第15話 タレイアへの揺さぶり

 医務室に人の姿はなく、扉には離席中の札がかけられていた。

 軍医が席を外すなんてどういうことか。

 職務怠慢にもほどがあるけれど、衛兵に聞くと食堂にいる時間だという。

 なんでも、騎士たちの昼食とずらしているのだそうだ。

 大きな機械式時計を見ると、十一時を指していた。


「ここ、いいですか?」


 食堂に着くと、兄様はタレイアの正面の椅子を引いた。

 短いスカートから惜しげもなくさらけ出す脚は肉感的で、こんな場所では目に毒だろう。

 周りには数名の団員らしき男性の姿があるけれど、誰もがタレイアに目を奪われているようだ。

 兄様はあんなものに意識を向けないだろうけれど、牽制も込めてタレイアを睨んでおいた。


「あら、お兄さんにお嬢ちゃん。来るなら言っておいてもらわないと。もう済ましちゃったわ」


 テーブルに置かれた空の食器には、真っ赤な口紅がこびりついている。

 相変わらず香水の匂いを振りまく相手と食事をすることなど出来るはずがない。


「これは失礼。ですが、こちらも仕事が残っていますので」


 そう言って兄様は粗末な椅子に腰を下ろす。

 正直、私の中でタレイアへの疑いは薄い。

 けれど木槌の灰から怪力は不要だと分かったのだ。

 痴情のもつれは事件の種。

 火事場の馬鹿力という言葉もあることだし、警戒は緩めてはいけない。

 艷やかな金髪を指で絡めるのを見ながら、兄様の尋問は始まった。


「調査を進めていると、事件前にレオーネ団長が誰かと会っていたのではという話が出たんですよ」


 レオーネは朝まで外出すると言いながら、敷地内にとどまっていた。

 ということは、騎士団の内部で誰かと会う予定だったのではないか。

 そう説明すると、タレイアは顎に手を当て頬杖をついた。


「それがあたしだっていいたいわけ?」


「可能性はあるのではないかと」


「馬鹿馬鹿しい。なぁんであたしが深夜に団長と会わなきゃいけないのよ?」


 言葉通り、馬鹿にするように笑い飛ばすタレイア。

 けれど兄様にとっては何も感じないものらしく、とんと自分の脇腹を指差した。


「脇腹の傷」


「はぁ?」


「タレイア医師は言っていましたね。遺体の所見で、傷はあったが戦争の古傷だと。

 同性ならいざ知らず、異性が服の下を、それも脇腹の位置を見る機会なんてありますか?」


 鋭い指摘に、タレイアの目が細くなった。

 この国において、異性の前で手足や顔以外の肌を晒すことは稀だ。

 あるとしたらそれは家族か、それとも……。


「それは……前に怪我をして、その手当に」


「騎士団長ともあろう方が、戦争も終わったこの時代に怪我を?」


「じゃあっ、戦争直後よ!」


「十年前にはもう軍医で働いていたんですか。調べてもかまいませんね?」


「勝手にしなさいよ!」


 もちろんこれは嘘だろう。

 というか、兄様はすでに騎士団の人事記録に目を通している。

 タレイアが軍医になったのは今から七年前、戦争直後と言うには遅すぎる。

 興奮した様子のタレイアに追い打ちをかけるのだろうか。

 かと思ったのに、兄様は警戒を解かせるように両手を広げた。


「それは一旦置いておきましょう。その代わり、検死について聞いてもいいですか?」


「……何よ?」


 柔らかな微笑を浮かべる兄様に拍子抜けしたのか、タレイアは口を尖らせながらも返事をした。

 軍医としての話ならば問題ないと思ったのかもしれない。

 けれど、兄様の問いかけに眉間のしわが寄った。


「検死までに半日も開いたことについて、理由を教えてもらえますか?」


「ゾロさんに言ってよ。あたしの意思じゃないわ」


「そうですか。それでは、検死の結果について。

 死亡推定時刻は二十二時から四時までとのことでしたが、もう少し縮まりませんか?」


「時間が経っていただけじゃなくて、あの日は気温の変化が激しかったわ。

 ずいぶん温かい夜だったし、不確定な検死結果を出すわけにはいかないもの」


 タレイアは挑発的な目で兄様を見て、真っ赤な唇を引き結んだ。

 言うつもりはないということか。

 ゾロと同じく非協力的な態度に、思わず紅玉を突きつけたくなってしまう。

 けれど兄様はそんなことはせず、細いため息を吐いた。

 

「それでは振り出しに戻りましょうか。レオーネ団長はかなりプライドの高い方だったようですね」


「でしょうね。それがどうしたっていうよ?」


「そんな方が、深夜の誘いにそうそう乗るとは思えません。

 あるとすれば……愛人だった女性からの誘いなら、レオーネ団長も応じたんじゃないですか」


 燃えるような青い視線が、兄様の隠れた目へと突き刺さる。

 こんなに強気な態度で、プライドの高いレオーネが本当に愛人にしたのだろうか。

 正直不思議に感じるけれど、男女の関係は謎に満ちているものなのだ。

 タレイアの反応を待っていると、兄様はふと声色を和らげた。


「もしも死亡推定時刻が二十二時から零時になったら。容疑が晴れる人物もいるんですよ」


 その言葉に、タレイアの眉が跳ねた。

 言わずもしれたイグナスのことだろう。

 けれど、タレイアにとっては自分に容疑がかからなければ十分のはずだ。

 誰とも知らない騎士団員のために意見を翻すことはないだろう。


「……お兄さん、人の弱点を突くのが上手ね」


「それが調査官の役目なんで」


 張り詰めた緊張が急に解け、タレイアの目尻が下がった。

 どういうことだろう。

 兄様は意図してやったようだけれど、何が理由で緩んだのか分からない。

 一人だけのけ者にされているような感覚は不愉快で、尖りそうになる唇を噛んだ。


「確かに、死亡推定時刻は二十二時から零時の可能性が最も高いわ。

 お兄さんだって分かって言ってるんでしょ?」


「検死の経験は十分すぎるほどありますからね」


 ため息交じりの告白に、兄様も軽々と頷く。

 なんということだ。

 兄様は分かっていながらタレイアの検死結果を優先して動いていたのか。

 それに一体なんの意味があるかは分からない。

 こうして今、タレイアの自白を引き出すためだったのかもしれない。


「無実の誰かに押し付けてまで容疑を逃れたいとは思わないわ。

 それに、あたしはやってないって自分で分かってるもの」


 そう言うと、タレイアは周囲に視線を向けてからふっと笑った。

 妖艶な瞳を向けられた者たちは慌てて顔をそらし、周囲に耳をそばだてるものはいなくなった。

 そしてタレイアは、古株はみんな知っていることだと前置きしてから口を開いた。


「確かにあたしは団長と愛人関係だった。でも何年も前の話。とっくに終わってるわ」


「死亡推定時刻を広く取った理由を、聞かせてもらえますか?」


「簡単なことよ」


 兄様の質問に、真っ赤な唇をにいっと引き上げる。


「しつこい男を殺してくれた犯人に、感謝してるから」


 まるで魔女のような笑みは、タレイアの持つ妖艶さと相まって迫力を生んだ。

 言葉に嘘はないのだろう。

 そう思えるほどに、それは壮絶な笑みだった。


「ずいぶんと遺恨が残っていたようですね」


「まぁね。そうそう、遺体を運び出す時にご自慢の宝剣が転がり落ちちゃったのよ。

 あぁんなに縮こまっちゃって、ざまぁないわ」


 少女のような無邪気な笑いに背筋が冷える。

 心の底から喜んでいる様子は、兄様でなくても分かる。

 死してなお、タレイアはレオーネを疎んでいるのだ。


「関係は終わっていたんですよね?」


「あたしにとっては終わってたわ。なのにあいつ、昔の関係に固執して未だに迫ってくるんだもの。

 あんなに執着するなんて気持ち悪い。あっちには妻も子どもも居るのに」


「タレイア医師は、ご結婚は?」


「大昔にね。夫の浮気が原因で別れたわ」


 流し目を送る仕草を見れば、逆なのではないかと思ってしまう。

 それほどまでに奔放なタレイアならば、もしかして色気に惑わされて罪を犯してしまう者も……。

 一瞬浮かんだ考えは、斜め前から私を見つめる視線に遮られた。


「その反応は慣れっこなの。あたしだって、昔はこうじゃなかったのよ?」


 身体をくねらせながらの言葉に信憑性はない。

 けれど、長いまつげの奥にある瞳は、からかい以外の色を見せているように見えた。

 どこか寂しげな、もしくは羨んでいるような。

 きっと気のせいだろう。

 内心を見透かされないよう、努めて無表情を貼り付けた。


「別れた夫は医者でね、共に切磋琢磨できる、信頼できる相手だったわ」


 唐突に始まった昔話に、兄様は静かに耳を傾ける。

 事件とは関係はないだろう。

 だというのに、なぜか聞かなければいけないような気がしてしまった。


「でもね、彼はあたしが医師として名を上げるのが気に食わなかったみたい。

 あたしがよそに何人も男を囲っている阿婆擦れだって、あちこちで言い回ったの」


 あんまりな話に思わず声が出そうになる。

 けれど、それこそ慣れっこなのだろう。

 タレイアは私の反応を気にすることなく、気だるげに肘を突いた。


「結局、あたしの信頼はガタガタ。雇ってくれる場所なんてなくなった。

 その上、あっちは若くて可愛らしい新妻をもらってたわ。世間知らずな箱入りお嬢様のね」


 男のプライド、というものなのだろうか。

 肩を並べられる仲間よりも、庇護できる弱者を求める。

 女性の社会進出など滅多にない環境で、誉れを勝ち取ったタレイアに嫉妬していたのかもしれない。


「それで、レオーネ団長に仕事を紹介してもらったんですか」


「そ。関係を持つ代償に軍医の立場をもらったわ。あっちが団長になったのを機に別れたけどね」


 兄様の変わらぬ相槌に、タレイアはあっさりと頷いた。

 もしかしたら……自分は弱者になれないと分かり、開き直るしかなかったのかもしれない。

 いくら能力があっても性別で区別される世の中だ。

 ならば性別を武器にすることも、時には必要なのかもしれない。

 あえて口にすることはしない。

 けれど、この先監視官を続けるためにも、感情の機微には心を砕く必要があるのかもしれない。

 先入観を恥じる私を気にすることなく、兄様は質問を続けた。


「では、他にレオーネ団長と懇意にしていた女性はいましたか?」


「さぁ? あの色情魔のことだから、誰がお手つきでも不思議はないわね。

 ま、騎士団に女はほとんどいないけど」


 そう言うと、タレイアはふと宙を見つめた。

 外部の女性を考えているのなら的外れだ。

 わざわざ施設内に呼び込むくらいなら、宣言通りに外で逢い引きをしたほうがいい。

 だとしたら、レオーネを呼び出したのは女性ではないのだろう。

 最高責任者がわざわざ出向くほどの要件を、再び考えなければならなくなった。


「ブルアンさんのこと、知ってる?」


 タレイアの言葉に、考えを止めて視線を向ける。

 妖艶さの感じられない表情は、悪意の欠片も感じられない。

 だというのに、突きつけられた事実は私たちの認識を一気に変えるものだった。


「おチビちゃん、ブルアンさんに恩があるみたいでね。騎士団に入ったのもそれが理由みたい。

 あの子も当日居たんでしょう? 彼の頼みなら頑張っちゃったりして」


 おチビちゃん……昨日そう呼ばれていたルーヴの姿を思い出し、そんなまさかと思ってしまう。

 華奢な身体の書記官が、恩人の頼みであんなことをするだろうか?

 冗談交じりの言い方は、本心なのかそうでないのか。 

 驚いた様子のない兄様は、ここで判断するつもりはないのだろう。

 ゆっくりと腰を上げると、薄く笑ったタレイアに問いかけた。


「最後になりますが、儀礼室の鐘つき部屋を知っていますか?」


「軍医が神聖な儀礼室に入るわけないでしょう? 検死の時に初めて聞いたわ」


 ため息交じりの言葉に嘘はないだろう。

 同じ判断したのか、兄様は軽い挨拶を残して食堂を出た。

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