第2話 イメージと違う


 放課後になり、急いで涼羽のいる1年3組に走ったが教室にはもういなかった。毎週水曜日は風紀委員会の集まりがあると言っていたし、多分そっちに行ったんだろうな。

「・・・風紀とかどうでもいいって顔してるくせに」

 中学の頃から制服の裾にイヤホンを通して授業中に音楽聞いているような人間が風紀委員だなんておかしな話だ。

 本人曰く、内申点が欲しいけど部活続けるのは怠いからとりあえず委員会入った、とのことだが、本当は上級生と仲良くなってテストの過去問をゲットして楽したいとかそういう理由だろう。10歳の頃からの付き合いの僕にはわかる。

 さて、いつもの僕だったらこのまま家に帰っていただろう。ただ、昼休みに涼羽に言われた言葉が後ろ髪を引いた。


『感謝してるなら一日でも早くそれを先に伝えなきゃ』


 正直これを言われてドキッとした。もう入学してから十日以上経つのだから遅すぎるくらいだ。一年生の涼羽が噂を耳にするくらいの有名人、探すのに時間がかかったなんて言い訳もできない。思いついた以上は一刻も早く会いに行くべきではないだろうか。

「とはいっても、放課後までいるとは限らないよな」

 B棟屋上にいることが多いという情報だけじゃ、簡単には会えないかもしれない。一応今日行ってみて、駄目だったら明日の昼休みに再チャレンジしてみよう。

「まぁ、どうせ放課後にはいないだろうし」

 心の準備ができていないので出来ればいないでいて欲しいと相反する望みを抱きつつ、B棟へと向かった。




 空き教室でパート練習をする吹奏楽部と目が合って気まずくなりながらたどり着いた屋上へ続く階段は、ここだけ空間を切り取ったかのように人気が無い。窓から見えた校庭に、体育座りの集団を前に高跳びを始める選手が見えたことで今日から体験入部が始まった事を思い出す。

 こういうところで出遅れるから友達が出来ないんだと自分のいい加減さと間の悪さとヘタレさと、ついでに女顔を悔やんだ後、部活の事はあとで考えることにして僕は屋上の扉の前に立った。

 重苦しい扉にはすりガラスの窓が付いており、これではこの先に人がいるのかはわからない。そもそもカギは空いているのだろうか、さっきも思ったけれど高校の屋上がいつでも入り放題なのはフィクションの世界だけだと知っている。

「どうせいないだろうし」

 多分二回目の独り言を呟いてから、僕はドアノブに手をかけた。


 がちゃり、と予想外というか予想通りというかよくわからない音を立てて、少しの力で扉を押すと自然光が視界に入って来た。

「ど、どどどどうしよう、開いちゃった」

 数秒遅れて状況を理解した時にはもう扉は殆ど開いていて、今更引き返すなんてできなくなった。

「あれ、屋上って上履きのままでいいんだっけ、靴脱ぐんだっけ?」

 コンクリートを上履きで踏みしめるなんとも言えない感覚に混乱しながら、屋上に足を踏み入れた。


 さらり、とまだ冷たい四月の風が沸騰しかけた僕の顔にあたる。反射的に空を見上げると太陽が柔らかな日差しで校舎を照らし、所々にある何かの形に見えそうな雲がそれを邪魔したりしなかったりしていた。

 周囲から聞こえる控えめな掛け声は多分どこかの運動部のもので、それに管楽器のチューニング音がまじる。当たり前で予想通りの風景に、そういえば屋上というものに初めて入ったかもしれない、と思った。

 こんな簡単に入れるなら、涼羽とのお弁当はここで食べたいなとか、夜中にここで星が見られたら素敵だなとか、一通りどうでもいい事を考えた後にふと我に返る。

「だ、誰か」

 屋上が開いていたという事は、ここに先輩が・・・。

「・・・」


 辺りを見回す必要は無かった。手すりに寄りかかり遠くを眺めている一人の女子生徒がそこに立っているのが目に入ったからだ。

 派手ではあるが決して下品には見えないワインレッドの長い髪をうっとおしそうにしながら、短いスカートが風になびくのを気にもしないで彼女はタバコの火を上履きで消し潰した。

「・・・って、タバコ!?」

「あぁ?」

 驚いて思わず声が出て来てしまった自重しない僕の口。と、同時に背後でガチャリと音を立てて閉まる扉。明らかに朗らかではない声色で威嚇しながらこちらを振り向く女子生徒。

「は? 誰だ、お前」


 無造作に自由気ままにはねた濃赤色の髪。口元を覆う黒いマスク。そして耳には複数のピアス、軟骨ピアスまでついている。スカートは短く何故か足元は裸足で、上は第三ボタンまで堂々と開けたワイシャツの上にド赤いスカジャン。ご丁寧に金の刺繍で虎の顔まで描かれている。


 これはまさか・・・。

「ヤンキー!?」

 慌てて自分の口を両手でふさぐが、既に目の前のヤンキーは鋭い眼光で僕を刺し殺さんばかりの威嚇をしている。

「おい、今なんつった?」

「ひえぇ! 喋り方柄悪っ!」

「なんだおいてめぇ、馬鹿にしてんのか」

 当然も当然だが、脳みそがバグって感想が全部口から出るマシーンと化した僕に相手は激怒している。鬼の形相でズカズカと近づいてくるその歩き方の時点で、肩で風を切っているようですごく怖い。あ、でも意外と声は可愛い。

「ごごごごごめんなさい、馬鹿にしてないです、間違えたんです、嘘です」

 もうわけがわからない。パニック。なんで憧れの先輩に会いに行ったのに僕はヤンキー女に絡まれているんだ。

 大体こんな真面目な高校になんでテンプレヤンキーみたいな人がいるんだ、今令和だぞ。

 令和にもヤンキーっているの? 成人式でカラフルな袴とか着ちゃうの? 女の子の場合は花魁風とかになっちゃうの?

「あの、悪気があるわけではなくてですね、あのですね、僕は金雀枝先輩って人に用事があって・・・」

「は? あたしはお前なんて知らねぇぞ」

「いや、だから金雀枝先輩に」

 なんですかこのヤンキー女は、日本語が通じておいでではない?

 その読解力でどうやってこの高校は入れたんですか。

「あたしだろ。金雀枝大和」

「はい?」

 親指を上げるサムズアップの形を斜めにくいと曲げて、自分を指さしているみたいなポーズをとるヤンキー。

「金雀枝・・・先輩?」

 腰まである長い赤髪。上級生。鋭い目つき。

「あたしが金雀枝大和だ。なんか用か」

「金雀枝先輩!?」

「うわっ! 急に近くでデケェ声出すなよっ」

 違う。違う違う違う。

 僕があの日に出会ったのはこんな粗暴なヤンキーじゃなかった。見た目は確かにそっっっっっっっくりではあるけれど、もっと上品で落ち着きある、「これが高校生か!」と中学生のがきんちょが感嘆してしまうような大人っぽい先輩だった。

 ―――だった筈なのだけど、パニック状態の頭のメモリをなんとか目の前の人物解析に割くと、考えれば考える程あの日の先輩が目の前のヤンキーに繋がる。

「えぇぇ・・・」

 涼羽の言った通り美化されていた俺の理想イメージと目の前で仁王立ちする現実とのギャップに思わず肩を落とす。

「な、なんだ急にがっかりした顔して。なんなんだよお前」

 じゃあ僕があの日見たのは幻? それとも蜃気楼?

「人の顔見て驚いたりがっかりしたり、失礼な奴だな」

 そう言いつつも、僕のあまりの奇行に怒りより不信感が増してきたのだろう、眉毛をハノ字にして奇異なものをみる目を向けている。うん、二度見してもあの人と同一人物だ。


「あの、金雀枝大和先輩?」

「そうだ」

「双子の姉妹とかいたりしませんよね?」

「一人っ子だけど? 本当になんだお前。どっかであたしと会った事あるのか?」

 散々緊張したり、調子に乗ったり、期待していたのにこの結果は残念過ぎる。憧れの先輩は実はヤンキーで、しかも相手は僕の事を覚えていない。リアルとはなんて世知辛いものなんだろう。

「―――実は僕、入試の時に金雀枝先輩に助けてもらったんです」

 とまぁ、世知辛いリアルを恨みはしたけど。相手がヤンキーだろうとあの日のお礼を言いたい気持ちは変わっていない。寧ろ上級生ヤンキーに自分から話しかけるという大きなハードルを越えて、ここから僕は大きく成長するくらいの気持ちでいなくては。


 ちょっと無理やりだけどポジティブな気持ちに路線変更して強引に話を続けてみる。

「その時のお礼を言いたいと思って、先輩に会いに来たんです!」

「・・・入試? なんのことだ」

 その単語を聞いた途端、先輩の表情が曇った気がした。

 それは覚えがないというより、思い出したくないとか知られてはまずいと言っているようにも見える何処か不穏な空気を漂わせている。だが、ここで引くわけにはいかない。

「入試の時。僕、臆病になってて、受験を諦めようとして教室から逃げ出してしまったんです。でも、先輩が背中を押してくれたおかげで無事最後まで試験を受ける事ができたので―――」

「知るかそんなの、忘れろ」

 そして、唸るような低い声で僕の言葉は遮られた。

「入試の時の話なんて、あたしは知らない。もう二度と顔を見せんなよ」

 今度ははっきりと悪意のある言葉と表情で俺を刺し、その場で固まる僕の脇を強い歩調で横切って、あっという間に金雀枝大和先輩は屋上から出て行ってしまった。


「な、なんで?」

 ぽつんと屋上に取り残された僕。覚えていないと言いつつも、入試の話を切り出した途端明らかに挙動不審になった先輩。

「なんかマズい事言っちゃったのかな・・・」

 結局感謝の気持ちを伝えることが出来なかったし、それどころか怒らせてしまった。誰がどう見ても今回のミッションは失敗だ。

 先輩が怒った原因はわからないけど、もう顔を見せるなと言われてしまった以上は深追いしてはいけないのかな。結局お礼を言いたいのは僕のエゴだし、本人が嫌がっているのにさらに付きまとうのは失礼だ。

 また一歩遠ざかった「頼りになる僕」の像を脳内で遠くに見つめながら、改めて見上げた空は僕を馬鹿にするみたいに張り付いた晴れ模様だ。

 自分の過去を理由に友達作りから逃げて、部活にも委員会にも入ろうとしないで幼馴染にかくまってもらっているヘタレな僕。そんな僕が突然勇気を出したからって上手くいくわけがないんだ。


「・・・・・・帰ろう」

 何も収穫の無い一日を諦めて、身をひるがえし屋上の出入り口の方に身体を向けたと同時。


 ガチャリ、と再び重苦しい音と共に扉が開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る