15

 冷たい空気に目が覚める。


 目を動かす。どっかの病院で介抱されているってわけじゃなさそうだ。


 背中には冷たい石の感触。視界には崩れかけた石柱やら天井やら壁面やらで気が滅入る。松明で部屋全体が照らされていても人が過ごす場所じゃないと分かって余計に。


 そしてその明かりの下で手ごろな岩を即席の椅子代わりにして本を読んでいるあの男がいるとなればもう心の底からそれはもう首をくくりたくなる。


「よう、気がついたか」


 直前まで俺らをぶち殺そうとしてたいとは思えないほどの馴れ馴れしさ………いや、馴れ馴れしさは初対面からか。言いたかないが親しげだ。なんのつもりだ。


「手かせも足かせもつけなくていいのか」


「はっ、減らず口も失せてねぇようでなにより」


 犬歯をむき出しにしてかははと笑う。


「名乗ってなかったな。俺ぁアスベルってんだ。姓は忘れた。仲間うちじゃあ悪食って呼ばれてんだ」


 なに、こいつ名前なんてあったの。つか、なにその本。お前、本なんて読めたの。しかもなにその本。形而上哲学概論によるえーと………なんて読むの。


「白の祈りの連中がお前の仲間なわけか」


「んなわけねぇだろあんなクソみてぇな腑抜けども」


 感情を隠しもしない。あまりもあけすけな侮蔑と軽蔑と嫌悪をいっしょくたにした見下しの言葉の冷たさに目を眇める。その冷たさの意味はなんだとかな。


「俺の仲間はもっと活かした変態どもさ。俺が生きてる実感を得られるぐらいには」


 その言葉に目が回った。口ぶりからしてこいつと同じぐらいに変態なんだろう。その化け物じみた強さも同じぐらいに違いない。


「じゃあ、白の祈りの連中はいったいなんなんだ」


「奴らは要するに、自分の失敗した人生、失った物、失った時間を今更になって白の魔女のお力で恥知らずな連中なのさ」


 その言葉が、しゃくに触る。


 俺が俺である為の誓い。そいつを真っ向から否定している。至極、気に入らない。


「………んなペラペラ喋ってんな。職業意識どこにあんだよ。ケツの穴から出てったのか」


「かたいこと言うな。俺とお前の仲じゃねぇかよ」


「友達かよ」


「俺ぁ最後は殺すつもりでやった。だがてめぇは運だろうがなんだろうが生き残った。俺とやりあって生き残った奴には敬意を示す。なんでか分かるか。次にやりあった時、素敵な変態になってるかもしれねぇからだ」


「ついでに言えば、こんな強ぇ俺とやりあえて生き残った奴はちょーすげえから敬意を示すのも吝かではないってか」


 膝を叩いて笑われた。そーよそーだよその通りとげらげら大爆笑。なんだよそれ、結局、自分がすげぇからってことじゃねえか。


「いーよお前マジで最高だよ。こんだけ笑ったの十数年ぶりだよ。その減らず口にクソ度胸に馬鹿さ加減。煌士よりも猟兵向きだ。今からでも転職した方がいいんじゃねぇの」


 なんでこの男に職業相談員の真似事なんざされなきゃならんのだ。


「レイとハルはどこだ」


「生きてはいる」


「じゃあどこでなにされんだよ」


「教えてほしいか。教えてやろうか。でも教えねぇ」


 やべぇ。くそうぜぇぞこいつ。こうしちゃいらんねぇ。


 起き上がる。その動きだけで喉の奥から怪鳥じみた鳴き声が出てきそうだがこいつの前で喚くなんて真似が出来るはずもない。


 警戒しながら、といってもこいつ相手にそんなもんは無意味であるのは分かっている。ある意味で開き直って出口へ向かって歩いて行く。


 止められはしなかったがにやにやした笑みを張り付かせたままでついてきやがった。


 それにしてもどこだよここ。というか建物じゃねぇな。岩を切り出して人がなんとか住めるようにしたって感じ。


 人の気配はあるようなないような。ただ、ここらで誰かが寝起きしてる雰囲気はない。荒れ放題だし。


 懐中時計の針は二十三時を超えていた。俺が一日以上眠りこけていたってわけじゃないんならあれから十二時間以上は経過してる。


 アスベルの口ぶりから二人は今のとこ無事らしい。ただこの先の保証はない。この建物がどんだけ広いのか、どんな作りをしているのか。レイとハルがいる場所までどんだけ掛かるのか。そういったことを考えると頭茹ってくる。


 なんかの暗黒時代の遺跡だろうか。どんだけ前の物か知りようもないがそういった建造物が世界中に散らばってるのは知ってる。そうした遺跡が生きていた場合、煌術めいた不可思議な現象を、落とし子の比じゃない規模で引き起こすことがあるそうだ。国一つを滅ぼしたとか海を真っ二つに引き裂いたとか別の世界に移動しただの神話の御伽噺かよ、と。


 ただそういった遺跡を管理封印するような団体さまもあるらしい。


 そんな団体さんがあるんなら規模の大小はあってもお伽話だってある程度は事実なのかもしれない。


 問題は、ここがそうなのかどうかってだけで。


「おい」


「あ~ん?」


「レイとハルはどこだ」


 もっぺん聞いた。業腹だが結局、知ってるやつに聞くのが一番手っ取り早い。


「ちょっと前にはお前をぶち殺そうとしてたやつだぞ。お前には見栄ってもんがねぇのか」


「てめぇの中の最後の一線守ってりゃ見栄なんぞどうでもいい。そんでその一線はてめぇだけが知ってりゃそれでいい。それともなにか。お前は自分とは違うどんな小さな主義主張も認められねぇ爪の先並みに器の小さいやつなのか」


「嵩にきて食って掛かってきてんじゃねぇよ。嬉しくなっちまうじゃねぇかこの馬鹿野郎」


「今の言葉のどこに嬉しくなる要素があんだよこの馬鹿野郎。そこの石柱に頭ぶつけて割って中身を確認しろこの馬鹿野郎」


 ぎゃっはっはと笑うアスベルだった。


 うるせえ黙れ。お前の下品な声が響き渡ってんじゃねえか、頭にも耳にも響くんだよ馬鹿野郎。


「やっぱいいぜお前。喜べよ。俺とお前は感性が近い。てめぇの中の譲れねぇ一線を守るためには、俺の中の一等大事を握るためならその他なんぞ屁でもねぇ。そうだろうがよ」


 舌打ちをする。喜べるわけがない。こんな変態と感性が近いなんてどんな罵倒だ。こっちはお前ほどイカレてないんだよ一緒にすんなと声を大にして反論したい。こちとら煌士なんだよ。


「そしてそういう奴には敬意を示す。ただまぁ俺だって聖人君子ってわけじゃあねぇからな。何か笑えるようなネタを提供しな。そしたら聞き出したいこといくらでもゲロってやるよ」


 交換条件っちゅーことか。俺みたいな人種だったら無償で何か提供されるよりも信用は出来るが相手が今までに見たことない変態だ。笑えるネタを提供しろだって。流行りの芸人の舞台情報を提供しろって意味でもないだろう。


「そう例えば、レーヤダーナ・エリスとかいったな。あの小娘はなんだ」


 そうだ。こいつはレイを見て妙な反応をしていた。レイの素顔を見た人間は一様に気味が悪いと思うものだがそれはあいつの持ってる基本的に人間が持ってはいけないを人間のくせに持っているからだ。


 この化物めいた男も同じで、自分自身の見たくない面があるのか。


 ………こいつはレーヤダーナに興味がある。つまり、会話の主導権は俺にある。その辺、上手くやって俺の知りたい情報だけを引き出せれば。


 しかし俺の小狡い考えなど承知しているのが差し出された拳には力が宿っていた。有無を言わさぬ実力行使。嘘など吐けばどうなるかは身をもって味わっている。正直に答えるしかなかった。


「俺もそんな知ってるわけじゃねえよ。人も社会も物も知らないよくある子どものうちの一人に過ぎん。俺だって出会ってそんな経ってない。詳しいことはそんなに知らん」


 正直に答えたところでまったく問題ない程度の情報量しかないんだから痛くも痒くもない。最大の情報だって考えられる神さまになれなかった子どもってのも、もうこいつは知っている。よく食ってよく寝る。そんだけ知ってりゃガキの面倒見るのは十分だ。


「生まれは。両親は。過去は。育ちは。どんな星でどんな律を持ってる」


「生まれなんざ知らん。母親はいるって話だけど会ったことはない。あいつは落とし子じゃねえよ」


 それに……。


「律ってなんだ」


 こいつは言っていた俺やハルは自分の星の律を知らないと。


 落とし子の力の方向性、性質。そういった物だと思っていたがこいつの口ぶりだと何か違う気がする。


 俺の場合は基礎的な身体能力の向上度合がそれなりに優れて怪我や病気にも極めて強いという特性がある代わりに、煌力を何かに付与したり物質的な形にしたりってのは出来ない。


「聞きたいことはそいつでいいのか」


「いや、いい。そんなんどうでも……」


「本当にいいのか。そいつを知らなきゃお前の祈りも誓いも壊れちまうかもしれないぜ。つか、そいつを知らなきゃ俺と同じ舞台には立てやしねぇ。もし俺があのガキと女を殺すと宣言してもお前には止める術がねぇ。さあ、どうする」


 舌打ちした。


「なによりあのエリス。アレは性質が悪い。あれだけ一見して不吉と分かるモノは災厄にも愛される。お前が側にいたところで盾にもならん事態がくる。俺みたいなな」


 自分で言ってんじゃねぇよ災厄が。


 言われっぱなしも腹が立つ。溜息一つ吐いてイキった。


「お前が俺に教えたいんだろ。なぜなら、俺が俺の星の律とやらを知れば、もしかしたらお前とサシで殴りっこできる素敵な変態になれるかもしれないからだ」


 奴は目を丸くした。


 ニィと口の端を吊り上げてバンバンと背中を叩いてきた。いてえよクソ馬鹿力。馴れ馴れしくすんじゃねえよ友達かよ。


「落とし子は星の命、その欠片たる煌素をある一定の水準まで持ってる。分かるか。落とし子は一人一人が小さな星なのさ。そして星は光輝く。その輝きはそれぞれに違いがある」


「やっぱり個性とか指向とかの話じゃねーか」


「焦んなよ。話は最後まで聞けよ。律ってのはな、己の内に宿る光を世界に知らしめんのさ。我が星はここにあり。我が輝きを見よ。するとどうなる」


「そりゃあ……そいつの光で照らされんじゃねぇのか」


「それだけじゃあ星律なんて言いやしねぇよ。律って言葉の意味を拾え。考えろ。白い魔女を見たろうがよ」


 律とは掟。定。詔。


 白い魔女。灰色の淀んだ世界。アスベルが白の魔女に近づいて起こった現象。あれは時の停滞。しかし、花が急に咲いて枯れたのは時の加速。――時よ廻れという祈り。


 形になった祈りは世界を照らす。いや、抑え込んで押し付けて従わせた。あんなのは普通の世界の在り様じゃない。


「落とし子の光、祈りや願いといったものが、世界を照らす時、そこには法が生まれるのさ」


 つまり……。


「星律とは、落とし子の祈りを現実世界に法則とするもの」


 その果にある姿とはなにか。不意に、レイの小さな姿が思い浮かんだ。


「その通り。外に出たり内に籠ったりとそれぞれ形は違うがな。それが出来る奴は総じて強い。なんでか分かるか。より強く光り輝く為にはより強く星の命の欠片と繋がる必要があるからだ」


 当たり前と言えば当たり前の結論。単純な出力の話。星の命の欠片を多く持つ者、多く使える方が強い。アスベルが舞台とか言ってたのはそういう同じ段階にいないってことか。


「お前は一体、どんな祈りをしているのか、そうして気づけた時、俺と同じ舞台にまで上がれるのか。もし、お前の拳技に律が乗ればどうなるか。面白そうだ」


 ちっとも面白かねぇよ。こっちはお前となんざ二度とやりあいたくないし出会いたくもないって思ってんだ。生きて帰ったら二度と出会わない方法を真剣に考える位には。


「で、どうやってそれに気づける」


「知るか馬鹿」


「あん?」


「テメェの祈りだ。辿り着く奴は勝手に辿り着く。辿り着けねぇ奴は生涯掛かっても辿り着けねぇ。落とし子としてどんだけ才能があっても至れねぇ奴は至れねぇ」


「役に立たねぇ」


 鼻で笑うアスベル。


 才能がなくたって至れる可能性があるってのは話半分に覚えておこう。まともにそんな場所に行くとか考えるなんて時間の無駄。


「傾向はある」


 それは何か。


「人間として破綻している」


「……」


 なんそりゃあ。どんだけガンギマッてるかが秤かよ。そっからして破綻してんじゃねえか。


 そんなの考えるぐらいなら今日の飯を昨日よりも豪華にするとか考えた方が百倍マシに決まってる。


 俺は人間として生きて、人間として死にたいんだよ。化物の仲間入りなんざしたくもない。


 あ~クソ。腹減ってきたなぁ。あ、保存食。ジャーキー。拠点で適当に持ち出したもんが残ってる。食ってしまえ。


 包装をピッと開けるとアスベルの顔色が変わった。いきなりこっちをギュンと獣の目で睨みつけてきた。獲物を狩る目をしている。


「てめぇ……!」


「な、なんだよ」


「そいつを……寄越しな」


 低い声。そして今までで最も真剣味のある声。それは有無を言わさず相手から奪い取る命令にも等しい。こいつ、星律とかっての使ってないだろうな。法に違反するぞと脅されてるような気分になった。


 大人しく差し出した。いや、まだあるからさジャーキー。別にビビったとか殺されそうだからとかそういう理由で差し出したわけじゃない。


 たかがジャーキーの一本ぐらい恵んでやる気概もないとか、男として終わってると思うし。それだけ。


「分かってんじゃねぇか。この陳腐さがまた酒と合うのさ。それも寄越せ」


「酒なんざ持ってるわけねぇだろうが」


「……はぁ~使えねぇ」


 なんでてめぇにそんなこと言われにゃならんのだ。


 結局、懐に忍ばせていたジャーキーを全部掻っ攫われた。ふざんけんなよ畜生。どうやって腹を満たせってんだ。まさか空気でも食べてろと。薄暗くって淀んだ空気なんざ取り込みたくもねぇんだよ。だって、ここあいつらの巣だろ。


「好物奪ってくれたんだ。これから何が起こり、あの二人がどうなるかぐらい教えろ」


「魔女の再臨。奴らはその生贄と依り代だよ」


 聞くんじゃなかったという思い。聞いておいてよかったという思い。二つが不可分になって胸の奥に渦巻いた。


 そしてそんなことをジャーキー食いながら軽々しく言ってんな。俺はこの珍妙な空気にどうしたらいいんだっつーの。


 ぺろりと最後のジャーキーを飲み込んだアスベルは至極、機嫌が良さげだった。


「これが傑作でな。あの日、あの時、あの場所へ、失われてしまった大事な物を再び我が手に取り戻さん。ま、つまりだ。白の魔女。時間を操る魔女殿に、自分の失敗をやり直させて貰おうとしてんのさ」


 それはまた本当に傑作だ。


 蓋を開けてみればあんまりにもあんまりな、自分の失敗をどうしようもない無様さで塗りつぶそうとするとんでもないクソみてぇな行為だった。


 今の俺はどんな面をしているだろうか。怒ってるか呆れてるかどちらにせ良い表情はしてないだろうな。


 気持ちは分かる。失うのは痛い。自分だけじゃなくて世界の一切合切が全部ぶち壊れてしまえと願ってしまうだろう。


 でもそこまで。同情も共感もしてやるし、慰めが欲しければ酒を奢ってやって愚痴すら聞いてやってもいい。けどそこまでだ。それで終わりだ。


「どう思うよええ小僧?」


「負け犬が負けを塗り重ねてるだけだな」


 口から出てきてしまった言葉は戻せん。そしてそう言うと予想していたかのようにアスベルは薄ら笑いを浮かべてすげぇ力で肩を組んできた。


 馴れ馴れしく触ってくんなよくそ。剥がれねぇ。どんな力してんだくそったれ。せめて遠ざかれ。適切な距離を取れよ。お友達かよ。


「まったく同感だぜおい。どんだけつまんなかろうが過去を含めて今のてめぇなのさ。なのに己が己を捨ててどうする。てめぇがてめぇの人生捨てて、てめぇを誇れるかってんだ」


 奴の言葉に反感も覚えなければ反論の言葉も出ない。ハッキリと「嫌」と顔に書くぐらいが出来る事の関の山。


 くそ、悔しい。


 愉快気に薄笑っている男の言葉は俺のうちにすとんと馴染んで飲み込まれた。その感情は、共感と納得だった。


 だからと言って、馴れ馴れしくすんなよ馬鹿野郎。お友達かよ。


「そんなお前は何がしたい」


 言われるまでもない。俺は俺がしたいことをするだけだ。レイを取り戻し、ハルを助け、ふざけて馬鹿げた奇祭をぶち壊す。


 俺が定めた俺の誓いに従って。

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