3
俺はくたびれている。むしろくたびれていた。
世間を賑わしている連続殺人事件の影で起きているこれまた連続失踪事件。明らかになっていく被害に公僕への不満と怒りは高まるばかりだ。
俺たち導きの
依頼者は依頼を出した次の日には結果が出ると思っているのか経過報告ではなく失踪者はどうなったのかを知りたがる。魔法のツボから失踪者が出てくるのなら俺たちは必要ない。いや、心配でいてもたってもいられないのは分かるけどな。
溜息と一緒にくたびれも出て行ってくれたら助かるのにそうはならず、逆に強固に居座る空腹が不満の声を上げるばかりだった。
「ここであー疲れたーなんてとってもつまらない導入台詞は言わないでくれよカナタ」
「あー疲れたー!」
言うなと言われると言いたくなる。そんな病の持ち主である俺は堂々と言ってやった。
「それ使っていいのは後になれば絶対に面白くなるお話の主人公だけだからね。つまらない話の主人公が言ったんじゃなんのどんでん返しも起きないからね。最初っから最後までつまらなかったって言われるだけだからね」
言ってくれるな。とてつもない羞恥に襲われて大後悔時代中だよ。
ああ恥ずかしい。恥ずかしすぎて恋する乙女の頬よりも顔面が赤く染まっているに違いない。
「恥ずか死ぬ」
「ブルーノリンゴの宣伝に丁度いいけど男がやったところで気持ち悪いだけだね。やっぱりこういうのは無原罪の穢れなき子どもが一番似合っている。ちょっと赤い膝小僧に薄いふくらはぎ。薄紅色に染まった頬。日向のにおい。ふふ、ふふふ、ふふふふふ……」
薄暗くてとっても気持ち悪い微笑みを浮かべて旅立つ同僚を横目にたっぷり野菜のミネストローネを頬張る。
ごろごろとしたじゃがいもとパリッとジューシーなウィンナーの触感に、気高く凛々しいトマトの風味がコラボーレーションを起こし一陣の薫風となって鼻毛をさわやかに撫でていく。
その心地よさも目の前の変態のせいで薄れるどころか汚されている。
女ではない。いや女だったらあの発言が許されるわけじゃないが、男が言うとなおさらやばい。犯罪者の発言というはこんなものなのだということを端的かつ的確に伝えてくれる。
「そう思わないかい、カナタ」
「ちっとも思わねえよ」
「真理を理解しないのはとても寂しいね」
そうして唐突に声を切り替える。男の猫なで声かつ赤ちゃん言葉。おっさんがキャバクラでプレイでもする時でももうちょいましじゃないか。きめぇにもほどがある。
「レイちゃんはどう思いまちゅか~? ん~? かわいいでちゅね~?」
目尻がやに下がって口元はだらしないほどに緩んでいる。
視線の先にはもさもさっとした鬱陶しすぎるほどに生い茂った髪と、見るからにがりがりかつ不健康で触れば折れるんじゃないかって子どもが不慣れなスプーンを片手に握りこんでスープを啜ろうとして失敗し、ちょっとこぼした。動きが固まる。ややあって捕食活動を再開する。
「くっは~! かーわーいーいー!」
叫びだし、ぐりんぐりん体を捩らせる気持ち悪い何かがいる。
「あ、すんません。これ、外に捨ててください」
導きの星協会ブルーノ支部の敏腕受付であるマリーダ嬢二十六歳ににっこりと微笑まれて却下されてしまった。
「あなたのバディでしょ、それ」
「バディという言葉は要監視対象という言葉に使われるものではないと思います」
げんなりする。疲労もいっそう降り積もる。
レーヤダーナの口元とこぼしたスープを拭いてやると嫉妬と羨望に満ち満ちた怨嗟の視線が俺を射殺さんと放たれていた。
潰していいかな、その濁り切った魚の目。
「元気を出してカナタくん。猟兵団の件もお見事だったし依頼人様からも娘を保護してくれてありがとうってすごく感謝されてるのよ。大活躍だったじゃない」
あれはマヂであそこにいたのがお人好しばっかりだったから血みどろの鉄火場にならなかっただけで、要するに運が良かっただけなのだ。本物の猟兵さんだったらガチでやりあってたところだ。
「あの撃たれた社長さん。怪我もひどくないし社員さんたちも取り調べに協力的だそうよ」
「マリーダさん。あの人らを嵌めたやつらの特定ですけど」
「安心して。警察にも説明してるしこちらでも調べてるから」
「経過については俺にも知らせてください」
分かってるとマリーダさんは頷いてくれた。
「ま、問題はだよ」
急にまじめな声に戻った変態がスプーンを俺に突きつける。おいやめろ。お前の唾液だのなんだのが付着した薄汚いものを見せつけるな。ガキが真似したらどうすんだこのボケが。
「彼らをそそのかして猟兵業なんてものをさせたのはどこの誰だったのかって話さ」
濃厚だったのは社長を撃った男だ。
だけど彼はもういない。死んだ。自殺だ。取り押さえた直後に歯に仕込んでいた毒を飲んで死んだ。痛すぎる失態だった。
そんな次第でディオスの言ったように謎は謎のまま。死んだ男は入社して日が浅い上に経歴なんかは出鱈目だった。
もともと脛に傷を持った人を多く雇っていたというから仕事が出来るかどうかが大切だったらしい。勤務態度はまじめで人付き合いも悪くなかった。特に問題を起こすこともない。そんなやつがなぜ、とは彼らの間でもまったく理由が分からないそうだ。
そいつが猟兵業をやるのはどうかと提案したらしい。武器の調達やら段取りやら色々と手際が良かったから元猟兵だったのかもしれないというのは共通した見解だが今となっては分からず仕舞いだ。
がらんとした支部の二階にいるのはここにいる四人で全てだ。
いつもならもうちょい人がいたりするのだが頼りになる大人気な諸先輩方はそれぞれに抱えている案件で出払っている。だからここにいるのは大人気でなく頼りにならない新米煌士しかいない。
俺は壁に掛けられている一つの大きな星を中心に、無数の連星の紋章を見た。
導きの星セイリオス協会ブルーノ支部は今日も大繁盛です。大繁盛してるってことは一般人がめっちゃ困ってるってことなのであまり喜べない。
「やっぱり公権力の後ろ盾って強いよなぁ。調べ物するにも申請に時間かかるし」
「こらこらカナタくん。私たち協会はどんな権力にも属さない人々の心に沿った民間団体なのよ。めったなこと言っちゃダメ」
「うーい」
協会は色々なことをやる。
失せもの探しに道案内に商隊警護に魔獣調査に個人間の運送にと。こういった細々としたものは俺ら新米にだいたい回ってくる。大きいものは国家紛争の介入調停やらなんやらするらしいが雲の上の話である。
『人々の心に寄り添い支え守る』とかいうふわっとした理念が協会にはある。その第一義とは民間人の安全と権利を脅威から防ぎ、心の安寧を守り、ひいては大陸の安定と平和へと繋げることである。
ぼんやりしてて分かりにくいので俺もよく分かってない。
だってやってることって民間人を相手にしたお値段安めの何でも屋だから。たぶんそっちの方で認識されてるだろう。
だから民間人からは分かりやすい我々の味方と支持され人気は高いが警察から言ってしまえば商売敵と緩やかーに敵対しされ、時の権力者とかいったものからは割と煙たがられている。
「ともかく、私たちは私たちに出来ることをやっていくしかないのよ」
「しかしマリーダさん。現状維持のままでは遅かれ早かれパンクしますよ。僕らみたいな新米だけで依頼を回しきれるとも思えませんし」
ディオスが掲示板を見た。
そこには多くの依頼書が張り付けられている。内容は猫探しから近場の村への荷物配達なんかの簡単な物からちょっと離れた村で畑を荒らす野獣の退治だのなんだの。
緊急性や即日性の高い物。優先度が高いものからこなしていかないといけないのだが、依頼する方にとってはそんなもの関係ないだろう。
「そうなのよねー。各地の支部から応援もきてくれてるけどそれでも足りないのよねー……憂鬱だわー」
「あんまり悩んでると肌に良くないぞ。化粧じゃ誤魔化せなくなってくる年になるんだろ」
「ふふふ、アラサーなんて言葉を生み出した奴は死ねばいいと思うの」
御年二十六歳で、四捨五入すれば三十になってしまうマリーダ嬢が微笑んだ。
「僕たちに出来る限りのことはしますよ。マリーダさんの肌の張りと潤いためにも」
おおっと。空気が重くなってきた中での恐れを知らないディオスの発言である。
「そうね。二人には頑張ってもらわなきゃ。主に私の肌の張りと潤いために。だから二人には馬車馬のように生かさず殺さず、もとい働いてもらうわねー」
仕事に私情を混ぜ込んだ言葉にさてどんな風に返せば平和に繋がるかと考え始めたらひらりと一枚の依頼書を見せられた。
なになに……?
『もう使われなくなって久しい廃教会に、若者たちが集まって何やら騒いでいるようです。倒壊の危険があって近づくのも危ないので入らないように注意、警告、出来れば今後、一切の立ち入りを禁止するよう取り計らっていただきたいです。お願いいたします』
「外れにある廃教会で頭パーな若者たちがヒャッハーしています。現場で死なれても困るので是非ともかわいがって欲しいってところか」
「君の翻訳は多大な曲解が含まれているのに概ね間違っていないところがいいね」
「あんまり乱暴なことしちゃダメよ。出来る限り平和的にね」
この手の若者と書いてバカモノと読まざるを得ない人種は痛い目を見ないと理解しないのだ。マリーダ嬢もああは仰ったが分かっているだろう。
「ディオス君にはお得意の失せもの探し。老婦人が結婚指輪を落としちゃったみたい」
「それは一大事ですね。かしこまって承りましょう」
よくある若さの暴走ということであればそう気負うこともないか。
「ところでカナタ」
なんだ真面目くさった顔しやがって。似合わないからそれ。
失踪誘拐事件や連続殺人についてでも話すことでもあんのか。あるんなら手短にたのむぜ。これからガキの面倒見なきゃなんねぇんだからよ。
「君がその、依頼をね、している間だけどね、ぼ、ぼぼぼ、僕がレイちゃんのめ、めめめ面倒を見ていてもいいのだけどどどどど」
ありえねぇわ。
「ほら、綺麗な御髪を整えたり、綺麗なおべべにお着替えしたり、綺麗なおおおおお風呂に入れちゃったり綺麗綺麗しちゃったりとかしてはぁはぁはぁっ」
ゴミ以下のくずを見る目ってのは案外簡単に習得できるもんだ。
変態の側頭部を蹴っ飛ばして意識を刈り取った。
気絶しているその瞬間も変態は変態のみに出来る変態的な微笑を忘れなかった。変態の鏡ではある。
「ディオス君はともかく、私も明日は面倒見れないわよー。打ち合わせがあるからね」
まじか。
「だから僕が面倒を見てぶっ」
「この変態には預けられねぇし他にあてはないから連れてくぞ」
「うーん。危険は少ないと思うんだけど、どうしてもっていうんなら私が預かってもいいわよ」
「いや、あんたは一刻も早く人員不足解消を頑張ってくれ」
下宿にもなっている二階へレイを抱えていく。なんにもないところでもよたよた歩いてすっころぶもんだから階段を上がるなんて高難度任務をこなせるはずがない。
抱えるとだらーんと四肢を投げ出している。抵抗の素振りもなく猫の腹を持ち上げた時みたいだとなんとはなしに思う。
視界に移る腕と首には真っ白い包帯。その下には白いガーゼ。誰がどう見ても訳ありの子にしか見えんだろうな。重大事故物件だし。
「はぁはぁ抱えられてるレイたんかわゆすはぁはぁ」
「……」
かわいいと言える神経が俺には信じられない。
部屋についてベッドの上にがきんちょを放り出して改めてその姿を見る。
十二歳だとか教えられているがどう見てもそうは見えない。せいぜい十になるかどうかといった外見年齢。どこを見ているか分からないぼんやりした瞳。艶の失せた灰色のくそ長い髪。強く押したら抵抗なく折れそうな手足。
そこまではいい。特異な点はあっても餓死寸前の浮浪児ってだけで、この国にだってそういうガキはいた。
そんな、みすぼらしく、ああ、おためごかしや偽善なんかとっぱらってはっきり言ってしまうと、薄気味悪く気持ち悪い要素しかないのに、どうしてかそこからある種の圧力を押し付けられる。
人間に対して持つような感想じゃあない。
例えていうならどうしたって抗えない自然災害。ひれ伏してしまいたくなる芸術に出会った時。
好み、相性、感覚。そういった人間の些末な感情や感想を吹き飛ばし飲み込んで、なぎ倒して地に伏せたくなる。
神威に対して許しを乞いたくなる恐れ。そういった類の言葉に出来ないあれ。
だからこそ、気持ち悪い。そいつは女神様みたいな目に見えず触れられないもんの特権で、この世の人間が持っていいもんじゃない。
レーヤダーナ・エリス。つくづくまぁ奇妙なガキの世話をしているもんだ。
常識はないし自意識は希薄だし運痴だしがりがりだし。
いやそりゃね。聞き分けはいいよ。寝つきもいいしわがままも言わないしよく食べるようになってきたし。こないだも字の勉強とかさせたらあっという間に覚えて頭だって悪くないし。
ただまぁその特異な在り様は人を遠ざけずにはいられない。
だからディオスが本気でかわいいと言い放っているのが信じられない。いや、あいつはあいつで真性の病気なだけだからかもしれない。
基本的に温和で面倒見が良く肝も座ってるマリーダさんすら最初は敬遠していた。数々の修羅場を潜り抜けてきた先輩らも一様に敬遠した。
包帯を取り外してその顔を挟み込む。薄い頬の下の骨の感覚。体温は人間とは思えないほど低い。
現れた青白い顔はおよそこの世のものではない。幽霊。亡者。お化けに妖。言い方は多いが結局のところそれらは生よりも死に近く、彼岸の住人であると強く印象づける。
人間の感性に対して『ああ、こりゃ違うわ』と有無を言わさず押し付けてくる造作。
ゆっくりと視線が向けられると奈落の淵で底を覗き見るような、突き抜けすぎた青空に落ちていくような気分になって不安になる。
「寝ろ」
ベッドに横にさせてやると一回、二回、三回と瞬きをしてすぐに寝た。
「おっそろしいほどに整ってるねぇ」
返事はしなかった。言わずもがなのことに返答する必要はないからだ。
ディオスを連れて部屋の外に出る。扉の隙間から覗き見たレーヤダーナは限りなく人間に寄せた人形が息をしているようだった。
一階に戻るとマリーダさんはどこかに出かけたようでもういなかった。お堅いお目付け役のいない今がチャンスだ。
「飲むか」
「子どもの前だと出来ないからねぇ」
ちょっとした背徳はちょっとした正義に勝る喜びなのだ。
外国だと俺らの年になっても飲めない国とかもあるらしい。皇国万歳である。法律万歳。
琥珀色の液体が氷を浮かべたグラスに注がれると果実の香りが鼻に届く。
「ま、今回はお疲れだったね」
「オチが狂言誘拐だとは考えてもなかったけどな。なーにが両親の愛情を確かめたいだっつの。ふざけんな時世を考えろ時世を」
「まったく、お金持ちの箱入りお嬢さんのやることは分からないね」
「お前も金持ちだったんだろ。それとか結構な値打ちもんらしいじゃないか」
腰に下げた長剣があいつの獲物だ。あまり装飾のない実用的な直剣で普通の物よりも刀身が長い。柄頭と鍔に赤煌石がはめ込まれていた。
「元だよ。今となってはこうして日々労働に勤しむ勤労青年だからね」
剣をかちゃかちゃ鳴らして笑いながら言う。
ディオスの家はもともと貴族の出だったらしいが没落したらしい。
グラスを傾けつつ味というより香りを楽しむような飲み方は様になっている。ひょろっとした優男風な外面だけ見れば品がなくもないかもしれない。
そこにちょっとした陰影がつくと、趣味の悪い女たちがディオスに近寄っていくのも分からなくもない。
「カナタはご家族は健在かな」
「ガキの頃に全員死んだ」
「ご冥福を祈るよ。ご兄弟はいたのかな。どうもレイちゃんの世話をしていると弟か妹がいたみたいに手馴れて見えてね」
「純然たる一人っ子だ。お前は」
「妹が一人いた」
過去形だった。お祈りするようにグラスを鳴らすとディオスも鳴らしてきた。
「会えるものなら会いたいけれど、そんな手段はないからね」
肩を竦めてへらりと笑う。
「レイちゃんとちょっと似ててね。ああ、姿格好はそうではないけどなにより雰囲気が。人から忌避されるような部分が特にね」
まじか。あれと似てるって相当の変わりもんだぞ。生きていたらきっと苦労したに違いない。ディオスもその妹も。
「だからかな。レイちゃんを見てるとどうも放っておけなくってね。あの子に対してとても非礼なことかもしれないけれど」
なんだ見守りたくなってねと軽く言った。
見守りの方向性がかなりおかしな方向に突き進んでいるようだが何も言わなかった。警察にご厄介になる時には突き出す役を引き受けてやる準備だけはしておこう。
その後はつまみだのなんだのを軽く作ってどっちがまずいどっちがうまいとか、どんな女優が好みだとか最近の流行の歌だとか映画やらのよもやま話をして別れた。
たいして盛り上がりもせずだらだらと時間は流れていった。
部屋に帰るとレーヤダーナが死んだように眠っていた。
その姿を見て思う。あいつ、妹なんていたのか。あまり認めたくはないが、一応は相棒であるところのディオスの過去についてはそんなに詳しくない。
ま、今のところは無事なものの、明日をも知れない煌士としては過去を振り返るよりも今を生きる方が重要なのだからそんなもんだろう。
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