第3話 迷い

「記憶喪失!?嘘だろ・・・・。」


電話の向こうの司は明らかに憔悴していた。


「本当だ、俺達の事も、、、自分の事すら覚えてないんだ!」


「なんてこった、、、、。」


「とりあえず、怪我はたいした事無いからマンションに戻るよ。」


「わかった、俺もなるべく早くそっちに行くようにする。司、お前大丈夫か?」


「あぁ・・・・。」


電話を切って椅子に座り込む。


「どうして、、、一体何があったんだ、、、」


樹の呟きは執務室にただ虚しく消えていった。



**********



数時間前。

葵と話をした先生が言った。


「恐らく解離性健忘だな。」


「解離性健忘?」


「頭の傷はたいしたことない。おそらく何か耐え難いストレスを受けたんじゃないかと思う。そこに、運悪く頭部に外的衝撃を受けたのも原因かもしれないな。」


「それで?記憶は戻るのか?戻るんだよな!先生?」


「こればかりは、すまないが解らない。明日戻るかもしれないし一生戻らないかもしれない、、、、。」


「そんな・・・・。」


「何があったのか解らないのか?」


「解らない。ちょっと用事があるって言って俺と別れてからマンションに戻ってくるまでの3時間の間に何かがあったんだ!くそ!あの時俺も一緒に行けば・・・。」


司は悔しさに顔を歪めながらテーブルを叩いた。


「そうか。とにかく、いつもの生活に戻れば何かのきっかけで思い出すこともあるかもしれない。怪我はもう大丈夫だからマンションに連れて帰ったらどうだ?」


「いつもの生活?」


そのまま何かを考え込む様に押し黙ってしまった。






「葵。帰ろう。」


手を差し出し優しく司さんは言ってくれる。


「帰るってどこに?」


「葵の家だよ。一緒に帰ろう。」


「うん・・・・。」


差し出された手を取ると優しく微笑んでくれた。



*********



「ここだよ。さっ、入って。」


マンションの玄関ドアを開けて部屋に入る。


「ここが?」


「うん。葵の家だよ。」


そう言われて、部屋を見渡す。

テーブルにソファー、デスクが置いてある。

生活する為の必要最低限のものしかない。


(随分と生活感がない部屋だな。本当にこんな所で生活してたの?)


「生活感がないって思ってるでしょ?あんまり、物を置くのが好きじゃないって言ってたんだけど必要な物だけは俺が揃えたんだ。」


「そう・・なんですか。」


「とりあえず座って。コーヒーでも入れるから。」


ソファーに座らせると、慣れた様子でコーヒーを入れはじめた。

改めて、見回しても本当に物がない。


(一体ここでどんな生活してたんだろう?)


思い出そうとしてみるが、頭に霧が掛かったように何も思い出せない。


「どうぞ。」


とカップを手渡してくれ向かいのソファーに腰掛けた司さんはコーヒーを一口飲んだ。


「いただきます。」


「・・・・・。」


「・・・・・・。」


何かを考えている様に押し黙っていた司さんが口を開いた。


「なぁ葵。葵が良かったらなんだけど、暫く俺泊まっていっても良いかな?」


「えっ?」


「記憶なくして心細いだろ?俺で良ければ側に居るから。それに、仕事の関係で泊まることもよくあったし。」


「でも、これ以上ご迷惑をお掛けするわけには・・・。」


「全く迷惑じゃないよ。葵の為なら何だってしてあげたいんだ。」


真剣な顔でそう言う司さんに、胸がトクンと鳴った。


(確かに心細いけど、本当に良いのかな?)


心の中で色々考えていると、司さんが隣に来て手を握ってくれる。


「本当に迷惑じゃない。それに、心細い思いをしてる葵を放ってはおけないよ。だからこれは俺からのお願い。」


そう言って、微笑んでくれた。

何故だろう、司さんの笑顔はとっても安心する。

さっきまで不安で一杯だった心が少しほころんだ気がした。


「・・・・じゃあ、お願いしても良いですか?」


「もちろん!」


そう言って安心したように笑ってくれた。




今日は色々あったからもう休んだ方が良いと寝室に案内された。


ベッドに腰掛けて部屋を見る。

やはり物がない。

ベッドにドレッサー、壁に満開の桜の写真が飾ってあるだけだ。


(綺麗な桜・・・。)


ベッドで横になって眼を閉じてもう一度思い出そうとしてみてもどうしても思い出せない。

疲れもあってか段々と眠気が襲ってきた。





司が部屋の様子を見ると、葵は眠りに落ちていた。

きちんと、ベッドに寝かせて布団を掛ける。部屋を出ると、ちょうど樹がやって来た。


「司!葵は?」


「今眠ってる。お前仕事はいいのか?」


「あぁ、大丈夫だ。葵の一大事だからな!」


そう言って、司の肩をポンっと叩く。


「とりあえず座れよ、コーヒーでも飲むか?」


「いや大丈夫だ、で?記憶は戻るのか?」


「解らないそうだ。明日戻るかもしれないし一生戻らないかもしれないって・・・。」


「一生って・・。」


長い沈黙の後、司が口を開いた


「なぁ、樹。俺はさ、記憶が戻らない方が良いんじゃないかって思ってるんだ。」


「何言ってるんだ!?」


「そうすれば、こんな危険な仕事も辞めて普通の女性として生活出来るだろ?その方が葵にとって幸せなんじゃないかと思って。」


「・・・・・。それはお前と幸せになるって事か?」


「それを決めるのは葵だ。俺じゃない。でも、そういう生き方も出来るんだよなって思ったら無理に思い出さなくてもいいんじゃないかって・・・そう思ったんだ。」


「そうかもな・・・。確かにそういう生き方もあるよな。でも、俺は葵の隣にはお前が居ないといけないと思う。葵を支えられるのはお前だけだ!」


「そうかな・・・?」


司の瞳は自信なさげに揺らいでいた。

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