間章1
第58話 SS01 『ベーシックインカムへの道』との出会いを語ります。
ジョブ【名君】を授かってから一年後――アレクセイが十一歳のときの話だ。
「今日も書庫でお勉強ですね」
スージーがアレクセイに気安い調子で問いかける。
「ああ、【名君】が役に立たない以上、僕には知識しかないからね」
ジョブは使い道もわからず、父や弟のような戦う力も持ち合わせていない。アレクセイはリドホルム家の跡取りをとっくに諦めていた。
次期当主は弟のオルヴァンに譲り、自分は内政面でサポートするつもりで勉学に励んできた。
リドホルム家の書庫は一階と地下一階の二層構造になっており、一家を立ち上げた初代侯爵の時代から集められた膨大な書物がすべて蔵されている。
「今日は地下で掘り出し物がないか、探してみるよ」
「よーし、お姉ちゃんも頑張りますっ。どっちがいい本を見つけられるか競争ですっ!」
比較的新しく、重要な書籍は一階に置かれている。
一階の書籍はおおむね調査が終わっている。
たまには気分転換と、二人は地下に向かった。
「なにか、呼ばれる気がする」
理由はわからなかったが、なにか運命のようなものに惹かれるようにして、二人は本棚の奥へ奥へと進んでいった。
そこで書架に眠る一冊の本を手にとった。
その本は見知らぬ文字で書かれていた。この世界のどの言語とも異なる文字だった。
パラパラとめくってみても、なにが書いてあるかわからない。
ただ、最初のページだけはアレクセイの知っている公用語で書かれていた。
アレクセイは吸い込まれるようにして、そのページを読み始める――。
我が子、我が孫、我が子孫よ――。
この本は私の遺書だ。
私が
この本には
正しい道を歩まんとする者でなければ、この本にはたどりつけない。
この本と出会えた君には、我が遺志を伝えたい。
私はこの世界で生まれた人間ではない。
こことは別の『チキュウ』という世界、『ニホン』という国で、私は生まれた。
この世界とは異なり、理性と科学が支配する世界だ。
文明も政治もここよりもはるかに進んだ世界だ。
だが、その世界でも正義の実現にはほど遠かった。
私はこの世界で、正義の実現を目指した。
だが、私には力が、時間が足りなかった。
私が目指したのは――ベーシックインカム。
誰もが、人が、人として生きることできる社会だ。
君には私の無念を果たしてもらいたい。
正しき道を歩み、正しき行いをなしてもらいたい。
この本を私の母国語――『ニホン語』で記したのには理由がある。
この世界の政治哲学で『ベーシックインカム』という概念を正しく理解するには、いくつもの段階を超えなければならない。
この世界の言葉でそれを記しても、その真意をつかむのはほぼ不可能だろう。
この本の隣に『ニホン語』の辞書・文法書を添えておいた。
それを手助けにこの本――『ベーシックインカムへの道』を解読して欲しい。
一行一行読み勧めることによって、我が世界の政治哲学の歴史を一歩ずつたどることができる。
容易な道のりではない。
だが、それでも、正しき道を歩まんと欲すならば、ぜひとも、この本を読み終え、君なりの答えを見つけて欲しい。
その先にあるものが『ベーシックインカム』であれば幸いだ。
だが、私と異なる答えにたどりついても構わない。
君が正しいと思う道を歩んでくれ――。
その日からアレクセイはスージーとともに、その本の解読に取りかかった。
その過程は新しい言語の習得であるとともに、未知の概念との格闘でもあった。
――アレクセイの常識では理解が難しい諸概念。
ホッブズ、ロックの『社会契約』。
ベンサム、ミルの『功利主義』。
ロールズの『正義論』。
異世界で数百年をかけて議論されてきた諸概念。
それらを学び、自分の頭で考え、スージーと論を交わす。
数年かけて、アレクセイは結論にたどり着いた。
まだ、完全に理解できたとは言い難い。
それでも、歩むべき方針は定まった。
――『ベーシックインカム』の実現。
成人したその日、アレクセイは初代の遺志を継ぐと固く心に誓った――。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
しばらくは週一回程度のSS投稿になります。
次回――『スージーのおねだりです。』
8月6日の更新です。
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