サササ
団田図
第1話 アヒル
パチンコ屋から肩を落として出てくる一人の女。
悲壮感が漂い、ふらつく足先はアルコールを取り入れた企業戦士のように、行く当てもなく街をさまよう。
濁った川沿いの道で目線を落として歩いていると、真っ白なアヒルが優雅に泳いでいるのを見かけた。
しばらくそれを見つめていると、翼を広げて空高く飛び立った。
それと同時に女の頬を涙がつたった。
ー翌日ー
「こんには。初めての方かしら?こちらのネームプレートにお名前を書いて胸に張ってください。ニックネームなんで何でもいいですよ」
受付の女性が慣れた手つきでマジックと白紙の名札を手渡してきた。それを受け取った女は3歩右にずれ、壁の模様を眺めながら、どんな名前にしようか考えた。
ほどなくして女は、名札に『アヒル』と書き込んで胸に張り付けた。
ここは、ギャンブルをやめたいと願う人たちが集まり、お互いの話を聞き合う自助グループの集会場。
アヒルは、何度もギャンブルをやめようとしたが、自分ではどうすることもできずにいた26歳の専業主婦。
家族や友人へ相談できずに一人で悩んでいたが、ネットでこのような集まりがあると知って、試したいと思い、参加したのであった。
夫へは、編み物の教室へ体験に行くと嘘をついてきてきた手前、バッグの中には来る途中に買った毛糸が入っていた。
受付の女性に、10席ほどの輪になった椅子の一つに案内をされて座ると、簡単に説明を受けた。
「順番が回ってきたら何でもいいのでお話ししてください。初めてで様子を見たいだけでしたらパスしてもいいですよ」
アヒルは、話すことは何でもいいといわれると困るなと、首をかしげながら考えいると、開始時間が来てミーティングが始まった。
集まった人は全部で6人。年齢も性別もバラバラだ。
アヒルは、自分と同じ悩みを持つと思われる人が集まっているこの状況に、その人たちの顔を見ることができただけで少し心が落ち着いた。
自分だけではないのだと。
初めに話し出したのは50代の男性だった。ここに10年以上も通い続けていて、その間、ギャンブルをやっていないと言っている。
それだけ長くやっていないのであれば完全に足を洗えているはずなのにここへ通っているということは、わずかながらギャンブルへの欲求があるのだろうかとアヒルは考えていた。
二人目は20代の女性だった。彼女はパチンコをどうしても辞められずにこちらへ通うようになったらしい。アヒルは自分と年が近く、同じ悩みであることに、彼女の話に興味を持った。
ギャンブルを辞めてから1年経つがその間、スマホの家計簿アプリを使い始めて、ギャンブルに使うお金の無駄さを思い知り、今は何とか踏みとどまっているが、まだ打ちたい欲求はあるという。
アヒルは家計簿アプリは自分も使ってみたいと思い、忘れないようにとノートとペンをカバンから取り出してメモしようとした。
すると、世話役の女性が口を開いた
「メモや録音はお控えください」
確かに偽名ではあるものの、個人の悩みを記録に残されることは嫌なものだとアヒルは謝りながらノートとペンをしまった。
場の空気が沈んだところで、次のアヒルに順番が回ってきた。
「あ、アヒルです。今日が初めてで、家計簿アプリいいなと思って、忘れないようにメモしようとして、ルール知らなくて、あの、その、すみませんでした」
そう言ってアヒルは緊張と場の空気を悪くさせたことに対する罪悪感から、自分がギャンブルにはまったきっかけや、やめられない理由を話そうと考えていたことが全て飛んで話せず、逃げるように次の人へと順番を回した。
次に回ってきたのは横にいた30代の女性だ。
「あーやっちゃいまいた。半年我慢したのよ。ここに通って半年我慢したのに昨日買っちゃった。馬券。
たぶんいっぱい現金を持ち歩いていたのがよくなかったんだよね。きっとそう。カード決済で買ったヒールを返品したら現金で返して来たんだもんしょうがないじゃん。千円以上は現金で持ち歩かないって自分の中で決めてたのにさ、2万円の現金が突然手元にくるじゃん、日曜日じゃん、お昼前じゃん、場外近いじゃん、そりゃあ馬券買うじゃん。
アヒルちゃん。これメモしていいよ。公式記録としてとっておいてよ。私の愚行をさ、過ちをさ。標語として張り出して戒めとするからさ」
独り言のように話し始めたと思ったら、萎縮したアヒルを気遣って、自虐からユーモアを交え、メモの話を昇華させ、場の空気を和ませた。
アヒルは頭を掻きながら、その女性に恐縮しつつ笑顔でお礼を伝えると同時に、『ファルコン』と書かれていた名札をみて、強そうな名前だなと感じていた。
ミーティングは2時間ほどで終了して解散した。
この日アヒルは、聞き手として参加していたが、少し軽くなった自分の心に気付き、ここへ通えばギャンブルを辞めらるかもしれないと思い、ロウソクに、わずかだが灯った希望の明かりを消すまいと、慎重に手で覆うような足取りで帰路に就いた。
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