第39話 妄想の亡者

「……お前が遅刻なんて、珍しいこともあるもんだな。寝坊か?」


隣の席から、そのような声が聞こえてくる。


現在、俺は遅刻の上で学校へと到着し、4限目の授業が始まる前に、教室の自席へと腰を下ろしたその瞬間である。


お前の学校での知り合いはそいつしか居ないのか?と問われそうなほど予想通りの人物からの問いかけに、俺はため息を吐きながら応える。


「……まぁ、そんなところだ。」


「へぇ、マジで寝坊なのかよ。尚更珍しいな。」


少し驚いた顔をしながらそう言葉を零すのは小林だ。


別に珍しいこともないだろうと思ったが、確かに俺は、学校を遅刻したことはこれまでに1度もない。


これまでテストで100点しか得っていなかった優等生が、いきなり赤点を叩き出すみたいなもんだろうか。


ただ違いがあるとすれば、それは他人からの認知度だろう。


俺みたいな、クラスに居ても居なくても大して影響もなさそうなやつが珍しく遅刻したからって、話題にされることなんて、そうそう無いだろう。


「……まぁ、そう卑屈になるなって。お前には俺という親友がいるじゃねぇか。」


「……何も言ってねぇだろ。」


こいつはエスパーか何かなのだろうか。確かに自分のことを貶しはしたが、それも心の中でのことだ。


口には一切出していない。


まぁ、卑屈だと思われるようなことを考えていたのは事実だが。


……というか、スルーしそうになったが、今のは何のフォローにもなってなくないか?


結局俺には、こいつ以外まともに友達と呼べる存在が居ないという何よりの証明であって……


まぁ、もうどうでもいいか……


「そんなことより、もうすぐ中間テストだけど、お前ちゃんと勉強してんの?」


俺は、何となく話題を変えたくて小林へとそう問いかける。


すると、小林は俺のその質問に、フンッと得意気に鼻を鳴らしてこう答えた。


「おう!バッチグーよ!」


右親指を立て、輝く歯をチラつかせながら清々しい笑みを俺に向ける小林。


ちょうど2、3ヶ月前の1年生最後の期末テストでも、自信満々にそう言い放ちながら無惨にも華やかに散っていったことは、どうやらこいつの記憶には無いらしい。


その様子に呆れながらも、とりあえず俺は、「……そうかよ。」とだけ返して、4限目の授業の準備を始める。


次の授業科目は数学。


得意でもなく、苦手な訳でもない。なんとも言えない教科である。


公式や問題の解き方を覚えてさえいれば、そう難しい教科ではない。というのが俺の数学に対する見解だ。


しっかりと授業を聞いていれば、普通に点は得れるので、逆に点数の低い人間は皆、まともに授業を聞いていないのではないだろうかと疑ってしまう。


「そういや、次の授業の数学って、先週の金曜日にできなかった小テストがあるらしいぜ。俺は満点の自信しかねぇけどな。」


……少なくとも、こいつは全く授業なんて聞いちゃいない。


謎に自信ありげに胸を張る小林を見ながら、俺はため息を零す。


小林は、体育の授業の成績こそ目を見張るものがあるが、それ以外はてんでダメだ。お話にならない。


万年赤点は必至。補習なんて数え切れないほど受けてきただろう。


それでも尚、成績が上がる気配など一向に見せやしない小林には、俺はある種の恐怖を抱いているのだが、本人は気にしていない。というか何も考えてなさそうだ。


大学に進学するなら、スポーツ推薦でも受けるのだろうか。などと考えていると、突如、教室の扉が開かれた。


ガラッ!という音を立てながら開かれた扉の先、クラス全員の目に映ったのは……


頭に包帯をグルグル巻いた数学科の教師……【前田隆二】先生。その人であった。

















「ギャハハハ!マジかよww隆二先生!夜中に部屋のなんもない所で1人で転んで頭、打ったてwだっせぇーw」


1人の生徒が声を大にして、そう笑いものにしたのを皮切りに、クラスの皆が前田先生を弄り始める。


「はいはい、先生は所詮ダサいやつですよーだ。」


前田先生は、それをものともしない様子で受け流しながら、小テストを始める準備をしていた。


……先程、教室に入ってすぐの前田先生が語ったのは、先週の金曜日に学校を休んだ理由のようなものだった。


理由自体は先週、他の先生が言っていたので、既に知っていたが、細かい詳細はついさっき声を大にして喋った生徒が言っていたこととほぼ一緒のことを言うが、自宅の寝室で、寝る前にトイレに行こうと思い立ち、立ち上がったところ、1人で盛大に転んで頭を打ったらしい。


そんなこともあるのだなぁ、と話を聞いていた俺だったが、そこでふと、朝に感じた頬の痛みが無くなっていることに気付いた。


さらに、あの不可解な日にち感覚のズレ?とでも言えば良いのだろうか、今日という日が不思議な感覚というのも既になくなっている。


……やはり、今日の朝に感じた謎の数々は全部何かの勘違いが重なったものなのかもしれない、という結論に辿り着き、俺はそこで、これについて考えるのはやめた。


「じゃあ、気を取り直して、早速小テスト始めるぞー」


クラスの賑やかな雰囲気に、終止符を打つように出されたその声。


静まり返っていく教室の中、順調に小テストは開始されるのだった。


















「それにしても、今日の小テストも解答欄全部埋めれたぜ!」


「安心しろ、そのほとんどが間違えてるからな。」


「……お前、夢も希望もねぇこと言うなよ。」


「……テストに夢と希望を求める時点で夢も希望もねぇよ。」


昼休み、数学の小テストが終わった瞬間と同時にチャイムが鳴ったので、そのまま昼飯となった。


普段、昼飯は食べない俺だが、今日はどうやら天気が悪くて屋上に上がれそうにないのと、この前小林と昼飯の約束をしていたのを半ば放り出す形で、鬼塚たちに連れて行かれたということで、今日の昼は2人で飯を食うことにした。


もちろん、当たり前だが小林の奢りだ。


今日も食堂は混むことが予想できたので、急いで食堂の席を取り、食券を購入、今しがた昼飯を食べ始めた次第である。


「いや、でも奇跡が起こって全問正解あるかもしれないだろ?」


「……だから、奇跡が起こることに賭けるなら、初めから勉強しとけっての。」


そして今、俺は小林と先程の数学の小テストについて話していた。


と言っても、別に学術的な話ではなく、ただ単に小林の夢と希望がいっぱいに溢れた、妄想の話である。


俺は、そんな妄想の亡者に付きまとわられる哀れな被害者といったところだろうか。


「誰が妄想の亡者だコラ。」


「……お前って真面目まじめにエスパーなの?」


そんなこんなで、どうでもいい会話を繰り広げながら昼飯を食べる。


そこでふと、こういうのも青春ってやつなのかなぁ、なんて考えが頭を過り、少しだけ感慨深くなっていると、


その時……



「……せんぱい?」



後ろから、最近やけに聞き慣れた声と言葉が聞こえてきた。


まさかと思いながらも、恐る恐る振り返ると、そこに居たのは……


「ふふっ、やっぱりせんぱいですね。」


流れる絹のように、美しく艶のある銀髪。


どこまでも澄んでいて、思わず見惚れてしまうほど、宝石のように綺麗な碧眼


銀髪碧眼の美少女と称されるこの学校の女生徒。


口元に笑みを浮かべる白雲心音が、昼食の乗ったお盆を持ちながらそこに立っていたのだった。

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