第60話 予感

空を支配していた雨雲から、数滴の雨水が地へと落ちる。


ポツリ、ポツリと音を鳴らし、唸り声を上げる空は、収まることなく降り注ぐであろう嵐を、予感させた。


「……なんや、お取り込み中なんか?」


ズンズンと、重たい足音を立ててこちらへと向かってくる巨漢。


【鬼塚剛】は、俺と貴音を交互に見て、そう言葉を零す。


「……貴音、教室に戻れ。」


俺は、その場から立ち上がり、すぐ傍らの貴音へと、そう耳打ちする。


しかし、貴音は今の状況を呑み込めていないのか、少々困惑気味に口を開いた。


「な、何言ってんの?私の用事はまだ済んでないし。ていうか、あの人誰?知り合いなの?あまり穏やかそうには見えないけど。」


……まぁ、困惑するのは無理もないだろう。


何せ、自分よりも倍以上大きい巨体がいきなり現れて、口元に笑みを浮かべたまま、こちらへとゆっくり迫ってきているのだから。


とは言え、鬼塚がここへ何をしに来たかが分からない以上、ここに貴音を留まらせておくのは危険だ。


そう判断した俺は、再度貴音へと告げる。


「いいから、早く帰れ。」


「…で、でも。」


「何度も言わせんな。早く行け。」


俺は、怒気を孕ませた声でそう言い放ち、貴音をその場から押し退けた。


「……分かった。」


少し、悲しそうな表情でそう言葉を零した貴音は、俺を心配そうな目で見ながら、この場を去って行く。


「…………。」


最後に、彼女が見せた悲しげな表情が脳裏にチラつき、何故か、ズキリと胸が痛くなった。


「……良かったんか?あの子、離れる時、寂しそうやったで。」


「……誰のせいでそうなったと思ってんだ。」


やがて、鬼塚は俺の目の前に立ち、俺はそいつを静かに睨む。


俺たち2人は、互いに一定の距離を保ったまま、間合いを空けたままで相対する。


降り落ちる雨粒は、先程まで小雨だったのが徐々に勢いづき、大粒のものへと変わってきていた。


「……別に殴りかかろうとしてる訳でもあらへんねんから、そんな警戒すんなや。」


「……じゃあ、何が目的なんだ。」


鬼塚は、俺の態度に対して呆れたようにため息を吐くが、こちらとしては、この男にしつこく付け狙われていた時期があるので、そう易々と警戒を解くことは出来ない。


そんな中、鬼塚は、俺の前で両手を上げ、戦意がないことを表明し、口を開いた。


「ただ挨拶に来ただけや。」


「……挨拶?」


よく分からないことを口走った鬼塚は、何故か、俺に同情するかのような眼差しを向けてくる。


「……お前、ややこしい女に目ぇ付けられたな。」


「…………?」


またもや、よく分からないことを言ってくる鬼塚に、俺は疑心を抱きながらも、その言葉に耳を傾ける。


「……この学校は、たった一人の『悲願』のために作られたって言ったら、お前信じるか?」


「……『悲願』?」


「……そう『悲願』。んで、その『悲願』は、もうちょいで達成されようとしてるらしいわ。」


鬼塚は、至って真面目な表情で、そう語る。


何か、変な冗談を言っているような雰囲気でもないのだが、何を言っているかは、さっぱり理解出来ない。


……確かに、私立の学校ならば、理由はなんであれ、金さえあれば個人的に学校を作ることはできるのだろう。


だが、ここは公立の高校だ。市区町村の運営する至って普通の進学校だ。


それが、たった一人のために。というのは無理がある話ではないだろうか。


「……やけど、俺はあんな茶番に付き合ってられへんわけよ。」


そんな俺の思考は他所に、鬼塚は呆れたように肩を落とし、そう言葉を零した。


「そういう訳やから、俺はこの学校から離れることにしたってわけ。」


当然だろう?と言わんばかりの態度で、鬼塚はそう言葉を吐く。


「……?どういうわけだ?」


そういう訳。と言われても、何を言っているのかさっぱりな身からしてみると、本気で意味が分からない。


「いや、だから今言うたやん、自分聞いてなかったん?」


「……は?」


話が噛み合わない。とは、まさにこのような事を言うのだろう。


お互いの知っている情報に、あまりにも差があり過ぎて、会話が一向に進まない。


……そもそも、『悲願』がどうたらとか、茶番がなんだとか、俺に何の関係があるんだ?


俺は、この学校の『悲願』なんて知らないし、茶番どうたらの話も聞いたことがない。


それに、これらのことを鬼塚の口から聞かされることにも疑問を抱いてしまう。


鬼塚は初めに、ここに来た理由は挨拶だ。と言っていたが、先程の話の流れから察するに、鬼塚はこの学校から転校する。ということで間違いないだろう。


とは言っても別に、俺とこいつは別れを惜しむような仲では無い。


俺は、もっと別の目的があるのではないか。と探っていたが、急に意味の分からないことを言い出したかと思えば、俺に対して意味深な目を向けてきたのだ。


それはまるで、鳥かごの中に囚われた無力な小鳥を憐れむかのよう。


からすついばまれる猫の死骸でも見ているかのような。


可哀想なものを見るような、そんな目だ。


「……まぁ、強いて言うなら、こんな俺でも命は惜しいからやな。」


「…………?」


ポツリ、と呟くかのように鬼塚の口から吐かれた言葉は、地を打つ雨の音に掻き消され、俺の元まで届くことはなかった。


「……雨も強なってきたし、ほな、これで。」


そう言いながら、その巨体の背を、鬼塚は俺に向ける。


「またどっかで会ったら、その時は楽しくお話しでもしようや。……まぁ、じゃないかもしれんけどな。」


最後、顔だけを振り向かせて、そのような意味深な言葉を残した鬼塚は、やがて、校舎の階段まで繋がる扉へと向かって行く。


「……ちょ、ちょっと待て。『今』の俺じゃないって、それはどういう、、、」


「……ちょっとは自分で考えてみぃや。そんじゃサイナラ。」


そして、俺の静止の声も聞かず、そのまま鬼塚は、この場から去ってしまった。


「…………。」


屋上に取り残された俺は、ただ呆然とするだけ。


雨に打たれ続ける体も、冷え込む空気も、気にも留めないまま、ただ、立ち尽くしていた。


























……その様子を覗く気配に気付きもせずに。





































「…………。」


















































































……くだらない。





































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