風薫るその時

香坂偲乃

プロローグ

 聖北大学の器械体操部のジャージを着た。その中には高校三年の時に作った部活のTシャツを着た。今日は大学に入って初めての大会。今日親友で幼馴染の彼は来るだろうか。いや、来るだろう。隣の家の、彼の部屋のカーテンが開いている。

 一通りの準備を済ませると、真波飛鳥は下階に降りてキッチンに入った。もう母親がお弁当の準備を済ませてコーヒーを飲んでいる。

「おはよう母さん」

「おはよう飛鳥、よく眠れた?」

「うん、眠れた」

 飛鳥の母、智弘ちひろはカフェを営んでいた。そのせいもあって、朝飛鳥も母にコーヒーを淹れて貰うのが日課であった。

「コーヒー、今日は何飲む?」

「ドッピオ」

「ドッピオね」

 ドッピオはエスプレッソが普通のコーヒーの二倍濃いコーヒーだ。風味が高く、香りも良いが苦い。飛鳥はそれを好んで飲んでいた。苦いのが好きで、チョコレートもカカオが多く入っている物を好んだ。朝食をとってコーヒーを飲んでいると、智弘が飛鳥に向かって声を掛ける。

「今日、和哉君は来るかしら」

「来るよ」

「あら、分かるの?」

「分かる」

 そっかそっかと言いながら、智弘は嬉しそうだ。

「時間、大丈夫?」

「そろそろ行くよ」

 飛鳥はコーヒーカップを流しに置き、エナメルの鞄を肩に掛ける。

「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 朝日に照らされた新緑の植木が朝露に濡れキラキラとしていた。飛鳥は聖北大学に向けて足を動かす。

「飛鳥」

 懐かしい声が聞こえた。鼓動が早くなる。泣きそうになるのを堪えて振り返った。そこに居たのは。


 これは真波飛鳥の、たった一度しかない青春物語。

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