火のあるところに煙は立つ

紅りんご

火のあるところに煙は立つ

『月狼水木金土日』


 月曜日、放課後の生徒会室。副会長の黒川くろかわは、目の前の文字列と向き合っていた。日課の目安箱の整理を始めた時に出てきたのがこの暗号だった。正方形の小さな白い紙に特定を避けるためなのか、定規と鉛筆で書かれた文字。最初はいたずらの類だと思ったけれど、それにしてはメッセージが婉曲すぎる。少なくとも嫌がらせの類ではない。生徒会への挑戦、とでも言ったところだろうか。


「いいぞ、受けて立つ。」


 今日は生徒会の定例会議はない。だから、会計は来ない。裁縫部は鍵の紛失で活動停止中だから書記も帰宅しているだろう。会長も数分前に生徒指導部に呼び出されていない。となると、しばらくは生徒会室に一人。思う存分、この謎に挑戦できる。


「げつおおかみすいもくきんどにち、か。」


 狼を除けば、その並びは曜日とみて間違いないだろう。一度声に出してみたけれど、何の手がかりも掴めない。低く唸りながら、両手で紙を電灯にかざしてみる。当然、何も浮かび上がってはこない。

 次はどうアプローチするべきか。紙を掲げた腕を降ろそうとした黒川の後方から声が届く。聞き慣れた、それでいてしばらくは聞くことのないと思っていた声が。


「それを読み上げるなら、『げつすいもくきんどにち』の方が正しいだろうね。」

「げ。会長。ってそうか、音読み。」


 いつの間にか帰ってきていた会長は、後ろから紙を覗き込んでいた。


「面白いものを独り占めしようなんてずるいじゃないか。ほら、早く見せてくれ。」

「……どうぞ。会長なら難なく解いちゃいそうですけど。」

「ありがとう。はは、それは買いかぶりすぎだよ。」


 生徒会室の最奥、会長は自分の席に座ると、手渡された紙をじっと見る。切れ長の目が細められ、その鋭さを増している。どうやらこの暗号は会長の琴線に触れたらしい。

 否定はするけれど、会長の問題解決能力の高さには目を見張るものがある。勉強の悩みら恋愛の悩みまで、生徒から寄せられる相談には的確なアドバイスをする。その多くが実を結ぶこともあって、匿名実名問わず生徒からの相談が絶えることはない。

そしてその評判は生徒に留まることはなく、今日のように教師から呼び出されて、相談を受けることもあるのだ。

 見つめていた時間は5分も無かったのではないだろうか。会長はしばらく視線をさまよわせ、逡巡した後に頷いた。


「なるほど。」

「何か分かったんですか?」

「少し席を外すよ。」


 黒川の問いに答えることなく、会長は生徒会室を出ていった。その顔は暗号を目にした時よりも少し強張っていた様な気がした。

 暗号の紙を手に待つこと十数分。いつもと変わらない足取りで会長は生徒会室へと戻ってきた。そして、何事も無かったかのように席につき、溜まった仕事を消化し始める。


「会長?」

「ん、どうかしたの?」

「いや、教えてくださいよ。解けたんでしょ、その暗号。」

「おや、黒川君はこういうネタばらしを嫌うタイプだと思っていたのだけれど。」

「そうですけど。もうお手上げですから。」


 そう言って、黒川は両手を挙げたジェスチャーをしてみせる。会長は愉快そうに口元を緩める。きっと頭の中では、黒川が暗号片手に四苦八苦している映像が浮かんでいるのだろう。

 このまま、すんなりと答えを教えてくれたらいい。ただ、会長がそうしないことを黒川は長年の付き合いで把握していた。


「まぁ、そう言わずに。まずは、黒川君の考えを聞かせてくれないか。」

「分かりました。答えは見つかってないので途中までですけど。」


 会長は一方的に答えを語るのを良しとしない。必ず相手と対話して、相手にも当事者として考えさせる。相談相手が辿り着いた答えが会長の持つ答えとは異なっていても、その答えを良しとする。アドバイスこそすれ、自分の答えを押し付けることはない。それが会長の良いところだが、明確な答えがありそうな問題の時は少し面倒くさい。


「まず、これは曜日の頭文字を取ったものだと思います。そう考えると曜日の列と違うのは、『火』が『狼』と入れ替わっていることです。」

「そうだね。」

「透かしたり、跡が残っていないかも調べました。ですが、他には何のメッセージも残されていませんでした。」

「はは、入念だ。」

「とすると、この文字列だけである程度読み解けることになります。この文字列は各曜日の頭文字を取ったものですから、『狼』も何らかの頭文字ということになります。」

「ほう。」


 興味深そうに頷く会長。どうやら最初からつまずいている訳ではなさそうだ。自信をもって黒川は先を続ける。


「さっき会長に指摘されたように、この文字は『おおかみ』ではなく、『ろう』と読むべきでしょう。他の文字と表記を合わせるなら、『ろうようび』となる訳ですが……。」

「ろうようび、なんて言葉は存在しないかもしれないね。」

「言われなくても分かってますよ。だから読み方には意味がない、ということにします。」

「なるほど。」


 言いつつ会長の顔色を伺うが、その顔には正解とも不正解とも書かれていない。ただ真剣に黒川の話を聞いている。


「読み方に関係がないとすれば、狼という言葉自体に意味がある筈です。狼から連想できる言葉の中で、この暗号と関係がありそうなのは『月』でしょう。狼男が変身する満月。この文字列は満月が夜空に浮かぶ曜日を示している、という訳です。」


 我ながら無理のある発想だということは分かっている。わざわざ満月が火曜日であるということを生徒会に伝える意味はない。それに、明日は月末の火曜日だが満月ではない。

 ところが、落胆と共に目を瞑った黒川の耳に聞こえてきたのは、拍手だった。


「なかなか良い推理だね。まぁ、不正解ということになってしまうけれど。」

「やっぱりそうですか。」

「落ち込まなくていいよ。私は黒川君より少しだけ多くヒントを持っていただけにすぎないから。」

「ヒント、ですか?」

「あぁ、まずは聞いてくれるかな。」


 そう言って、会長は自分の推理を語り始めた。


「黒川君が推理した通り、注目すべきなのは火曜日と狼の関係性だ。ただ、『狼がある』ことではなくて『火がない』ことに注目しないといけなかったんだよ。」

「火がない。」


 口に出した時、何かが頭をよぎったような気がした。そんな黒川の変化を逃さず、会長は問いを投げかけてくる。


「火がない、でピンとくる言葉があるだろう?」

「『火のない所に煙は立たぬ』ですか。」

「ご名答。」


 慣用句こそひねり出せたものの、それが目の前の暗号とすぐには結びつかない。火がない所には煙はない。この暗号にも火がない。つまり、この文章にも煙がない、ということになる。元々火があった所に狼があるのだから、正確には狼と煙が関係していると考えるべきだろう。

 狼と煙、そして火。手元にあった紙に書きだしてみる。その時、閃くものがあった。


「もしかして……『狼煙』ですか。」

「その通りだよ。『火』がないから『狼煙』から煙が無くなって狼だけが残ったんだ。」

「そうなんでしょうけど、それが何を示しているのかが分かりませんね。」

「ここからが私のヒントの出番でね。黒川君、私が今日生徒指導部に呼び出された理由を知っているかな?」

「裁縫部の件でしょうか?」


 黒川の通う高校には裁縫部が存在する。被服教室で活動する彼等は、一週間前に鍵を紛失したことによって一時的な活動の停止を余儀なくされていた。鍵が見つかるまで活動できない、ということで部員たちは必死に探しているようだが、未だに見つかっていないらしい。

 当分は授業で使うことはないとはいえ、先生方も問題にしているようだし、会長を頼るのも無理ないことだろう。

 予想は的中し、会長は無言でうなずいた。


「裁縫部は鍵を紛失したわけじゃない。盗まれたんだよ。これが、この暗号が示している事実だ。」

「どうしてそこで裁縫部が出てくるんですか?」

「順を追って説明しよう。この暗号を読み解く鍵は『狼煙』と『火があること』。狼煙を選んだのは、類似行為でかつ告発を分かりにくくするため。別に答えをそのまま暗号に組み込んでも良かっただろうね。では黒川君。学校で禁止されていて狼煙を連想させる行為は何か。」


 会長の言う通りなら、その行為自体に『煙』という言葉が入っている可能性が高い。告発対象が近くにいるのか、それとも告発対象に監視されているのか、一ひねりした暗号を制作する必要があったのだろう。

 そして選ばれたのが狼煙。細く立ち昇る白い煙。鼻腔に刺すような臭さが広がった所で、脳内に一つの言葉が浮かび上がった。


「もしかして、煙草ですか。」

「恐らくは、ね。」


 煙草を吸う生徒なんてこの高校にいるのだろうか。生徒と教師を含めて、この高校は全面禁煙だ。自分で言っておいて何だが想像がつかない。


「そして、それが行われているのが被服教室なんですか。」

「そうだ。ここでもう一つの鍵が役に立つ。煙草は『火がある』と使えるものだからね。この暗号が示す行為はがある所で行われていると考えるべきだ。」

「だから服教室。」

「更に言うなら、曜日の休み。あるいは放後。」

「そこまで考えてますかね。何というか、出来過ぎというか。」

「それを言われると弱いね。確かに出来過ぎだし、分かりにく過ぎる。」

「でも、会長はこの推理を先生に聞かせに行ったんですよね?」

「こんな荒唐無稽な話はできないよ。ただ明日、被服教室に注意しておいた方がいいと言ってきただけさ。」


 それを聞いた教師がどんな反応をしたのかが気になる。けれど、会長に問いただそうとしたタイミングでチャイムが鳴った。まぁいい。明日になれば分かることだ。


「おや、今日も終わりだね。帰ろうか。」

「帰りましょう、名探偵。」

「あー、自分が解けなかったから拗ねてるのか黒川君。」

「そんなことないですよ。ただ、会長の推理力は凄いなと思っただけで。」

「本当かい?まぁ、今回は私の誇大妄想で済むのが一番良いけどね。」


 そう言って会長は目を伏せた。恐らく会長には、もう少し細部まで分かっているのだろう。それでいてそれを口に出さないのは、現実になってほしくはないと思っているから。会長の推理はいつも真実を見抜く。それだけに見たくないものも見えてしまっているのかもしれない。

 

「ではまた明日。」

「また明日。」


 最寄り駅で会長と別れる。電車の発車音が月曜日の終わりを告げた。

 後日。黒川は会長から事の顛末を聞いた。

 煙草を吸っていたのは高3の生徒3人。裁縫部員が落とした鍵を拾った彼らは、被服教室に繋がる準備室を利用することにしたらしい。ただ、準備室は裁縫部の顧問が使用しており、喫煙の事実はすぐに判明するはずだった。問題を更に混迷にさせたのは、元々顧問が準備室で煙草を吸っていたこと。そして、彼等がそれを利用したことだった。準備室と自身の煙草が使用されたことに気が付いた顧問は問題の発覚を恐れた。すぐに彼は生徒達を特定し、互いに黙認しあうことを決めた。裁縫部の活動をどうするかは二の次だったのだろう。結果として、会長の機転で事件は発覚した。生徒は休学、顧問は謹慎となった。

 そうして裁縫部が活動を再開した頃、目安箱に丁寧な文字で1枚の紙が入れられていた。そこには短く『ありがとうございました。』とだけ書かれていた。

 思えば、この書き手が投書した暗号から全てが明るみになった。この人物が裁縫部員なのか、それとも全くの第三者なのかは分からない。けれど、あの暗号がこの書き手にとっての反撃の狼煙であったことは間違いないだろう。

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火のあるところに煙は立つ 紅りんご @Kagamin0707

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