通信回復
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──通信回復
的矢は通信を何度も試みていた。
『アルファ・リーダーよりアルファ・セル、ブラボー・セル。応答せよ。アルファ・リーダーよりアルファ・セル、ブラボー・セル。応答せよ。畜生。誰も聞いてないのか?』
戦術脳神経ネットワークとの接続も切断されたままだ。
《ダンジョンには特殊な空間歪曲効果があるから。もうちょっと上層に行けば通信も回復するかもしれないよ》
そうだな。ここは純粋なダンジョンだ。
桜町ジオフロントは地下50階層までの構造。ここは50階層より地下だ。
ここからはダンジョンが上層を飲み込んで作ったエリアとなる。そこで起きることは予想できない。何が起きてもおかしくはないのだ。
通信途絶ぐらいで済んでいるのはマシな方だ。あの市ヶ谷地下ダンジョンのような地獄はまだ広がっていない。
いや、ダンジョンカルトならば存在してる。
狂気の度合いは地下に潜れば潜るほど上がる。狂気の支配する世界になっている。
同じ人間を襲って食う人間。化け物に我が身を捧げる人間。生首で作られたトーテムポールのようなオブジェ。骨と肉と臓腑で作られた魔法陣。
吐き気を催す光景にも戦闘適応調整を受けていればさほどショックは受けない。だが、こうもまざまざと狂気を見せつけられるのは、戦闘適応調整を受けていてもじわじわと狂気が頭に侵食してくる気がする。
親子の方は無言で付いてきている。的矢が落ち着いているのが幸いなのか、親子の方も取り乱すことは少なくなった。だが、ときどき母親の方が正気を失いかけている。このままだと時間の問題だ。
『……ツーより、アルファ・リーダー。応答せよ。アルファ・ツーよりアルファ・リーダー。応答せよ』
そんなときだった突如して途絶えていたはずの通信が回復した。
『アルファ・リーダーよりアルファ・ツー。聞こえるか?』
『アルファ・リーダー。こちらは現在57階層です。サイレンの音が聞こえます。サイレンが響いています。誰もがサイレンの音を聞いています』
『何を言っている、アルファ・ツー』
『世界の終わりです。地獄はそこにある。暖かさを感じる。サイレンの音が聞こえる。亡者たちが這い上がってくる。下半身のない男女が踊っている。タップ、タップ、タップ。地獄はそこにある。ここはあまりにも冷たい……』
『状況を報告しろ、アルファ・ツー。冷静に状況を報告しろ』
突如として生体インカムから狂った笑い声が響く。
『サイレンの音、音、音。冷たい。冷たい。冷たい。寒い。寒い。寒い。ああ、地獄はそこにある。地獄はすぐそこにある。下半身を斬り落として踊りの輪に加わろう。サイレンの音が聞こえる。ここは冷たい』
『クソが』
電波ジャックだ。そう、的矢は判断した。
しかし、量子暗号通信だぞ。どうやって割り込んだ?
《ここはダンジョン。そして、ここは最下層により近い。不思議なことなど何もない》
そうだったな。なんでもあり得るって話か。
《なんでもあり得るってのが困りものなんだけどね。ボクがいくら悪魔でも地上と地獄の力関係が捻じれた空間では何が起きるのか、完全には予想できない》
お前にも分からないことがあるのか。
《当り前だよ。この世に全知全能の存在なし。この世は常に不完全で予想不可能。創造主は消え去り、神と天使と天国、悪魔と地獄だけが残った。創造主が戻った時、彼はこの世界をどう思うだろうか? 不完全な出来損ないとして最初からやり直すために初期化するってこともありえるかもよ》
ノアの箱舟か?
《それの全宇宙版。創造主がどこに消えたか、誰も知らない。天使たちは主の言葉に従っている。確かに彼女たちは創造主が残した神という名の超越的上位存在のメッセージに従っている。神は存在するよ。ただし、凡庸な上位存在だけどね》
凡庸なのか、超越的なのかはっきりしてくれ。
《創造主が作った神だ。確かに偉大ではある。悪魔にとっての敵ではある。だが、ボクのようなオリジナルを除く悪魔を作ったのも創造主なんだ。結局は、なんていうのかな。自作自演? 作られた悪魔は神の偉大さを証明するための舞台装置。それは超越的であるけれど、作られた存在としては凡庸だ》
日本情報軍の桜を付けたお偉いさんたちと同じか。持っている権限は立派なものだが、所詮は権力を握っただけの人間。
《そだね。そういうこと》
人間社会と変わらんとはな。だが、オリジナルの悪魔とはなんだ?
《創造主とともに生まれた存在。創造主のように世界を作ろうとはせず、堕落したものたち。そうさ。ボクのようなオリジナルの悪魔は堕落しきっている。で、ボクたちを観測する世界の人間がボクたちのことを何と呼ぶか知ってる? 『多元宇宙的恐怖』だってさ。堕落した力とは恐怖なのさ》
核のボタンを持って堕落した独裁者みたいなものか。
《嫌な例え話だけどその通り。天使たちですらオリジナルの悪魔は避けて通る》
天使様はダンジョンに舞い降りちゃくれないのか?
《どうだろうね。彼らは一定の距離を人間と置くことにしているから。それに今の君にはボクがいるだろう? 彼らにとってしてみればネズミがネコのケージに近づくようなものなのさ。ただ、ね》
ただ、なんだ?
《地獄にボクたちが攻め込むときには力を貸してくれるかもしれないよ》
そうかい。相当先の話になりそうだ。俺が定年を迎える前にできればいいが。
《きっと大丈夫》
恐らく大丈夫。
またレイスとゾンビとダンジョンカルトを射殺して的矢たちは進む。
『アルファ・リーダーよりアルファ・セル。応答せよ』
的矢は通信を試み続ける。
いくらラルヴァンダードが近くにいたとしても、彼女には実態がないし、彼女は的矢の指揮下にあるわけではない。日本情報軍の人間ですらない。
先ほどの不気味な通信といい、的矢の精神もじりじりと摩耗しつつあった。
『ブラボー・リーダーよりアルファ・リーダー。聞こえるか?』
『アルファ・リーダーよりブラボー・リーダー。聞こえる』
応答したのはブラボー・セルの北上だった。
だが、まだ油断はできない。先ほどのように突如として狂った通信になる可能性があるのだ。それにどうしてアルファ・セルではなく、ブラボー・セルが応答する?
『アルファ・リーダーへ。通信設備を強化中。そちらは本物のアルファ・リーダーだろうな、的矢大尉?』
『ああ。本物だ。そっちこそ本物か、北上中尉』
『どうやらお互いに本物のようだ。妙なジャミングが発生するようになったから、その波形を排除した通信インフラを設置している。アルファ・セルは一時撤退した。ブラボー・セルが52階層で作業に当たっている。そっちは何階層だ?』
『分からん。まだ戦術脳神経ネットワークから遮断されている』
『待ってくれ。もうすぐ機材が設置し終える』
そして沈黙が流れる。
また狂った声が流れ出すのではないかと的矢は身構える。
サイレンの音。冷たい。寒い。地獄はそこにある。
《大丈夫。今度はきっと大丈夫》
恐らく大丈夫。
『ブラボー・リーダーよりアルファ・リーダーへ。戦術脳神経ネットワークが繋げるはずだ。試してみてくれ』
『繋がった。現在地を把握している。54階層だ』
『迎えのリムジンは必要か?』
『民間人を連れている。援護を頼みたい』
『了解。迎えを送る』
よし。これで救出の目途が立った。的矢はそう安心した。
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