第5話  カラオケも

「もう帰りますから」


 勝手に返事をしたら、ウメは明らかに不満の表情を見せた。

 えっ、まだ話終わってへんかった?

 もうええやん、帰ろうな。


 女性店員がいつも小脇に抱えている銀のトレイは、何か気にいらんことがあって、暴れ出した客の防御のために持っているのと違うやろか。

 ランチタイムの終了を告げられたくらいで、ウメのように不快感を露わにする客もおるんやから。おお、コワ。


 店を出て、自転車にまたがった。


「ほな」


 と行きかけると、


「えー、もう帰るん?」


 ウメが引き留める。


「もう帰ろうな」

 

 ウメ、家でなんぞあったんかいな。今日のあんたは人恋しいてたまらんみたいや。


「カラオケ行こうや、駅前のビッグワコーの割引券あるねん」

「うちはええわ、みんなで行って来て」


「そんなこと言わんと1曲だけ、1曲だけ聴かせてえな」

「今日はまだ月曜日やで、明日も仕事あるんやで」

「そやから、ただ券で1杯ずつ飲んで、1回ずつマイク回して終わり、なあ、それやったらええやろ」

「ほんまに1杯ずつで1回ずつやね」


 ウメに押し切られ、商店街を駅に向かい自転車を押して行く。

 タダというレモンサワーは、しっかりとお酒お酒していて、だんだんテンションが上がってきた。だから嫌やと言うたのに。

 2杯目をお代わりして、テレサ・テンメドレーに続き、天城越えで高得点が出たから、もうあかん。


「なあ、そろそろマイク回して」

 

 ウメが懇願する。


「そやから嫌やと言うたのに、そこ聞いてる」


 握りしめたマイクの先を隅の席に向けた。


 カメがシーちゃんを捕まえて、またヒロセさんの話をしている。

 同じ話をクルクル、クルクル、特にカメはお金の話に拘るたちでアカン。

 ヒロセサークルに入った二人は同じ所を回っていた。

 オカンもやっぱり回っていた。


 部屋の壁に取り付けられた電話が鳴った。


「終了時間やて」


 受話器を上げたウメが言った。


「延長、えんちょー」


 オカンは叫んだ。


「もう帰ろうや」

 

 何やのん、誘うといたウメが帰ろうやなんて。


「もう1杯だけ、もう1杯だけ飲んだら帰るから」

 

 粘るオカンのスマホが鳴った。


「今、駅前。うん、うん、わかった、待っている」


 急に背筋がシャキンとなり、いつものオカンの顔に戻った。



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