第65話 夢の続き
あれから、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。
気付けば梅雨も終盤に差し迫り、徐々にその勢いを衰えさえていく。
あれだけ鬱陶しい程降り続けた雨も、そろそろ終わりかと思えば、寂しいものも感じる。
……なんてことは無く、やっと傘を持ち歩く必要がなくなるという点から、なんなら清々しさを感じている。
視点が変われば、物事に対する見方も自ずと変わる。
場所が場所なら、雨は天の恵みとも言えるが、この国ではやはり、雨はただの悪天候でしかない。
この話は、随分前にもした覚えがあるが、今思えど、これに間違いはなかったらしい。
……体調も戻ったし、これからは普通に登校できそうだな。
学校からの帰宅途中、俺は、閉じた傘を手に持ちながら、心中でそう呟く。
体調が悪化して以降、ずっと学校に行けていなかったが、今日は比較的、体調が良好だったので登校してみたのだ。
すると、案外難なく学校生活を送れたので、これを機に復帰しようと思う。
……相変わらず、小林はいなかったが。
唯一の親友である小林の消息は未だ掴めず、その姿を確認することは出来なかった。
行方不明だって言われても、なんだか、あいつならフラッと現れそうな、そんな期待をしてしまう。
……何も言わずに消えやがって。
あいつが急に行方を眩ませた理由は、きっと、あいつの妹が関係していると思う。
あいつは、基本的には俺に何でも相談してくるが、妹のことは滅多に話さない。
聞いても、直ぐに話をはぐらかされるのが常だった。
あいつは、妹のこととなると、どんなことがあろうとも優先するやつだ。
小林の妹は、かなりの難病を抱えているので、確かに、話しにくいデリケートなことではあったのかもしれないが……一言くらい、何かあっても良いじゃないか。
仮にも、『親友』だなんて言っているのだから。
少々のもどかしさを感じながらも、足は家まで歩みを進める。
そう……
「……せんぱい。」
当然のように隣を歩く、銀髪碧眼の少女と共に。
「どうした?」
俺は、その彼女からの呼び掛けに反応し、そう聞き返すと、少女は少し怒ったように口を開いた。
「……今、ボク以外のこと考えてましたよね?」
それはまるで、彼氏の浮気でも問い詰めるかのような瞳で、俺の胸中を見透かし、突き刺す。
「……いや、俺は……」
その瞬間、嫌な汗が体から湧き出し、何か適当な言い訳を口に出そうとしたが……
「……『僕』です。」
唐突に、心音がそう言葉を吐いた。
「……え?」
「……『約束』しましたよね?せんぱいはこれから、自分のことを『僕』と呼ぶって。」
「……それは。」
数日前、体調不良の最中、何気のない会話の中で、確かに、そんなやり取りを交わしたことがある。
それ以来、俺は自分の一人称を『僕』に固定されてしまっている。
初めの方は、新鮮で俺も満更ではなかったが、まさか、一生それだとは思わなかった。
誤って『俺』だなんて言ってしまえば、先程のように直ぐに訂正が入るのだ。
正直、面倒だと思わないこともないが、心音には色々世話になったので、『約束』を無下にするのは少し申し訳ない。
「……『約束』守れないんですか?」
心音は、少し微笑みながら俺にそう問いかける。
……ただ、目は全く笑っていない。
「いや、そんなことはないよ。『約束』は守る。僕は僕だ。」
「……はい、偉いですね♡」
「……ハートは勘弁して。」
俺が『僕』と言うと、心音は満足そうに可憐に笑う。
『俺』の何が気に食わないのだろうか。
それとも、『僕』の何がそんなに良いのだろうか。
俺には、心音の考えていることが分からない。
それは、何ひとつとしてだ。
発言の意味も、意義も。
行動の意図も、理由も。
……俺は、何ひとつとして、この子が分からない。
鼻歌を奏でながら、ただ隣を歩く彼女を、俺は見つめる。
……心が読めたら良いのになぁ。
それは、生きている人間、誰しもが一度は望むものではないだろうか。
叶うはずもない浅はかな考えだが、そんなことが出来れば、生きていく上でとても便利な能力に違いない。
……少なくとも、人の悪意に踊らされることは無くなりそうだよなぁ。
ぼんやりと、呑気にそんなことを考えながら、帰路を辿る。
……愚かな者が、直ぐ傍にある『答え』を悟ることはない。
「……良いことなんて、ありゃしませんよ。」
だからだろうか、小さく呟かれたその声に俺が気付くことはなかった。
「……あっ。」
そこから、少し歩いて家も近くなってきた頃。
目の前から聞こえてきたその声に、俺は思わず足を止め、そちらへと目をやる。
そこに居たのは、うちの学校の制服で、黒髪のショートカットの女。
その見知った顔は、いつもの強気な態度を感じさせない程、狼狽えている。
視線を右往左往させ、かと思ったらチラリとこちらを見る。
一瞬こちらを見るのはきっと、俺と心音の間に繋がれた手を見ているのだろう。
……よく考えたら、今俺って女子と大衆の面前で手を繋いでるのか。
日常的に、手を繋ぐ以上のことをし過ぎたせいか、この程度のことじゃ気にすることもなくなってしまった。
確かに、何も知らない目の前の人物の立場からすると、いきなり俺に彼女ができたのかと思われても仕方がない。
……まぁ、謎なことに彼女じゃないが。
「……どちら様かと思えば、貴音さんじゃないですか。お久しぶりです。お元気でしたか?」
そんな中、心音は、自然な動作で俺の元から1歩離れて、目の前の人物へとそう言葉を投げ掛ける。
……その妙にリアルな動きは勘違いされそうだからやめて欲しいんだが。
「ま、まぁ、それなりには……ね。」
歯切れ悪くそう応えるのは、幼馴染の【加賀美貴音】だ。
「……2人とも、知り合いだったのか?」
俺は、この2人に面識があったことは知らなかったので、純粋な疑問として、そのように2人に尋ねる。
「……まぁ、色々ありまして。」
「……そ、そうね、色々。」
……その『色々』の部分を知りたいんだがな。
しかし、返ってきた返答は、2人揃って言葉を濁したものだったので、あまり詳細な関係は分からないままになってしまった。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
一瞬、沈黙の時間が流れる。
誰もが、何とも言えない空気を纏い、3人の間には気まずい雰囲気が流れ始めている。
「……あー、なんか邪魔しちゃったかも。」
流石に居心地が悪すぎたのか、貴音は目線を逸らしながらそう呟くと、そそくさと足早に何処かへと立ち去っていく。
「……?お前の家そっち方向じゃなくないか?」
学校方面へと向かっていくその背中に、俺は気になって声を掛けたが……
「……そ、そんなことは、今はどうでもいいの!」
貴音は、呼び止めるな!と、言わんような焦った形相でそう言い放ち、今度こそ去ってしまった。
……そんなにも、この場から離れたかったということだろうか?
まぁ、確かに俺が貴音の立場ならば、同じ行動を取っていてもおかしくはないが。
「……せんぱいって本当に……」
すると、心音は呆れた様子で何かを言いかけたがしかし、「……まぁ、そういうところもせんぱいらしくて良いですよね♡」と満足気に呟きながら笑っていた。
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