女衒直己と三人の女郎

美里

空蝉花魁

どぼん、と、絵に描いたような水音がした。

 桜橋から誰かが身を投げたらしい。

 もしや女郎の自殺か、と、直巳と連れの男は橋のたもとに駆け寄った。万が一でも自分が手掛けた女郎に死なれたら、入ってくる金も入ってこなくなる。

 日付もそろそろ変わる桜町、人影はそれでもそこかしこにある。その影たちがいっさんに桜橋へ駆け寄る姿は、さながら亡者の行列のようだった。

 「女か。」

 直巳は、桜橋の真ん中で腰を抜かしている女に問うた。女は藤色の着物を着た、若い女郎だった。さして美しい女でもないが、真っ赤な太鼓橋に、色の白いその姿はよく映えた。

 直巳が顔を知らないのだから、どこかの廓で部屋を持っているような女郎ではない。安宿で客を取るか路上に立つかして、安女郎と揶揄されるタイプの女だろう。

 「いいえ。」

 女が震えながら首を横に振る。安物の花簪がぱらぱらと揺れて、薄桃色の侘しい残像を残す。

 「じゃあ、男か。お前の連れか。」

 重ねて問えば、女は今度はがくがくと首を縦に振る。どうやらこの女の客が、橋からその下へ流れる桜川へ身を投げたらしい。

 女に真心を示そうとしたのか、今夜の支払いが足りなかったのか知らないが、はた迷惑な話である。

 「おい、」

 消防に電話をしろよ、と、直巳は連れの男に声をかけた。自分が手掛けた女郎でないことが分かれば、もうこの場に用はないのだが、一応電話くらいはしておいてやろう、というなけなしの親切心だった。

 すると、その声に被さるように、あらまぁ、と、可憐な女の声が直巳の耳にすうっと染みた。

 よく通る、歌うようにきれいな声。声の温度は全くの平熱で、慌てた様子は微塵もなかった。

 声の主はいつの間にか藤衣の女郎の傍らまで歩みを進めていた。足音の立たない、いかにも高価な女郎といった優雅な足運びだ。きれいな声の女は、躊躇うこともなく着ていた衣を一息に脱いで襦袢一つになった。

 女の足もとには、重ね着していた幾重もの衣が小山のように張りを保って残った。そのどれもが、絹の地に金糸銀糸の縫い取りが入った、夜目にも分かる高級品だ。

 真赤な襦袢姿の女は、平然と髪に挿した鼈甲の簪やら笄やらを抜くと、着物の上にのせた。そして、非凡なほど軽やかな身のこなしで橋の欄干に飛び乗ると、くるりと首だけこちらに向き直し、

 「こはる、着物畳んでおいてね。」

 それだけ言い残して、するりと水音ひとつ立てずに真っ黒い桜川に身を沈めた。

 こはる、と呼ばれたぽちゃぽちゃとかわいらしい禿は、花魁、と悲鳴を上げて女が身を投げた欄干に取りすがった。

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