あるいはそんな終わりかた ~魔女と願いと祈りと意志と~
原始のくらげ
1
空は青色で染められて雲一つなく、吹き渡る風は冷たくも心地よく人々を夜の眠りから連れ出そうとしていた。
しかし、そんな空気に似つかわしくない物騒な、そして殺気立った一幕が人の訪れを拒否する廃れた教会の一角で繰り広げられていた。
一人の少女が転がるように駆け込んで、膝をついて肩で息をした。
そしてそれを追う荒々しい複数の足音も、教会へと無遠慮に踏み込んでくる。
「石を渡せ」
放たれたしわがれた声は単純明快であり端的に要求を告げていた。
「渡せません」
返す声も空気を切り裂くような鋭さで反駁する。
脅す側は頭から足先まで白一色の衣装に身を包み、指の爪先や顔の極一部など僅かに覗ける箇所すらも白に塗りたくられていた。
それが一人、二人………合計五人。
彼らが色の無い、だが暗い情熱に燃えた目で向けているのは肩まで切りそろえられた明るい紅茶色の髪と柔和と言っても差し支えない程度には整った顔立ちをした少女だった。
その表情は、焦りと不安と狼狽えと、それとは正反対の決意を湛えていた。
「もう一度言うぞ。魔女の裔。お前の持っている石を我らに渡せ」
感情を抑えられた声だった。
進み出て白い裾から白い腕を伸ばして手を向ける。その掌は力を入れすぎるあまり細かく震えていた。
枯れ木のように細った骨と皮の腕。
寄越せと、寄越さぬならば………と言葉にせずとも伝わってくるものがある。
少女は天井を見上げた。
盛大に壊れた穴から場違いなほどまぶしい朝日が差し込んで憎たらしいほどに澄み切った空が少女の現状を我関せずと見下ろしている。
腹立たしい空だった。
空は心とは関係なく澄み切っている。空を責めるなんてお門違いだとしても湧き上がる気持ちは偽れなかった。
本音を言えば、石を渡してしまっても構わないのではという気持ちはある。
この石を持っているからこんな目に遭ってしまうのだと分かっている。
ある種の石には不幸を呼び寄せるような逸話があるというがこの石はまさにそれだ。災いを呼び込むだけなら手放してしまった方が憂いもなくなる。
そもそも少女は聞かされてきたお伽噺を頭から信じるほど純粋でも純真でもないし熱心でもない。
その一方で、石を手放したくないという気持ちも頑然としてある。
使命感ではないし義務感からでもない。石を渡した結果、引き起こされるかもしれない恐ろしい災厄からでもない。
単純に、石が母から手渡された形見だからだ。もう触れられず自分の記憶の中にしかいない母の。そうであれば彼らに渡したくはないと少女は思う。
それでも、このままではいずれ捕まり奪われてしまうのは誰の目から見ても明らかだった。
「これは私が母から受け取ったもの。あなたたちに渡せるほど軽い物ではありません」
首から下げている黒い宝石。
悪い魔女を封じ込めた鍵とされる石。
彼らは悪しき魔女を信奉する人々。
そして少女は善き魔女とされる一族の末裔で、これは繰り返されてきた歴史の一部。
善き魔女は人知れず衰退していって、悪しき魔女を信じる者は人知れずに増えていく。
お話としてはよくある対立構図な上に退屈で、だけど自分が当事者となるとどう感じるかはまた別の話。
どうしよう、と少女は思う。
ここ数日は襲撃に怯えて睡眠はおろかまともな休息も取れていない。街中なら安全かと思い人のいるところへ身を寄せてみたものの彼らはそんなことはお構いなしで襲ってくる。
どこにいても襲われるというのなら無関係の他人を巻き込んでしまうのは気が引けた。彼らが公権力を恐れないのとは逆に自分は公権力に頼れない身の上だ。
いざとなったら分からないが、少なくとも今この瞬間に助けを求めたとしてもどうにもならないのは確か。
体調は最悪。襲撃が続くようになってからというものろくに睡眠も休憩も取っていないし常に緊張を強いられる生活は神経を常に痛めつけた。
顔色は青白く血の気が失せて病的だ。
息は浅く荒く、立ち上がるのも億劫で目をつぶって転がってしまいたい。けれどしない。出来ない。捕まったら最後、生きて戻れるとは思えない。
「命の保証はしよう。もちろん我らの望む形ではあるが。お前は薄れたとはいえ魔女の裔。その命は我らの救い主復活のために役立つはずだ」
そんなのは、少なくとも少女の中では生きていない。
他人の言いなりになって道具として生きていくなんて冗談ではないと石を強く握りしめると微かな光を放った。
星が雲を纏うような仄かな輝きを放つ。
ただそれは白き者たちを喜ばせるだけだった。
「私の命は、命の使い方は誰にも侵させません。誰にも横やりを入れさせません。誓ったんです。私として生きていくと決めた時に。だから、どんな困難が降り注いできたとしても望んだ場所まで歩き続けます。その障害となるのなら力ずくでも払いのけます。あなたたちがそうなるというのなら押し通ります」
少女は知っている。
自分の願いを叶えようとする時、どこかの誰かに自分の願いが望まれてなかったとしたらどうなるか。より強く望まれる願いが弱い願いを踏み潰すのだ。
そうであるのなら、自分の願いが潰されるわけがない。そんな結末は信じないし受け入れない。叶うまで挑み続けたい。
けれど片隅に現実は上手くいかないことだらけだと巣を張る諦めがあることも知っている。
受け入れてしまえば楽になる。諦めてしまえば楽になる。叶えられない望みを抱いて生き続けるのは疲れるのだ。
だとしても諦めたくない。
そんなぐしゃぐしゃな思いがぐるぐると渦巻いてどうにも危機感が足りていない。寝不足のせいで。疲労のせいで。あるいはこの瞬間にも大きくなっていく諦めようとする心のせいで。
だからなのか、高まっていく敵意や害意に、攻撃されるぞと本能が警告していても体が動き出さない。頭で理解していても心がついていかない。
ぼんやりと自分を見続けるような気分でいた。
そうして少女にとってはどこか弛緩した、彼らにとっては緊張した空気が割れる瞬間、その間際に男の声が響いた。
低くはないが高くもない。大人ではないが子供でもない。どこか面白がっているような声。もしかしたら場の空気を読む能力が完全に欠如しているのかもしれないと思えるほどだった。
「地下アイドルのグラビア撮影会にしちゃあ色気が足りないな」
は?
なんですかあのその、ちょっと、あのあれ変な人は。いや誰がアイドル。なんでグラビア。どんな撮影会。ニッチすぎませんかと少女は場違いに思う。
誰も彼もがこの間の抜けた場違い発言に混乱し、この場にいる全員がそこに目を向けた。
朝日が眩しくて目を細める
その人影はぼっさぼっさの鳥の巣みたいな髪をして、もっさりしたなにかを背負って少女を見ていた。
もっさりしたなにかは今この場で役に立つような物ではないようだった。逆光にもかかわらずなぜか見える灰色の瞳が二つ。小さな人間か人形か。
「女優さんはまぁ綺麗だけど不健康そうだしよ。食生活とか睡眠とか気ぃ使ってるか。あんたみたいなの今はそれで良くても婚期逃したあたりで身を持ち崩してついでに化粧のノリも持ち崩すらしい。そりゃもう悲惨な末路が手ぐすね引いて待ってるぜ」
少女は何かを口に出そうとした。この失礼極まりない男に対して何を言ってやろうか考えて年頃の少女が口にしてはならない卑語に猥語が飛び出しそうになった当たりで慌てて口を閉じた。乙女の尊厳は守られた。
「貴様は何者だ」
男は問いかけられた。
「何者だってか? そうです。私が変なおじさん、もとい変なお兄さんですっつって納得しな。じゃねえとお互い気持ちよーくお別れ出来なきなくなんぞ」
「軍や警察の犬かなにかか?」
「そういうお前らは最近流行りの人浚いか?」
押し黙る。
「俺としちゃその女優さん置いて帰ってくれりゃあそれでいい。そんでどこぞのグラビア誌でも買い込んで勉強しろ。パンチラからやり直せ。そいつはきっとあんたらの人生を豊かにする」
「ふざけるな! 貴様いったいどこの何者だ!」
「そいつは二の次三の次でいいだろ。重要なのは、公序良俗に反しちゃいけませんってこった。女神さまも物言いたげじゃねえか」
男がすっと指を差す。
少女を通り過ぎてさらに奥へ。
そこには朽ちた石像。昔は優美な曲線を持っていたはずの、薄布をまとった女性が静かに彼らを見下ろしていた。
全員が女神像へと視線を写す。
少女だけは視線をそらさなかった。だから見ることができた。
一歩踏み出した男は自分とそう変わらない年の青年で、その背に負われているのはまだまだ小さな女の子だった。
この地方では珍しい真っ黒な髪と琥珀色の瞳。健康的に焼けた肌。印象的な悪童みたいな笑みがどこか幼さを感じさせる青年。
女の子の方は光を吸い込んでもまったく照り返しのない艶の失せた延び放題に生い茂った長い髪。そしてどこを見ているのか分からない望洋とした瞳。
「ついでにこう言ってる」
青年の笑みが深まって歯が覗く。彼は自分に視線が集まる前に指突き付けて言い捨てた。
「子どもの教育に悪いでしょーがってな」
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