第6話 イグナスの聴取

 部屋から離れた場所で直立していたルーヴは、私たちを見ると静かに歩み寄ってきた。

 こんなに物静かな態度は、騎士団の中でも浮いているのではないだろうか。

 そう思ったけれど、文官と思えばこれはこれで正しいのかもしれない。


「ルーヴ書記官。こちらの名前の人たちに会いたいんですが」


「かしこまりました。ご案内いたします」


 兄様がもらったばかりの羊皮紙を差し出すと、ルーヴはさっと目を通してから頷く。

 すべての名前が頭に入っているのかもしれない。

 子どものような身体つきでも頭は成熟しているのだろう。

 予想外の有能さに舌を巻きながら、ルーヴの案内についていく。

 遠くで遠征から戻ってきた人たちのざわめきが聞こえる中、訓練場へと足を向けた。


「……いません、ね」


 入り口のすぐ近くにあった訓練場は、乾いた砂埃が寒風に舞っていた。

 土の地面を踏み固めただけの場所は、小さな倉庫以外何もなかった。

 

「申し訳ありません。本日、訓練は中止になり待機命令が出ておりました」


 ルーヴは小さく身を震わせ、すぐに頭を下げる。

 無感情な人間かと思っていたけれど、相応に動揺していたのかもしれない。

 肩を丸めて謝る姿は弱々しく、哀れみすら感じてしまった。


「かまいませんよ。施設内は見てみたかったですしね」


 そんな兄様の優しい気遣いの中、ふと視界の隅に何かが映った気がした。

 それは煉瓦を重ねただけの倉庫の裏。

 固い地面に放り出された足を見て、儀礼室で見た光景が浮かび上がってしまった。


「あそこ……人が倒れていますっ!」


 引きつった叫び声に、兄様は瞬時に私の前へ立ちはだかった。

 ルーヴも弾けたように顔を上げると、転がっていた足がゆっくりと影に消えていった。


「ひ……っ」


 もしかして、今この時、犯行が行われているのだろうか。

 レオーネだけでは飽き足らず、他の騎士たちまで残虐に殺し回って……。


「うるっせぇな」


 赤い想像を引き裂くように、不機嫌な男の声が響いた。

 兄様が乱暴な言葉を使うわけがないし、ルーヴもこんなに低い声ではない。

 だったらこれは犯人のものかと思っていると、倉庫の裏から一人の男が現れた。


「せっかく訓練がなくなったっていうのに、おちおち昼寝すらできねぇじゃねぇか」


 それは騎士の服を着た、筋肉質な若い男性だった。

 短く刈り上げた茶髪と、同じ色の吊り上がった目。

 こちらを睨みつける眼差しは、騎士というより野盗のほうがお似合いなくらいだった。

 彼の言い分を考えると、さっきの足は彼のものだったのか。

 早とちりから叫んでしまったことに羞恥の汗が浮かんだ。


「イグナス様」


 平常を取り戻したルーヴが声を上げると、兄様は羊皮紙にちらりと目を向ける。

 彼の名前が載っていたのだろう。

 兄様は私を隠すように脚を進め、不機嫌な騎士……イグナスに対面した。


「イグナス正騎士、ですか?」


「だったらなんだよ」


 イグナスは兄様より背が低く、見上げるように睨みつける。

 紅玉のブローチが見えないはずはないだろう。

 喧嘩っ早いどころではない態度に、書記官であるルーヴも気をもんでいるようだった。

 こちらを見る視線は敵意をむき出しにしながら、値踏みしているようにも感じる。

 思わず兄様の陰に隠れてしまったけれど、それを気にした様子はなかった。


「調査官のクリシュナと申します。こちらは監視官のフィオナ。質問しても?」


「ああ、クソ野郎が殺された話か。せいせいするぜ」


 兄様の問いかけに、イグナスは鼻で笑って吐き捨てた。

 第一印象に見合った反応だけれど、騎士団員としてはどうなのか。

 ゾロが言っていたこととは正反対の言葉は、兄様も気になったらしい。


「騎士団内部でレオーネ団長の評判は思わしくなかったんですか?」


 イグナスはじろりとこちらに目を向ける。

 わざわざ私を見たのかと思ったけれど、多分、隣にいるルーヴを見たのだろう。

 すぐ兄様に向き直ると口元を歪ませた。


「どうだかな。だが、一部には死ぬほど嫌われてるぜ。

 あいつは自分が気にいらねぇ奴はとことん追い詰めて退団させるからな。

 オレが知ってるだけでも片手じゃ足りねぇよ」


 突然の告発に、思わず目を見張ってしまった。

 尊敬されているという騎士団長にそんな話があるとは。

 驚きの表情に満足がいったのか、イグナスは腰に手を当て話を続けた。


「媚を売れない奴から追い詰められていく。正義感で逆らった奴らもみんな閑職に追い込まれた。

 そんなクソみてぇなことする奴、誰が団長だなんて認めるか」


 これが本当なのか嘘なのか、判断することは難しい。

 けれど、関係者であるルーヴが僅かに顔を背けたことから、完全な嘘ではないのかもしれない。

 兄様はイグナスの話を聞きながら神妙に頷いた。


「恐怖政治、ということでしょうか?」


「その通りだ。

 世間ではいいように囃し立てられてるが、何も知らねぇから言えるってこった。

 立身出世なんて、あんなの騎士学校に行ったからだろ。オレだって行ってれば今ごろ筆頭騎士だ」


 確か、騎士の階級は細かく分かれていたはずだ。

 上から数えたほうが早い階級は、若いイグナスには遠い地位に違いない。

 立場の高いものを妬んでいるような言い分だけれど、正騎士だって十分立派だ。

 年上ながら若々しい感情は私にないもので、少し眩しく感じてしまう。

 兄様は語尾を荒げるイグナスに気を向けることなく、淡々と質問を続けた。


「イグナス正騎士はどうでしたか? レオーネ団長との関係は」


「よっぽど嫌われてたんだろうな。訓練と言い張っていろいろされてきたぜ。

 ま、いつか絶対ぶちのめして……」


 腰に据えられた剣に手を添えると、はっと動きが止まる。

 そのいつかはもう来ないことを思い出したのだろう。

 ゆっくり頭を振った後、つまらなそうに息を吐く。

 剣はずいぶん使い込まれているようで、相応の努力が感じられた。


「で? オレが第一容疑者ってか」


「どうしてそうお思いで?」


「来たばかりの調査団がもうここに居るんだ。最優先で尋問したいってことだろ。

 あの腰巾着もオレを目の敵にしてるだろうしな」


 腰巾着とはゾロのことだろうか。

 犬歯をむき出しにして笑う様子は、状況を楽しんでいるかのように見えた。

 普通、不安にならないのだろうか。

 それとも、それほどまでにレオーネのことを嫌っていたのか。

 私には理解できない感情を前に、兄様はどこまでも穏やかに問いかける。


「生憎、ここに来たのはたまたまでしてね。

 ちょうどいいので、レオーネ団長の死亡時にどこに居たか教えてもらえますか?」


「時間も知らねぇのに答えられるわけないだろ。いつなんだよ」


「さて、実は僕も知らないんですよ。なので昨晩のことを聞かせていただければ」


 言われてみればそれもそうだ。

 朝四時に遺体を発見したと聞いただけで、いつ殺害されたかは聞いていない。

 確かゾロは、軍医に聞けと言っていたか。

 それくらいは事前に聞いておいてほしいものだ。

 そんな兄様の言葉に、イグナスは拍子抜けしたのか呆れたのかしたのだろう。

 力んでいた表情が緩み、興味を失ったように建物へと足を向けた。


「知るかよ。疑いたいなら疑えばいいだろ。任務でもねぇのに付き合ってられっか」


 どこまでも敵意むき出しのイグナスの背に向け、兄様はゆっくりと顔を向けた。


「最後に一つ、いいですか?」


 痩せ過ぎた身体のどこから出てくるのか。

 だだっ広い訓練場に響く声に、イグナスの脚は止まった。


「イグナス正騎士は、レオーネ団長のことをどう思っていましたか?」


 長い前髪で隠れた目は、イグナスを射抜いているのだろう。

 曖昧な問いかけには、どう答えるのが適切か。

 尊敬する騎士団長か。

 敵対する暴力上官か。

 息を呑んで待っていると、イグナスは焦らすように振り返った。


「決まってんだろ」


 犬歯を見せ、目尻と口角を吊り上がらせて。


「あいつなんて死ねばいい、ってな」


 心底満足そうに、そう言った。


 もう話すことはないとばかりに、イグナスは訓練場から出ていってしまった。

 聞きたいことは聞けたのだろうか。

 心配になって見上げると、兄様は大きなため息を吐いた。


「やっぱり、事情聴取は緊張するね」


 青白い顔で苦笑を浮かべると、イグナスが居た倉庫に背を預ける。

 試しに触れるとひんやりしていて、表面の砂が指にこびりついた。


「イグナス正騎士の言っていた騎士学校というのは、どういうものでしたっけ?」


「幹部候補生を育成する施設です。イグナス様は進級入団ではなく一般入団と記録されています」


 ルーヴの説明によると、騎士学校とは十五歳で入学できる施設だそうだ。

 幹部候補生として訓練を受け、成人年齢の十八歳で入団するのだと。

 入れるのは早くから騎士を目指している者で、職にあぶれて入団する者には縁のない場所らしい。

 それなりの費用もかかることから、貧富の差を見せつける制度とも言われているそうだ。


「ちなみにルーヴ書記官は、イグナス正騎士は怪しいと思いますか?」


「自分は思いません」


 断言を意外に思っていると、兄様も興味を惹かれたのだろう。

 少し離れて待機するルーヴに向けて、僅かに首を傾げることで問いかけた。


「団長様は、騎士団で一番お強いお方です」


「だから、団員では殺せないと?」


「はい」


 尊敬の気持ちというより、純然とした事実として信じているに違いない。

 きっぱりとした物言いは心地よいものでも、調査材料には足りないだろう。


「フィオナ、お前はどう思う?」


「怪しいですね!」


 ようやくの問いかけに、私は胸を張って主張した。


「ああもはっきり言い切ったのですから、動機は十分です。

 それに事件周辺の行動を説明しようとしない。

 ゾロさんは鐘を鳴らしたのは自己顕示欲と言っていましたが、それにもあてはまります!」


 そもそも、容疑者は限られているのだ。

 その中であんなに分かりやすく敵意を抱いているのだから、犯人の可能性は高いだろう。

 これから捜査を続ければすぐに証拠がでるに違いない。

 兄様も賛同してくれるだろうと思っていると、カサついた唇がきれいな弧を描いた。


「ちなみに僕も、イグナス正騎士に対する疑いはとても薄い。ルーヴ書記官とは違う理由でね」


「えっ!?」


 そんなまさか。

 兄様の優しくとも取り下げる気配のない様子に言葉を失ってしまった。

 あれほどまでに疑わしい人間を疑わないだなんて。

 信じられない気持ちでいると、兄様は広げた羊皮紙を見せてきた。


「見てご覧」


 それはゾロから渡された容疑者のリストで、五つの名前が並んでいた。

 正騎士・イグナス。

 記録官・ポルク。

 軍医・タレイア。

 書記官・ルーヴ。

 副団長・ブルアン。


「ルーヴさんも?」


「はい。昨晩、自分も騎士団の寮におりました」


 思わず問いかけても、ルーヴの表情は一切変わらなかった。

 数百分の五に含まれているというのに、感じるものはないのだろうか。

 それとも、自分は犯人ではないと分かっているから冷静でいられるのか。

 変わることのない無表情を前に、背筋に冷たいものが走った。


「ルーヴ書記官もあとで話を聞かせてくださいね。さて、それは置いておいて」


 置いておいていい話ではない。

 けれど、兄様が話を進めるというなら付いていくしかない。

 兄様は深い縦筋が入った爪で並ぶ名前をなぞった。 


「普通、リストというのは規則性を重んじるとは思わないかい?

 特に騎士団となれば、他の組織よりも階級が分かりやすい」


 言われてみればその通りだ。

 知らない名前もあるけれど、副団長を最後にしたり、軍医を間に挟むのはおかしい。

 イグナスは一番最初に書かれていて、迷いのない筆跡が見て取れた。

 もしかしたら、ゾロなりに疑わしい者から並べたのかもしれない。

 外部犯を願いつつも、やはり内部犯を捨てきれなかったのだろう。


「ゾロ騎士長はイグナス正騎士をよほど嫌っているんだろうね。

 でも、こんなにも怪しいだなんて、逆にそのこと自体が怪しくないかい?

 もしも彼が犯人だとしたら、そもそも僕は呼ばれていない」


「そう……かも、しれませんが」


 疑わしいから疑わしくない。

 そんな不思議な理論を飲み込むべきか悩み、それでも捨てきれない考えを主張する。


「ですが、イグナスさんは現場不在証明の説明を避けました。やましいことがある証拠じゃないですか?」


「現場不在証明、ね」


 私の訴えに、兄様は呟きながら空を見上げた。

 現場不在証明は、事件の瞬間に別の場所にいたことなどで主張できる。

 ただ、夜の時間なんてほとんど全員寝ていたとしか答えられないだろう。

 なのにそれすらもしないなんて、普通では考えられない理由があるに違いない。

 これならどうだと様子を窺うと、兄様はルーヴに顔を向けた。


「彼の素行は分かりますか?」


「はい。規則を破って外出することもあると聞いております」


「なら、言いたくないことも多そうだね」


 なんとも思っていなさそうなルーヴの進言に、思わず肩を落としてしまった。

 兄様はそこまで勘づいていたというのか。

 長く調査官を務めているということは、やはり頭の出来が違うのだろう。

 能力の差に落ち込みながら、次へ向かう兄様の背中を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る