのは、今から一年ほど前のこと。

 すでに僕は、ゾンビ退治の専門家と言って良い。


 まずは、操作中の“ミント”を自動操縦に切り替え。

 のちに、中枢にいる個体を“使役下”に置き、内側と外側、挟み撃ちの格好で敵を掃討していく作戦だ。


 現状、僕の《死人操作》は、二枚のモニターを使ってゾンビを管理することが可能だ。

 普段は気が散るだけなのであまりやらないが、現在は最歩を見張る必要があるため、有効な手段になっている。


――よし。やるか。


 一瞬、ガチャ運の神様に祈りを捧げ……。

 《死人操作》UIを起動。赤い光点の密集地帯の中にいる、比較的孤立した個体を選択する。


 マウスをクリック――すると、食卓に突っ伏した格好で倒れていた、二十代後半くらいの男“ゾンビ”が選ばれた。


「………………ふむ」


 眉を、潜める。

 室内は、四畳半ほどのスペース。労働者階級。一人暮らし用の一般的な部屋だ。


「やはり、噛まれて増えた感じじゃない」


 そう思って、食卓の上を眺める。

 ドス黒い、血液のジャムが塗りたくられた昼食は、みたところまだ温かい。

 マウス操作で視線を動かして。


 そして――。


「たぶん、これか」


 薄緑色の茶葉が浮く、透明なガラスコップに、注視する。


 確信は、ない。

 だが、なんとなく……他に原因はない。そう思えた。


 恐らくは、飲料水。

 土産物屋で配られる、住民用のお茶に――“ゾンビ”の血液が混入されている。

 男は、それに気づかず、お茶を飲んだ……と。


 それがこの、感染爆発の原因だ。


 眉を、ひそめる。


――仮に、この推測が正しいとして……。


 それをするメリットがある人間。

 誰だろう。

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