第16話 対峙と指摘

 夕日に赤く染まる街を、雲が重く蓋をしていた。2層に分かれた西の空の境目は、驚くほど綺麗でまっすぐだった。

 ファイルを脇に抱えた僕は、窓の外の夕日を横目に見ながら廊下を歩く。夕日を見るのは冷凍睡眠から目覚めてから2度目だった。1回目は退院した日。ウィリーと管理局に行って、その後ハンバーガーを食べて、そう、帰る途中にシロキさんに出会った。その翌日、つまり襲われた日の夕方は、地下にいたから夕日は見ていない。あの夕日を見ていた自分は、今の状況を予想できただろうか?いや、絶対にできないだろう。たった数日ですら、未来なんて予想できない。1か月後、1年後、10年後ならなおさら、たとえ一時間後だって――何をしているかなんて、分からない。

 僕が鹿追医師の部屋から持ち出したファイルは、合計3冊。1冊はシロキさんに言われた「インテルフィン配列」のファイル。もう一冊は、「被検体13号」として僕の名前の書かれたファイル。そして最後は「被検体10号 百合音」と書かれたものだ。中身はまだ見ていなかった。旭と呼ばれたあの無精ひげの男がいつ戻ってくるかわからなかったし、シロキさんが通信越しに、早く脱出するんだ、としつこく言ってきたからだった。

 合流場所は入ってきた時の病院の正面入口ではなく、地下駐車場。そこで待っている、とだけ言ってシロキさんは通信を切った。走り出したい気持ちを抑え、看護師の姿のまま、僕は階段を降り、地下へと向かう。

 ――未来は予知できないかも知れないけど、予想して準備しておくことは出来る。

 昔、誰かにそう言われた気がした。

 僕は立ち止まり、「インテルフィン配列」のファイル以外の2冊を服の下に隠した。アバターの服に実体は無い。アバターの下の本当のシャツをめくり、その下にファイルを隠す。そんなに厚いファイルじゃなかったから、綺麗に隠す事が出来た。アバターを表示させておけば違和感は無いだろう。

 なぜファイルを隠したのか?上手く説明できないが、何となく、取られたくなかったとか、言われた物以外の物を持ち出したことを怒られるのではないか、とか、そんなもので、この時の僕に深い考えは無かった。

 空中に浮かぶ院内の案内表示を頼りに見つけた階段を降りると、うす暗いエレベーターホールに出た。壁際に並ぶ自動販売機がうす暗い空間を照らしている。厚いガラス製の扉の向こうに、地下駐車場が静かに広がっていた。そして黒いジャケットを着たシロキさんがその扉の横に腕を組んで寄りかかっていた。

「シロキさん、取ってきました。これですよね?」

 僕は手に持った「インテルフィン配列」のファイルをシロキさんに向けて掲げて見せる。

「ふむ……そのファイルだ、確かに。」

 ファイルを見て頷いたシロキさんの言葉を合図に、エレベーターホールの柱の陰から大柄な男が三人現れ、シロキさんの隣に並んだ。さらに、扉の向こうに2台のワンボックスカーがスッと現れ横付けしたと思うと、中からさらに二人の男が出てきた。

「良くやったよ、君は!さあ、そのファイルを渡すんだ。そして車に乗るんだ、一緒に。」

「あの……シロキさん、一人じゃないんですか?その人達は?」

「君は危険なんだ。我々と一緒に来るんだ。」

 僕の質問には答えず、シロキさんは無表情で駐車場へと通じる扉を開けた。一人の男がその扉から中に入ってきて、シロキさんの横に移動した。

「……紗由に会えるというのは本当ですか?」

 周囲を警戒する様子の男達を横目に見ながら、僕は再び質問をする。だがその時、

「ミカゲ!ようやく見つけたぞ!何やってるんだ!」

 エレベーターホールに僕の名前を呼ぶ声が響き、男たちに緊張が走ったのが分かった。声と共に、さっき僕が降りてきた階段から、赤い色をした知性イルカのポッドが現れた。水槽の中が誰なのか、僕には声で分かった。

「アル……」

 地下のエレベーターホールも院内と同様のアバター制限エリアになっている。初めて見たアルの本当の姿。ポッドの水槽の中のイルカは、ウィリーと比べるとずいぶんと丸かった。

「ふむ……例のイルカか。」

 シロキさんがアルの方を見て呟く。周りの男達は、あらかじめ決められていたようにそれぞれの配置に移動し、周囲とアルの両方を警戒する。僕に駆け寄ろうとしたアルは、シロキさんと男たちの存在に気付いて立ち止まった。男たちの警戒網の中心で、僕とシロキさん、アルを頂点とした三角形ができる。僕はシロキさんともアルとも同じくらいの距離を取っていた。

「シロキさん、彼の……この知性イルカの事を知っているんですか?」

「おや?イルカ中心主義者の手先だよ、彼は。君も予想はしていただろう。」

「なっ……そんな。やっぱり……!」

 僕が驚きと怒りの混じった視線をアルに向けると、アルは絞り出すように言った。

「俺は……イルカ中心主義者じゃ、ない。信じてくれ……!」

「君自身もそうかもしれない。だが、室米瀧むろめ たきの手先なのは本当だろう?人でありながら、イルカ中心主義者団体『インテルフィン教団』に所属する、頭のおかしい資産家。知っていたよ、室米が半年程前から、ある知性イルカに援助と称して接触していたのは。ちょうど13号計画を始めた頃だ。」

「お前、なんで、そんな事を知ってる!」

「ふむ……父は被験者の背景にはほとんど興味を持たなかったが、私は違う、人間が好きだから。浦幌御影の過去の人間関係はもちろん、後見人の知性イルカの事や、その友人も調べた。没頭すると周りが見えなくなる父のフォローも兼ねて。」

「一体何者だ?ただのデザイナーじゃないだろ!」

「イルカ達みたいに気取った組織名はないよ、私たちには。まあ、一部では『人間中心主義者』と呼ばれてる。この世界をイルカ達から守り、正常な姿にするのが目的だ。」

「人間……中心主義者……!?」

 イルカが世界を支配するべきというイルカ中心主義者がいるのに、その逆がいないはずは無かったのだ。

 シロキさんは僕の方を向き、両手を広げた芝居がかったポーズを取って言った。

「さあ、選択の時間だ。どちらを選ぶ?人間の君は。」

「ふざけるな!おい、ミカゲ、来るんだ。ひとまず逃げるぞ。」

 アルが僕の方に歩いて来ようとするが、シロキさんの仲間の男がそれを静止する。

「……アル、さっきの話は本当なの?」

「ああ、そうだ……だが、俺も、ムロメさんもお前に危害は加えない。信じてくれ。」

「そんな……一体何を信じれば……ねぇ、シロキさん、紗由の件は本当なんですよね?」

「ミカゲ、ウィリェシアヴィシウスェも待ってる。ユリネと三人で一緒にお前を探したんだ。アイツも信じられないのか?……イルカだからか?」

「そうじゃない、そうじゃないけど、わからないよ……どうしたら。誰か教えて…」

 その時、シロキさんが大きなため息をつき、僕の方を睨みつけた。

「やはり子供だね、君は。」

 シロキさんはツカツカと僕に歩み寄り、僕の手のファイルを掴んで強引に取り上げようとした。

「ちょっと、シロキさん、待ってください!」

「答えを教えてくれると思っている、誰かが。そして答えてくれる人が周りにいないから、次は過去にすがる。。80年寝ていた青年の精神には大いに興味があったが――随分とつまらない、未熟な子供だったとは。がっかりだ。」

「そ、そんな……どういうことですか……?嫌だ…そんな!」

 手の力が抜けて、「インテルフィン配列」のファイルをシロキさんに取られてしまった。それを合図に、男の一人がジャケットの中から銃を取り出した。見ると、別の男も銃を取り出し、アルの方に向けていた。

 初めて見る冷たい瞳で、シロキさんが淡々と言った。

「このファイルがあれば実験は続けられる。君はサンプルとして貴重だが……生きている必要は無いんだ、別に。」

 そして、僕は生まれて初めて、銃声という物を間近で聞いた。


                  ◆ ◆


 仮想世界の春は美しいが、なぜか、どこか寂しい。それが虫達の不在によるものだと気が付く人は、一体どのくらいいるのだろうか――

 御影がアルとシロキさんと対峙していた頃、ORCAシステム管理局のバーチャルオフィスを囲む、美しいモノだけの春の公園では、少女が刀を振るい戦っていた。伸びる「死神」の腕を引き付けてから素早く身をかがめてかわし、がら空きの胴体を横から真っ二つにしたと思うと、マントを翻して飛び上がり、宙返りをしながら投げたナイフで3体が同時に消えた。そのまま、もう一体の背後に降り立ち、背中から刀で一突き。

 仮想世界で「脳内の自分」を思い通りに動かすのには慣れが必要だ。さらに激しいスポーツなどをやろうと思うと、出来ない人は一生出来ない。普段からポッドを脳波コントロールで動かしている知性イルカは人間よりいくらかやりやすい。だからと言って、格闘戦を演じたりというのはやっぱり簡単ではない。

 ユリネが当たり判定を固定してくれて「死神」に攻撃出来るようになったとはいえ、ウィリーにはユリネが作ったスキを突いて蹴りを叩きこむというのが精一杯だった。

 仮想世界での運動は実際の体を動かさないために疲れないと思われがちだが、それは正しくない。慣れない激しいアバター操作に加え、恐怖をあおるような異形の存在との戦いは、激しくウィリーの精神力を消耗していた。経験があるような様子のユリネの方も、ここまで大量の相手との戦いは初めてなのだろう。精神の疲弊は二人のアバターに表情と呼吸の荒さとして、しっかり反映されていた。

「ハァ、ハァ……ねぇ、もう、来ない、かな……?全員倒したんじゃない?」

「……」

 ようやく「死神」の姿が見えなくなった。ユリネは刀を背中の鞘にしまう。足元には、中途半端に機能不全を起こしてノイズにまみれながらも、消えずに残っている「死神」の残骸――枯れ木のような腕や、ぼろきれのようなマントなど――が散らばっていた。少女が刀を振るい、地面にこんな不気味な物が落ちていれば騒ぎになりそうなものだが、バーチャルオフィスからの脱出からここまで、ORCAシステム管理局の職員には一度も会わなかった。何らかの特別な処理によって、ウィリーとユリネ以外が強制的にログアウトさせられたと考えられる。

「やっぱり、レイヤー2レベルの管理者がいる……」

「レイヤー2って、仮想世界の管理者権限?」

 その時、二人の前に光る円柱が出現したかと思うと、そこに人影が現れた。何者かがログインして来たという事だった。この状況でログイン出来る存在、それはこのエリアの設定を変更した本人しかありえない。

「おう、そこの二人。無駄な抵抗はやめな。おとなしく、IDと現実世界の位置情報を見せてもらおうか。」

 光の中から現れたのは、スーツのポケットに手を突っ込んだ柄の悪い男だった。さらにその後ろに三体の「死神」が出現した。ウィリー達が固まっていると、男は思い出したように胸ポケットから警察手帳を取り出し、掲げた。

「おっと、あー、俺は公安13課所属の、旭だ。えーっと、電子建造物不法侵入と…なんだっけ?まあ、諸々の罪でお前らを現行犯逮捕する……ログアウトは出来ねぇからあきらめて投降しな。今度は逃がさねぇぞ、ウィリェシアヴィシウスェ。もう一人は……誰だ?浦幌御影じゃねぇよな?」

 ウィリーが身をこわばらせたのは、名前を呼ばれたからだけではなかった。旭と名乗った男の姿は、家で襲われた日、裏庭で対峙した男だった。

 そっと隣に来ていたユリネが小さな声で言う。

「エリア外に逃げればログアウトして逃げ切れる、はず。」

 ORCAシステム管理局バーチャルオフィスは、隣接する別エリアであるバーチャルイベントホールに公園を通って移動出来るようになっていた。うまく行けばそこから逃げられるかも知れない。だが隣のエリアもログアウト不可にされていればそれまでだし、そうでなくても、追いかけてきて設定変更すれば逃げられない。隙を作って、素早く移動し、かつ旭が用意周到で無いことを祈るしか無い、ということだ。

「あぁ?何かおかしいと思ったら、クローラー達が機能不全を起こしてバラバラになってるじゃねぇか。どういうことだ……お前、何をした?」

 旭がユリネを指さして言った。今まで自分たちが戦っていた「死神」のような自動巡回プログラムは、どうやらクローラーと言うらしい。散らばるクローラーの残骸をキョロキョロと見回している旭を警戒しながら、ウィリーはユリネに小さな声でささやいた。

「ねぇ、アイツもさっきと同じように攻撃したらどうなるの?あれは人間が動かしてるアバターだよね?」

「消えたりはしないけど、行動不能には出来るかも。まかせて……」

「許せねぇなあ!」

 地面に転がるクローラーの腕を見ていた旭が突然顔を上げ、言い放つ。

「不法侵入に飽き足らず、違法な手段でクローラーを破壊したな?なんてことしやがる。法を犯す犯罪者どもめ!絶対に許さねぇぞ。」

 旭は鋭い目でウィリー達を睨みつけた。思わずたじろいだウィリーに対し、ユリネは蔑んだような顔で静かに言い返した。

「犯罪者?自律プログラムにORCAシステム管理者権限を持たせるのだって違法。そもそもAI人工知能規制にも抵触している恐れがある。あなたも同じ犯罪者。」

 一瞬、何を言われたのかわからなかったのか、ぽかんと口を開けて旭が固まる。その後、旭は顔を激しく歪ませた。

「……は?なんだと?お前、もう一度言ってみろ!おい!」

「あなたも同じ犯罪者、と言った。都合の良い正義。」

 ユリネは感情の読み取れない静かな口調で返した。対して、言われた旭は分かりやすく顔を真っ赤に染める。ORCAシステムの感情認識からのアバター反映は、相変わらず完璧だ。

「俺に向かって、悪人が!偉そうに!指摘してんじゃあねぇぞ!」

 激昂した旭が手を振りかざすと、背後で柳のように揺らめいていた三体のクローラーが、眠りから覚めたように動き出し、三者三様にユリネ達に向かって細い手を広げて迫ってきた。

 ユリネが冷静に、かつ素早い動きで背中の鞘から刀を抜き、一番前に来ていた一体を刀で切り捨てた。ウィリーも負けじと、まっすぐに自分に迫って来た一体を蹴り飛ばす。クローラーは数メートル吹っ飛んで、バラバラになった。ほぼ同時に、ユリネがもう一体を頭から縦に真っ二つに両断した。

「な、なんで一般人がクローラーに攻撃できるんだ?!」

 旭が怒りと驚きをブレンドした素っ頓狂な声を上げた。ユリネはうろたえる旭に向かって一直線に走り、一気に距離を詰めた。

「気付かれる前に。」

 思わず後ずさる旭だったが、すでにユリネの刀の間合いに入っていた。回避行動が間に合わないと分かった時点で、旭はアバターの当たり判定をOFFにした。つい本能で避けようとしてしまったが、ここは仮想世界。そもそも当たっても何も起こらないし、当たり判定をOFFにしてしまえば刀はすり抜ける、はずだった。

『設定が管理者 ”ケ#ゥ$hp~ijj*” によって上書きされました』

「……上書きオーバーライドだと!?」

 踏み込んだユリネは、一気に刀の峰を旭の横腹に叩きつけた。設定上、極端に強度が低くて軽いクローラーとは違い吹っ飛んだりバラバラになったりはしなかったものの、旭のアバターは体制を崩し、地面に倒れ、転がった。

「っ……おい、ふざけんな!ゲームやってんじゃねぇぞ?!」

 仮想世界は視覚と聴覚のみが再現されるので、痛みが伝わる事は無い。だが、立ち上がろうとする旭の様子は何かおかしくなっていた。

「なんだ?視点が……ありぁ?今どっち向いて…手は…あ?」

 次の瞬間、ノイズと共に旭のアバターの手足がぐちゃぐちゃに折りたたまれ、不気味な塊へと姿を変えた。

「ひえっ?!」

 その光景にウィリーは思わず声を上げる。

「おい、足…なんで手が動く?ふざけるなぁ!何をした?おい!クソ!絶対許さねぇ。」

 暴言を放ちながら、旭は団子のようになったアバターをジタバタさせていたが、立ち上がることはおろか、その場からまともに動くことも出来ず、蠢くだけだった。ユリネは刀を背中の鞘に戻しながら、旭だった塊を冷たく見下ろした。

「フン…さあ、早く別のエリアに。」

「そ、そうだね…」

 無様に転がりながら騒ぐ旭を置いて、ウィリーとユリネは急いで隣のエリアへと駆けた。旭が見えなくなった辺りで、走りながらウィリーはユリネに尋ねた。

「ねぇ、さっきは一体何をしたの?」

「仮想世界で、本人の認識を超えて瞬間的にアバターの位置を動かすと、システムと認識のずれが起こる。脳内で認識している位置と仮想空間上の位置がずれて、関節位置の割り当てが滅茶苦茶になる。」

「……ふーん。すり抜けるはずだと思って油断してたのに、いきなりすごいスピードで殴られて動かされたから、自分の体の位置を見失ったってことかな?」

「そう。だから落ち着いて身構えられてたら、何も起こらなかった。」

「なるほど、アイツが怒りっぽくて助かったね。なんか頭も良くなさそうだったし、きっと隣のエリアの設定も変えてないよ。」

 ウィリーとユリネが公園エリアを出ると、予想通り隣のエリアではログアウト制限は設定されていなかった。二人は急いでログアウトし、現実世界のアルの秘密基地へと戻った。

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