百五十六話 初めて

 エレベーターの中は、入るだけで否応でも相手を意識せざるを得ないような狭さだった。

 ただでさえ狭いのに、二人ともリュックを背負っているからなおさらきつい。

 よくよく考えてみれば、これはそういう2人だけがちょうど利用するように設計されたものであって、スペースがその程度なのは当たり前なのだった。


 無言で選んだ部屋の階数を押すと、箱が上昇を開始した。

 城ヶ崎の不安げな眼差しが扉を見据える。


 間も無く3階に着き、おそるおそる足を踏み出す。

 レディファーストとするには城ヶ崎があまりに動き出そうとしなかったので、俺が先陣を切った。


 部屋の番号が頭からすっぽ抜けていたが、ライトが灯っていたのですぐにわかった。

 分厚めの扉を開け、中に入ると普通のビジネスホテルではなさそうな、やや高級そうな内装が視界に飛び込んでくる。


 ベッドの近くに荷物を下ろし、端に腰を下ろすと大きな息が漏れた。

 ベッドは当然ツインベッドなどではなく、2人どころか5人でも寝れそうな幅の広いものだ。


「とりあえず、お疲れさん」


 遅れて入ってきた城ヶ崎に一声かけると、城ヶ崎も荷物を置いて、行き場を探すようにあたりを見渡した後、ベッドの端に座った。俺とやや間を空けた位置だ。


「ほんと、疲れたよ。長旅は向かないね」


 腕時計の時刻を見ると、すでに10時を過ぎていた。

 たくさん歩いたわけではないが、慣れない場所に長時間身を置いたことで全身がこわばっている。城ヶ崎も同じだろう。


「このまま寝たいところだが、先に風呂入るか」

「うん」

「お先にどうぞ」


 俺が促すと、城ヶ崎は少し固まっていたが、その後腰を上げて荷物に行き、中を探り始めた。

 着替えでも探しているのだろう、俺は目線をずらしてその範囲で部屋の内装を観察する。


 しばらくして、城ヶ崎の上擦った声が聞こえてきた。


「ぬ、脱ぐから、見ないでね」

「……おう」


 たしか、入口の扉から入ったところがすぐに洗面所と風呂場となっていた。

 風呂場のすぐ横で着替えたとしても、ベッドの方から見えてしまう位置だ。


 やがて歩く音、歯磨きの音、衣擦れの音、風呂の戸が開く音がして、シャワーの水音が耳に届く。


 俺はなんとも言えぬ緊迫感に襲われながら、部屋の中をぐるぐると旋回して過ごした。

 クローゼット、テレビ、トイレ、冷蔵庫、引き出しなどを無駄に見て回って、そしてベッドの脇に置かれた小箱が目にとまる。


 これはもしや、と蓋を開けると、真四角の封に入ったものがあった。


「……」


 なるほど、やろうと思えばできるんだな……

 などと冷静に状況への理解が進んだところで、風呂の戸が開く音が響く。

 

 慌ててゴムを元に戻し、俺は何事もなかったかのように元いたベッドの端に着席する。


「待たせたね」

「いや、全然」

「?」


 城ヶ崎はガウンに身を包み、火照った頬をタオルで拭いている。

 ガウンはサイズが全然合っておらず、かなりオーバーサイズになっている。


 城ヶ崎はベッドに腰掛け、髪をいじっている。僅かに先ほどよりも距離が近い。

 その濡れた髪、桃色に染まった肌、とろんとなった瞳を見ていると理性がおかしくなりそうだったので、俺は城ヶ崎から視線を外した。


「じゃ、俺も入るから……」


 そう言って遠慮がちに立ち上がり、同じように風呂の横で着替える。

 風呂はここも二人で入れるようになっているのだろう、当然のように広かった。

 無心になれと心の中で呟きながら、体のあちこちを綺麗にする。

 いつもよりも念入りになっているのは気のせいだろう。


 そして長くかかったような短かったようなシャワーを終え、歯磨きをし、城ヶ崎と同じくガウンに着替える。

 俺の背丈であってもちょうどいいくらいのサイズは、やはり城ヶ崎には大きすぎるようだ。


「待たせたな」


 言ってから、冷静に考えて、何を待たせたのだろうと思ってしまい恥ずかしくなった。

 先に入った城ヶ崎が待たせたというのはわかるが、後から入った俺が言うのはまるで……


 しかし城ヶ崎は何も言わず、ベッドの端で曖昧な視線を一瞬寄越して、再び足元を見るようにその細面を俯けた。


 俺が横に座ると、奇妙な緊張感が走り、どうにも気まずくなる。


「今日のうちにやっておくことは、ないな」

「うん。多分」


 謎の確認をして、再び沈黙が降りる。

 独特のシャンプーの匂いがお互いから漂っている。


「じゃ、寝るか」

「……うん」


 とにかく今日は、疲れている。

 それだけは確かだ。

 絶対に早く寝た方がいい。


 ベッドルームの天井の電灯を消し、風呂と洗面所の電灯を消してあたりが暗くなっても、ベッドサイドにも灯りが用意されており、完全に暗くはならない。


 二人ともベッドに半身だけ入りながら、しかし一定の距離を保ちながら、どちらが最後の電気を消すか見合うような時間が通り過ぎる。


「ねぇ」

「ん? どうした」


 城ヶ崎の甘やかな声に胸の鼓動が跳ねたが、できるだけ反応しないように、ゆっくりと答える。


 すると、城ヶ崎が布団に顔を覆って、小さな声でつぶやく。


「寝る前に、その、キス、する?」


 あまりの可愛さに、悶え苦しむ。

 この場所にきて、エロいことしか考えていなかった俺からすれば、もはや罪悪感まで湧いてきていた。


「……しようか」


 ベッドの上を移動して、城ヶ崎のもとまで体を寄せる。

 城ヶ崎は布団を被ったまま、体を縮こまらせている。非常に可愛い。


「寝たまま?」

「……、起きる」


 城ヶ崎は身をもぞもぞと動かして、上体を起こした。


 目の前に、赤く染まった顔が待ち侘びるように差し出される。


「ん……」


 唇を重ね合わせる。

 最初は啄むようにして、こちらが求めるとさらに深く返ってくる。

 舌先が触れ合って、今まで押さえていたものが堪えられなくなったように、長い口付けをする。


 体温の熱とともに、自分のものか相手のものか区別はつかないが、歯磨き粉の風味がした。


 そのままベッドに身を倒すと、唇を離して、城ヶ崎がぎゅっと抱きついてくる。


 こんなに長くしたのは初めてだし、恥ずかしいのだろう。

 顔は見えないが、耳まで真っ赤だ。


 抱きしめ返す前に、体が冷えそうだったので、隠す意味も込めて、布団を引っ張って体にかける。


 少し経って、城ヶ崎は俺の胸元から顔を上げて、上目遣いで俺を見た。

 その視線はチラと布団の中の方、俺の足元の方へと向けられる。


「あの、大きくなってるけど……」

「……」


 俺の方が恥ずかしすぎる。

 ベッドの中で、体に触れられてしまった。


「したい……?」


 城ヶ崎の甘えるような声が、耳元で囁かれる。

 

 普段、学校などでは決して聞けないような、とろけるような声。


「しないの……?」


 その声色に不安が混じり、ますます自分の心音がうるさくなった。


 こんな可愛い子を前に、紳士ぶってなどいられるものだろうか。


「……します」


 我ながら情けない声で返事をすると、城ヶ崎がもう一度力強く抱きついてきた。

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