二人のアルフレード
@zuixi
第1話
前略ごめんください。
この手紙が届く頃、私はもうこの世にはいないでしょう。
このような出だしで始めたこと、お許しください。私は近頃、体調が優れず、床に伏せっていることが多いのです。もう何年も前のことになりますが、伊庭様が夏目漱石氏の『こころ』を大変称賛していましたのを思い出し、病床で特にすることもありませんので、弟子に本の手配をさせ、読みました。伊庭様は、「先生」が明治の精神に殉死することに感激しておりましたが、今の私はまさにそのような心持ちです。私には、もう自分の死期が近いことがよくわかっています。私は、大正の精神に殉死したいものだと考えております。
もし私がこのような時代に生まれていなければ、女性の権利が認められ、男性の力に頼らず一人で生きていける時代に生まれていれば、このようなことにはならなかったでしょう。
伊庭様がもしおそばにいらっしゃったら、「弱気なことを言うな」と喝の一つでも入れてくださるかもしれませんね。私も舞台に出たいと思ってはいるのです。けれど、もう体が言うことを聞かないのです。死を目前にして、私の人生を振り返ってみますと、人から華やかだと称されることもあり、確かにそのような面もあるのですが、実際には地の底を這うように生き延びる毎日でもありました。短いひとときだけでも、無我夢中であなたを愛しながら、国民歌劇の創生という二人の夢に邁進することができ、本当に幸せでした。一緒に誓い合った夢を果たせないまま、一人先に旅立つことが非常に無念です。
公演では、伊庭様が以前私のために作ってくださった『さすらひの娘』を演じる予定でした。あの劇のように、せめて、愛した人の胸の中で息絶えることができるなら、どんなに良かったでしょう。
これまでも、幾度となく別れと仲直りを繰り返してきた私たちでしたが、これで永遠のお別れです。伊庭様に、たくさんお話したいことがあります。けれど、また体調も悪くなってきましたので、もうそろそろ筆をおきたいと思います。
伊庭様、私があなたを愛するくらい、私を愛していてください。
さようなら、お元気で。
かしこ
大正八年三月十七日
徳子より
恋しき伊庭様
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