ノゾキアナ怪奇譚

ミカヅキ大安

 ノゾキアナ怪奇譚


「今更あなたに語ることはないかもしれませんね。あなたたちはどうせ全部覗きこんでいるんでしょう?私のことも、全て。まっそれでも一応は語ってみるとしましょう。一連の顛末まで全部ね」

 

 

  私、吉田美穂はカメラマンを目指して上京して、なんとかアシスタントの仕事にありつけました。 

 しかしプロには、なかなかなれない。いつかはと考えていても、アシスタントの業務に忙殺されているうちにそんな野心も忘れ去っていきました。

 


藤木さんと出会ったのもその頃でした。彼はモデルをやっていて、上京したての頃にイメージしていたおしゃれで華やかな都会の街を体現しているような人でした。



「ねえ吉田さん、撮影が終わったらさ。食事にいかない?」

 吉田くんが撮影中に小声でそう呟きました。男性から食事に誘われたことが初めてだった私はすっかりと浮かれてしまいました。

 都会のビルの地下一階にあるおしゃれなバーで藤木さんと私は夜通し夢を語りあいました。抱いていた野心をもう一度思い出したのです。

「そっか。カメラマンとして独立したらさ。吉田さんに一番に僕を撮影してもらいたいな」

「嬉しいです!例えば藤木さん主演の映画が製作されて、インタビュー写真を私が撮るとか!」

「僕の主演映画!あはは!何年後の話になるんだろう?」

 藤木さんは小劇団に入っていて、モデルの仕事は掛け持ちしているアルバイトの一つなのでした。ゆくゆくは実力派の俳優になりたいのだそうです。

「それでね。吉田さん」

「はい?」

「夢の足掛かりとして、といったら悪いんだけどチケットを買ってくれないかな?こんどうちの劇団で公演するんだ」

 一瞬で酔いが醒めた。そうか私が食事に誘われたのはこれが目的か。

 


でも、その時には私はどうしても藤木さんに惹かれていた。その頼みを無碍には断れなかった。その夜はチケットを手渡されて、連絡先を交換してお開きとなった。

 


私がアシスタントの仕事を失うのはそれからしばらく後のことだった。あの女がやってきたからだ。

 もう一人のアシスタントとして入ってきたあの女には、当初から直感的に嫌な感じがした。

「立花莉緒といいます!!よろしくお願いします!!」

 下心につけこめると見るや女を武器にする。そんな奴だった。

 スタンドインに入ると、カメラマンがべたべたと体に触ってくる。それを笑いながら受け入れる。

 反吐が出る。一番嫌いなタイプの女だった。

 藤木さんとこの想いを共有したかった私は、仕事現場で陰から思いっきりあの女の悪口大会を開こうと思っていた。

 しかし、あの女は藤木さんをすぐさまとりこんだ。

 若干遅刻気味で現場に到着するやいなや私の目に飛び込んできたのは、藤木さんと仲良く談笑する女狐のにやけた顔だった。

 そして、おもむろにやってきたカメラマンからクビを告げられた。

「君ね。遅刻が多いからね。もう、うちに来なくていいから。人手は足りてるからね」

「そんな!今月に入って遅刻は初めてじゃないですか!!」

 私が幾ら言っても無駄だった。ふと、藤木さんと喋ってるあの女が視界に入る。

 あの女の目が怪しく光り、頬をぐにゃりと曲げて薄気味悪い笑みをこちらによこした。

 


 これは被害妄想かもしれない。しかし、一つの可能性が頭に浮かんだ。あの女が色仕掛けでカメラマンを言いなりにさせて、藤木さんをも掌中におさめるべく、邪魔な私を追放させたのではないか?ということだ。そんなことをつらつらと考えていても、真実なんて分かりようがない。フリーランスという身の上はあまりにも脆弱だった。

 


そこからの帰り道はあまり記憶がない。ゆきずりのコンビニで度数の高い酒を片っ端しから買って酩酊していたからだ。唯一覚えているのは、藤木さんからもらった小劇団の公演チケットを破り捨てたことだ。『ザ・カンフルエンサーズ』という題で、オンラインサロンをテーマにした現代風刺的な内容だと、朧げに記憶している。だが、私が見に行くことなど今後ない。

 それから、自宅になんとか帰宅すると、泥のように眠りこけた。

 


大学の同級生の大原から電話がかかってきたのは、それから約一週間ほどあとのことだった。

 写真学科でスチール撮影の授業などでちょくちょく一緒のグループを組まされた奴だった。とても陽気だが、妙に印象に残らないところのある男だった。大学を卒業してから一切連絡をとることがなかった。

「あっもしもし吉田?久しぶり。お前さあ。今暇か?」

「何の用?大原。随分と久しぶりだけど。って『暇』ってどういうことよ。」

「ああ、つまり……今、働いてるかってことだな。もし良ければだけど、今うちのところで女性が欲しいんだよね」

「ああ、そういう『暇』ね。まあ……その……暇だけども……」

「あっじゃあもう、うちんとこで働けばいいじゃん。歩合制だけど、稼げるよ」

 私は率直に怪しい話だなと思った。でも、着々と減りゆく貯金残高と差し迫る家賃の振り込み期日から大原の話に飛びついてしまった。

 


後日、大原の指定した待ち合わせ場所に向かうと目の前に見覚えのない男がいた。

「よお、久しいな。吉田」

 声でなんとか識別できた。間違いない大原だ。しかし、頬がこけて病人のような見た目で、そのくせ目だけはらんらんと血走っていた。一言でいうと堅気の人間とは思えない風貌だった。

 それから大原は饒舌にまくしたてるように喋り出した。

「なあ、ダークウェブって知ってるか?ダークウェブだよ。ダークウェブ」

「ああ、なんか裏サイトみたいなのでしょ。たしか」

「ああ!違う!違う!!政府の監視下に置かれない情報社会の楽園だよ。フロンティアだよ!!」

 大原は完全にハイになっていた。おそらく気分が高揚する薬物でも常用しているのだろう。

「楽園だ。そこには法も関係ない。完全な無秩序だ。さあ、君の新しい職場へと向かおう。百聞は一見にしかずだ。僕の言うことがよくわかるから」

 


 大原に従うままに都市郊外の路地裏を進んでいくと、裏寂れたビルが待ち構えていた。

 ビルの3階の事務所に入ると、私の目にはとんでもないものが飛び込んできた。

 事務所は暗室でプロジェクターが作動していた。そして部屋の真っ白な壁一面には普段の自宅での私が映されていた。

 洗濯をしたり、気ままに鼻をほじりながらスマホをいじったり、そして脱衣所で一枚一枚皮を剥ぐように私は衣服を脱いでゆく。



 しばらく放心して映像を眺めていた私は流石にわれに帰った。

「やめて!やめてください!いやあああああ!」

 覗き穴の先の私は無防備なままに下着を脱ごうとする。その直前、映像は停止した。そして照明が点いた。



「はっはっは。吉田美穂さん。お分かりですかな?これが私たちの商売なんです。」

 小人のような老人が私の前にのそのそとやってくる。

「たったった……他人のプライバシーを覗くことがですか!!!」

 自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。どうかこのビルの先へと、出来れば全世界に私の声がこだましますように。

「覗くだけじゃない。切り売りするんです。」

「下劣な人たちだわ!!!」

「うっひひひひ!!!」

 大原が『下劣』という言葉に反応しておもちゃの人形のような笑い声を出す。端的に言って、気持ち悪い。

「お嬢さん。あなたにも他人を覗き込んでもらいます。そしてあなたが切り取ったプライバシーは平等にダークウェブで顧客たちに売り払われます」

「下衆なじいさんだわ!!!」

「下衆?そうですかな?たかだか人間一人が個人情報を占有することの方が我々にはとても不健全な在り方に思える。プライバシー権なんてここ最近生まれた幻想かもしれない。まあお題目はここまでにしましょう。プロジェクターオン!!!」

 


 またしても暗室が生まれて、私の無自覚なストリップショーが、いまに停止した画面いっぱいに繰り広げられようとしていた。

「お嬢さん。私は今からこの映像の続きを流すこともできる。それだけじゃない。人の人生を覗きみたい好事家の皆さんに安値でご提供することもできるんです。あなたが我々に協力するか否か。でね」

 私は理解した。脅迫されているのだ。私のプライバシーはこいつらに握られているのだ。

 私は人としてのモラルやプライドが、恐怖の下に跪くのを感じた。

 


 こうして私は盗撮犯罪者になった。道ゆく女性のスカートの中を撮影することから始まって、公衆トイレから浴場の脱衣所へと私はあらゆるところで盗撮を行った。

 初めこそ罪の意識が重石のように心に沈んだ。しかし、しだいにその感覚は薄れて別の感覚が私を支配するようになった。一言で言えば『優越感』だ。

 私が着たこともない派手なブランドものに身を包んだ女も私の手にかかると、装飾品を取っ払った盗撮マニアの慰みものになるのだ。そう言う時私の心には『ざまあみやがれ』という昏い快感で満たされる。

 いつしか優越感だけじゃなく、他人を覗き込むこと自体が楽しくてしかたなくなっていた。一見、地味目な女が意外に派手な下着を着用していたり、身なりのしっかりとした女がトイレで愛人相手との猥談を楽しむ風景を見ると、そこは世界の縮図のように感じるのだ。

 



 しだいに私は神のような視点から世界の悲喜交々を見下ろしているような万能感を感じるようになった。

 今日も獲物をハンティングする獣のようにストリートへと繰り出した。神から獣へと、今や私は何にでもなれるのだ。ちょっとばかしキャリアがあるからと言ってパワハラ上等なクソカメラマンの使いパシリではないのだ。そこらへんの奴とはもう次元が違うのだ。



『さあて、今日はどいつを覗いてやろうかな?』

 心で舌舐めづりして街中を見渡すと、見覚えのある顔のカップルが腕をくんで歩いていた。

『藤木さんと……あの女!!!』

 たしか立花莉緒といったか。そうか。私から全てを奪ったあの女狐はとうとう藤木さんを毒牙にかけたのか。

 藤木さんと片割れの女は都会の街並みによく映える理想的なカップルだった。きっと誰もがそう思うだろう。二人は映画館へ行き、レストランでディナーを済ませ、愛の巣へと帰っていく。藤木という表札がかかった巣だ。

 


 立花が床でゴロンと寝転がる。藤木さんはかがみ込んで立花に接吻を交わす。藤木さんは料理が上手だ。今日もペペロンチーノを作って立花に振る舞う。藤木さんは食べながら中年おやじのような下ネタを言う。それに立花も乗って笑う。

 そんな二人の他愛無いやりとりを、液晶パネルごしに覗き込む私も笑う。そうだ。全ては筒抜けだ。


『藤木!立花!あんたらの臓物まで全部覗き見てやるよ!!!』

 

 缶ビールを飲みながら、私は部屋で一人で叫ぶ。憎ったらしいカップルの生活は、ピッキング技術を駆使して忍び込み、部屋の至る所にしかけた監視カメラが逃さないのだ。



「そういやさ。吉田さんって今何やってんのかな?」

 胸がざわめいた。立花が私の話題をだした。

「吉田さん……ああいたな。そんなの。酷いんだぜ。せっかくチケット渡したのに来ないなんて。まあ、とっぽい女だったし、今頃一人寂しく缶ビールでも飲んで、惨めに夜を過ごしてるんじゃね?あっはははははははははははははははははは!」

「えー藤木さん!酷すぎだよ!でもありえる〜!」

『ガシャ』という音が室内に響く。缶ビールを握り潰した手から液体がぽたぽたと流れる。

「実は俺さ。連絡先知ってるんだよ。電話かけてみようか!」

 スマホが着信を告げる。私は手に取る。通話ボタンを押す。

「あっひっさしぶりー藤木さーん。会いたかったんですよー!」

 画面の向こうの立花がクスっと笑う。藤木さんも顔を手で覆う。私の声が音量全開で向こうの室内に響き渡っているのだ。

「吉田さん。僕も実は……会いたかった……ん……だよ」

「なあに?変な藤木さんね。まるで……笑いでも堪えているみたいだね?」

「いや、いや!ああ、僕ちょっと酔ってるんだよ。だから何かちょっとしたことで笑いが……あの、変な意味は無いんだよ!」

「誰か?そばにいるの?」

「いや!僕一人だよ!!」

「ふーん。じゃあね」

 私は電話を切った。二人は画面の中で狼狽していた。

 


 すると二人のいるリビングに仮面を付けた怪人が入ってきた。何故か怪人は手にカメラの三脚を持っていた。

 まず藤木さんの頭に三脚を振り下ろし、次いで立花の頭にも。

 私が事態を飲み込めずにいると、血まみれの怪人はゆっくりと監視カメラの方に近づいてきた。



「きゃああああああああああああああ!!!」

 私は絶叫して、パネルの電源を切った。非常な恐怖心が胸に満ちた。

 恐怖を沈めるために、私は世界を覗かなくてはいけない。もう、そういう体になっているのだ。

「覗かなくちゃ!覗かなくちゃ!!」

 私は以前に撮影したデパートの女子トイレの個室の映像をパネルに写した。だが奇妙だ。昼間のデパートだと言うのに一人も来ない。私は映像を早送りにした。しかし、誰も来ない。

「どういうこと?」

 そこに一人の人物が入ってきた。先程哀れなカップルを亡き者にした怪人だ。

「何なのこいつ!!!」

 リモコンを操作しても画面は一切変化しない。怪人は用を足すことなく、ゆっくりとカメラのファインダーへと顔を近づける。

「お前は何者だ!!!」

 そして怪人は仮面を剥ぎ取った。仮面の内側に隠していたその素顔は、私の顔だった。顔も背丈もそういえばこの怪人は私そのものだった。

 私によく似たそいつはカメラに向かって手を差し出し、おいでおいでとサインを送った。

 私はこの場から逃げ出したかったが、体が動かない。世界のフォーカスが全て、私によく似た怪人の目の中へと収斂していくようだ。そして引き摺り込まれていく。


「いやあああああああああああああああ!」

 

 私は意識を失った。

 そして目が覚めた。

 そこは先程のトイレの個室だった。



『覗かれてる!』

 何かに監視されているのを感じた。走り出した。しかし、デパートの中も外も人気が全く無い。ミニチュアのような世界で、私は何者かに監視されているのだ。

 私は走る、走る、走る。

 しかし、執拗に何者かが私を覗くのだ。

 路上に設置されている防犯用監視カメラに向かって私は叫んだ。

「私をみるなあああああああ!!!」

  

  


「以上が事の顛末というわけです。先生あなたも覗き見ているのでご存知のこととは思いますが」

「ええ、そうですね。こうやってお話を拝見すると、まるであなたの人生を覗きこんでいるようですね。まあ、それが僕の仕事ですけどね」

「でも、最近はお薬の力なんでしょうけども、覗かれることも悪くないと思えるようになりました。誰だって他人の一部を覗き、覗かれることで生きているわけですから」

「そうですね。吉田さん。人と人が関わるとはそういう事かもしれませんね」

「でも……また怪人が現れると思うと、怖いんです」

「傍聴席の方々ですね」

「ええ、あいつらは他人を覗いて征服欲を満たす怪人ですからね。それが餌のようなものなんです」

「でも、大丈夫です。薬を飲んで僕と話をしていればね」

 


 私は先生に感謝を告げて、診察室を後にしました。

 リノリウムの床の感触を味わいながら歩いていると、背後に気配を感じました。

 振り返るとやはり奴です。

 カメラを手にして怪人が立っているのです。奴はそれで世界の全てを自分のものにしようとしているわけです。

 仮面を脱ぐと、やはり私によく似た顔をしてます。

「お前の企みは上手くいかないよ」

 私そっくりな怪人は肩をすくめてみせます。

 私は奴に悪意たっぷりにこう返してやります。

「だってねえ。あんたもいずれ覗かれる立場になるんだから。あははははははっ!!!」

 私の笑い声がこだましていきます。

 世界はきっと、今でも私を覗いているのでしょう。

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