第12話 嘘と信用


「みんな、提案があるんだ!」

 仮眠室から出るなり突然そう言った僕を、三人がキョトンとした顔で見つめる。

「先輩、しばらく仮眠室に籠っちゃったと思ったら、今度は突然どうしたんですか?」

「さっきはごめん。それで、冷静になって僕なりに考えたんだ、何か出来ることはないか?って。」

「ほう……?で、提案ってのは何だ?ミカゲ。」

 アルの方をまっすぐ見て僕は言う。

「シロキさんに僕の変装用アバターを作ってもらうんだよ。」

「?」

「えっ?シロキさんって……ああ、そういえばそんな話してましたね。でも先輩、今そんな余裕は無いのでは?下手に連絡したら逮捕されるかも知れませんよ。」

「実は、シロキさんから連絡が来たんだ。」

 それを聞いたアルの顔が途端に険しい表情に変わった。

「おい、まさか返信したのか!?」

「そうだ……でも安心して、この場所のことは言ってない。そもそも詳しい住所とかよくわからないし。シロキさんは僕たちがあんな事をするはずない、って心配して連絡をくれたんだよ。」

「おいおい……ORCAシステム経由の通信は基本的に逆探知は出来ないとはいえ、迂闊だぞ。大体誰なんだ?そのシロキさん?って。」

「ウィムアルゼムィンスェ、シロキさんは有名なホビーアバターデザイナーだよ。一昨日、街で会ったんだ。」

 ウィリーが退院初日の街での僕たちとシロキさんの出会いと、その後のやり取りを説明した。

「うーむ……その時一回会っただけの相手を信用するのはおかしくないか?」

「それを言ったら、アルと僕も昨日会ったばかりじゃないか。」

「な……確かにそうだが……」

「で、先輩、変装用アバターって?」

「シロキさんは僕らの無実を信じて、疑いが晴れるまで協力したいと言ってくれたんだ。かくまったりは出来ないけど、変装用のアバターを作ってくれるって。僕はなぜか公共アバターの制限が無いから、別人のアバターで出歩けるだろ?自動生成が使えないから、そのままだと変なアバターになっちゃうけど、プロなら完全な変装用アバターが作れるんじゃないか?今のだって、僕が自作したのをシロキさんが数分調整しただけでだいぶマシになったんだ。ちゃんと作ってくれれば、きっと誰にもばれないよ。」

「それはそうかも知れないが、公共アバターは送付データからインポートできない。そんな使い方は想定してないからな。だから直接そのデザイナーの所に行く必要がある、ってことだぞ。危険過ぎる……『支援者』の所に行くだけなら、今のアバターで十分だろう。それに、シロキってやつが信用できるかわからん。」

「ウィムアルゼムィンスェ、シロキさんは有名人だし、変なヒトじゃないよ。私もファンだし。政府の関係者じゃないし、人間だからイルカ中心主義者とも関係ないんじゃない?」

 アルの反応は予想の範囲内だ。僕は用意していたセリフを口にする。

「アル。君はORCAシステムの謎を知りたがっていたじゃないか。僕がどこまで無制限に公共アバターを使えるのか、知りたくはないか?何かヒントがあるかも知れない。このまま『支援者』って人の所に行ったら、その機会は無くなるかも知れないだろ?」

「ん……確かに、気にはなるが。……公共アバターの制限が無いということはレイヤー3権限ということになるが……どこまで完全なのか……動いている状態から逆に辿れば、もしかすれば仕組みが……」

 どうやら好奇心を上手く刺激出来たようで、アルはぶつぶつと呟いて考え出した。

 やはりそうだ、アルは何かを知っているが、「支援者」から全てを聞かされているわけではない。おそらく僕のコードVは、ORCAシステムの謎を知りたいと願う彼にとっても興味深いもののはずだ。

 僕の方を見て、ウィリーが感心したように言った。

「先輩って、ぼうっとしてると思ったらいきなり賢そうなことを言い出すことがありますよね。」

「ええ……ウィリーには僕がそういう風に見えてるのか。まあ否定出来ないかも知れないけど。」

 実際、アルの誘導についてはだいぶシロキさんの入れ知恵があったのだが。

「よし、ミカゲ。そのデザイナーの所に行こうじゃないか。その代わり俺も一緒に行く。ミカゲ一人じゃダメだ。」

「分かった、それで大丈夫だ。」

 僕は頷いた。同行すると言い出すのは予想通りだった。このまま流されていたら何も分からない。

 それに、紗由に会えるかも知れないのだ。


 ここで時間は少し戻る。

 仮眠室の中で、僕は声を潜めてシロキさんと音声通話をしていた。外のアルやウィリー、ユリネに聞こえないよう注意しながら。

『なによりだよ、無事なようで。誰も周りにはいないね?』

「……はい。」

 僕は慎重に返事をする。余計な事は話さないように、と心の中で自分に言い聞かせる。

『君は危険な状態だ。どこにいるんだい?今は。』

「それは……言えません。」

『ふむ。良いね、慎重で。』

「シロキさん、一体あなたは何を知っているんですか?」

『知っているよ、報道の事は。あれが嘘であることも。とにかく会って話そう、二人で。』

「でも……」

『理由が必要かい?いるんだね、他に誰か……イルカが。』

「……」

 沈黙が答えになってしまう事を感じながら、それでも僕は嘘を付けなかった。

『では、私にアバターを作ってもらうということにするといい。』

 そう言って、シロキさんは僕が抜け出す口実について、上手い説得の方法を教えてくれた。その口ぶりはまるで、説得するべき対象――つまりアルの事を知っているようにも感じられた。やはり何か知っているのだ、この人は。

「確かに、その口実なら出られるかもしれません。」

『おそらく、同行すると言うだろう……今の君の『保護者』は。その時は嘘の集合場所を教えて振り切るんだ。』

「そ、それは……」

『気が引けるかい?優しいな、君は。』

「はあ。」

『君の昔の恋人が言っていたとおりだ。』

 その言葉に、僕の時間が一瞬止まった。

「!?今、なんて言いました?」

『……君が会いたいと思っている人だよ。私は知っている。君が私の所に来れば、詳しく話そう。』

 紗由だ、紗由しかいない。まだ生きていたんだ。

「わかりました、何とかして僕だけで行きます。待っていてください。」

「待っているよ。会おう、人間同士で。」

 その後、僕は仮眠室から出て、アル達にあの提案をしたのだ。そして外出のチャンスを得ることに成功した。

 後から思えば、この時の僕は実に未熟で、迂闊で、純粋で、そして愚かだった。


「おーい、行くぞ。準備出来たか?」

 僕は外出のために公共アバターの改変をしていた。

 この時代、個人のID情報や位置情報は国際条約で強力に保護されており、たとえ警察でも一方的に見ることは出来ない。したがって警察の捜査は地道に目撃証言を集めるという、昔ながらの方法で行われている。昨日のニュースでは僕の生身の顔しか出ていなかったから、公共アバターを纏って行けばバレないはずだ。人間の場合、普通は公共アバターは生身の姿と大きく変えられないが、僕はなぜか制限が無く、つまり変装し放題だ。

 ただしその代わり自動生成が使えないので、僕の今の公共アバターは自作の物をシロキさんが短期間で手直しをして何とか見られるようにしたものだ。アバターを見慣れたこの時代の人がよく見れば、違和感を覚えてしまう。現状のままで外出をするのはやっぱりリスクがあるのだ。だから僕は少しでも違和感を減らそうと、自分で出来る範囲で公共アバターを改変していた。

「どうかな?これならばれないだろ?」

 改変できた公共アバターを纏い、意気揚々と皆の前でポーズを取る。だが、反応はいまいちだった。

「ミカゲ、これは……」

「先輩、なんか怖いです。」

「う……だって、顔をいじると表情も全部調整しないといけないんだよ。無理だよ。」

 コンセプトは生身の僕の印象からなるべく離れること。だが、顔をいじるとバランスが崩れて修正不可能になる恐れがあった。従って僕が手を出せるのは、せいぜい髪型、肌の色、服装くらいだった。その結果、パンチパーマに色黒の肌、そしてアロハシャツというアバターが出来上がった。

「先輩、よく見たら顔は一緒だから、ばれるかも知れませんよ。この顔にピンと来たら通報!って、ずっといろんな動画チャンネルで出てますからね。」

「ミカゲ、とりあえず、これも着けとけ。」

 アルから送られてきた短距離通信の添付ファイルを開封すると、アバター用のサングラスのデータが出てきた。さっそく着用してみるが、鏡に映る僕の公共アバターはますます怖い人というか、だいぶステレオタイプなジャパニーズマフィアの姿だった。これではコスプレだ。

「まあ、ばれるよりはマシだろう。それやるよ、ブランド物だぞ。」

「あ、ありがとう……」

 パンチパーマの頭を搔いてため息をつく僕を、ユリネが不思議そうな顔で見ている。自分で提案しておいて、僕は少し不安になってきた。シロキさんに変装用アバターを作ってもらう、というのはあくまで口実のつもりだったが、本当に作ってもらった方が良いかも知れない。

「さあ、とっとと用事を済ませよう。」

 僕はアルと二人で外の世界へと繋がる扉に向かった。昨日、息も絶え絶えでくぐった鉄の扉を抜け、続くうす暗いコンクリートの廊下をアルと一緒にゆっくりと歩く。短い廊下はすぐに突き当りの階段に達し、僕たちは立ち止まった。階段の上の出入口はまだ開いておらず、黒い壁が僕たちを見下ろしている。アルがユリネに通信で呼びかけた。

「ユリネ、周囲を確認して、問題無ければ開けてくれ。」

 数秒後、階段の上の黒い壁がゴゴゴ、という音と共にゆっくりと動き出す。暗闇に満たされていた視界の中心に割れ目ができ、まぶしい光の線が差し込んできた。その線が徐々に太くなり、僕らの周囲の照度が増していく。光に照らされながら、自分が殺人容疑で指名手配されている事を思い、心臓の鼓動が早くなった。自分でアルを説得したというのに、いざ安全な場所から外に出るとなると身構えてしまう。

 10秒ほどで開ききった隠し扉の向こうには雲一つない青い空が広がり、春の植物の香りが、鳥の鳴き声と共にふわっと僕の周りまで入ってきた。普通なら絶好の外出日和だ。

「どうした?行くぞ。」

 先に階段を上っていたアルが、立ち止まって僕を振り返った。いつの間にか止めていた息を吐き、僕も階段を上るが、アルは先に逆光の中へと消えていった。

 短い階段を上り切ると、僕を半日ぶりの太陽の光が包む。まぶしさに目を細めたその時、何やら隣でブン、という音がした。音のした方を訝しげに見た僕の目の前には、見知らぬ小太りの男が立っていた。

「うわぁ!」

 情けない声を上げ、僕はその場で尻もちをついてしまった。階段を転げ落ちなかったのは運が良かった。男はそんな僕を不思議そうに見下ろして言う。

「おい、ミカゲどうしたんだ?あっそうか……」

 謎の男がさっき僕が出てきた隠し扉の内側に入ると、その姿は、僕が「IT企業社員風アバター」と呼んでいたアルのアバターへと変化した。

「あれ?!」

「悪い、悪い、さっきのが俺の公共アバターなんだよ。この姿は……ホビーアバターの方だ。俺の秘密基地内はプライベートエリア扱いだが、外じゃホビーアバターは使えないからな。勝手に公共アバターに切り替わるんだ。」

 アルが視線を動かして操作をすると、その姿はついさっき僕を驚かせた小太りの男に変わった。丸い体に丸い顔、髪は黒くて直毛、ふちの付いたメガネ。服装はチェックのシャツをジーンズの中に入れ、頭にはバンダナを巻いている。

「ホビーアバターほどカッコよくはないんだが……開き直ってコーディネートにこだわってみたんだ。戦前、つまり類人猿戦争前の時代の、コンピューター文化の担い手、『OTAKU』の伝統的な衣装だ。ミカゲの時代よりさらにちょっと古いくらいの時期かも知れないな。」

 公共アバターは遺伝子情報からの自動生成だが、イルカの場合はそこから人間の姿への換算が入る。アルの場合、遺伝子から生成されたのがこの小太りのアバターだった、ということなのだろう。おそらく彼の理想はホビーアバターの姿の方なのだ。イルカとは言え、全員公共アバターが美男美女というわけではないようだ。

「びっくりしたよ。先に言ってくれよ。」

「襲撃者が隠れていたとでも思ったのか?こんな格好の暗殺者がいるかよ。それに、安全はユリネが確認してくれただろ。」

 僕は地面に打ち付けたお尻をさすって立ち上がりながら、アルの公共アバターを改めて眺めた。僕の生きていた時代は、彼らにとって戦前の未知の時代なのだ。なんかちょっと間違って伝わっているような気もしなくはないが。

「ふう、また太ったかな?」

 何か言いたげに自分を見つめる顔を見て、小太りのアルが自分のお腹をさすりながら少し恥ずかしそうに言った。

「ORCAシステムは使用者の現在の生体データを取得して、公共アバターに反映するんだよ。イルカの俺が痩せればこのアバターも痩せるし、年を取ればこのアバターも老化するのさ。」

「……そうなのか。なんか無駄なこだわりに思えるけど。」

「イルカが人間社会に溶け込むためだからな。さあ、秘密基地の出入口でにぎやかに談笑している状況じゃないそ。出発だ。」

 パンチパーマの厳つい男と、いにしえのオタクファッションという出で立ちで、僕らは街へと向かった。


 大多数の人間が組織、つまり会社や学校の時間に従って動いている平日日中の街中という空間は、その枠を外れた個人には一種の疎外感にも似た感覚を感じさせる。とりわけ、異常な事態の渦中にいる僕には、周りの日常はさらに遠いものに見えた。

 まず僕たちはウィリーのポッドをケーブル無しで動けるようにするために、部品を買いに専門店に向かった。シロキさんにはその後に会いに行くことになっている。部品を売っている店は退院初日にウィリーと一緒に行った街中にあった。綺麗で人通りも多い表通りではなく、少し入り込んだ細い路地に目的のパーツショップがひっそりと店を構えていた。

 慣れた様子で入っていくアルに続いて、恐る恐る店の入口をくぐる。カウンターにぴったりとおさまった店主らしきおじさんがちらっと僕の方を見て、何も言わずに手に持った雑誌に再び目を落とした。

 狭い店内は、床から天井までの棚の中から大小様々な部品が収まり切らずに飛び出しており、さながら部品の森、と言った雰囲気だった。ウィリーと日用品を買い物に行った店のような、AR表示で空中に浮いた広告や案内の類は見当たらず、それぞれの部品には手書きの札が括りつけてあった。店内には数人の客がおり、みな無言で棚の中の部品を取り出して眺め、品定めをしている。僕が冷凍睡眠に入る前の時代――アル達にとっての戦前――ですら、こんな雰囲気の店は珍しいだろう。よく生き残っていたものだ。

「ミカゲはコンピューターとかは詳しいのか?」

 素人お断りの店の雰囲気に飲まれそうになっていた僕に、アルが話しかけてきた。

「ええっと、この時代のやつは全然分からないよ。僕の時代のだったら、付き合ってた彼女がパソコンの自作とかしてたから、ちょっと教えてもらったりとかはしたけど。」

「へえ、ずいぶんユニークなヤツと付き合ってたんだな。じゃあ大丈夫だ。イルカの地上生活用ポッドは規格化が進んでいて、それこそミカゲの時代の自作パソコンみたいなもんだ。——この部品を探してくれ。一緒に来たからには手伝ってくれよ。」

 アルが短距離通信で送ってきた添付ファイルの一覧表を見るが、当然その内容は僕には馴染みの無い文字の並びでしかなかった。戸惑う僕に対し、アルが言う。

「なんとなく、名前からどんな物か予想出来るだろう?後は型番を見て探すんだ。ARタグは付いてないから直接見てな。俺はリストの下からやるから、上から見ていってくれ。」

 まいったな、ああは言ったものの、僕は紗由が楽しそうにコンピューターについて喋っている内容に、なんとなく相槌を打っていただけなのだ。普通は逆だろう、と友達にからかわれたのを覚えている…… 

 リストの一番上には、『予備リアクター 型番 DX1A-X6XB』とあった。リアクターというのは、たぶんエネルギー関係の部品だろう、きっと。棚を見渡すが、リアクターという表示はどこにも書いていなかった。

「うーん、わからん。」

 こういう時は店員に聞くのが早い。店内を見回すと、カウンターで老眼鏡をかけて雑誌に熱中しているおじさんが目に入った。まだ紙の雑誌があるんだな、と思いながら話しかける。

「あのー、すみません。リアクターというのはどこですか?」

「……」

「すみません、リアクターは、」

「リアクターは、リアクターの棚だよ。」

 僕の言葉に被せるように、ぶっきらぼうに店主が答えた。

「ええっと、それがどこかわからなくて。」

「……見たらわかるよ。」

「すみません、わからなくて。」

「ちっ。あそこだよ。」

 店主のおじさんが小さく舌打ちをしながら指さした方を見ると、そこには丸い円盤状の部品や、円筒形の部品がたくさん入っている棚があった。

「あ、ありがとう、ございます……」

 胸の中がもやもやしたまま教えてもらった棚の中を探すが、その間も後ろから店主の視線がひしひしと痛い。素人に売り物を壊されないか気が気じゃない、という気持ちが痛いほど伝わってきた。

 そこにアルが近づいてきて、そっと小さな声で話しかけてきた。

「ミカゲは、わからないことがあるとまず人に聞くタイプなんだな……」

「えっ、だめ?」

「だめじゃないけど、ここでは止めたほうが良いな。」

 アルが言うには、あの店主は自分で調べないですぐ人に聞くことを快く思っていないタイプの人、らしい。

 アルが簡単な情報の調べ方を教えてくれた。ORCAシステムでARのウィンドウを開いて、簡易情報検索で単語を入れて検索をすると情報が出てくる。僕の時代だと、携帯端末で検索エンジンに打ち込むようなものだ。よく考えれば、僕の時代に出来たことが出来ないはずはないのだ。

 リアクター、と打ち込んで検索すると、写真付きのポッド技術解説サイトが出てきた。


 リアクター(reactor)

 リアクターは動力炉という意味ですが、昨今はイルカ地上生活用ポッドの自律活動用エネルギー供給源を指すことが多くなっています。エネルギー発生方式によりいくつかの種類があり、軍用では常温核融合なども用いられますが、民生用では燃料電池式がメインリアクターとして使われる事が多くなっています。特殊な物としては、空気から電気を生み出す藻を使った極地用リアクターなども実用化されています。通常、メインと予備の二系統を組み込み、メインリアクターは継続的なエネルギー供給を目的としていますが、予備リアクターはメインリアクター停止時の非常電源の役割であるため、全個体電池が通常使われることが多く――


「ふーん。予備リアクターって要はバッテリーの事かな?」

「まあ、そんなところだな。調べれば一発だろ。こういう古風な雰囲気の情報サイトは一時期広告に埋もれて死滅したんだが、最近は稼ぎたい連中は仮想世界のもっと情報量の多いコンテンツに流れてるからな。趣味人の古き良き情報サイトがこんな感じで復活していんだぜ。」

 なんだか楽しそうなアルにお礼を言って、気を取り直して部品を探そうと棚を覗き込む。だが、

「あー、もう俺がリストの下から上まで全部見つけたから、大丈夫だ。まあ、勉強したいってなら見ていってもかまわないが……」

 アルが少し気まずそうな顔で言う。店主や他の客からの迷惑そうな視線が自分に集まっているのを感じる。素人は帰った方が良さそうだ。

「うん……大丈夫だよ。勉強は帰ってするよ……」

 アルは僕の反応に苦笑いをしながら、カゴの部品を店主のおじさんの所に持っていった。


 会計を済ませ、僕らは狭い店を出た。

「なんか悪かったな。コンピューター多少知ってそうだったから、気分転換にもなるかと思ったんだよ。」

 アルが公共アバターの丸い顔の目を細め、バンダナを巻いた頭を掻きながら申し訳なさそうな顔で言った。

「あ、ありがとう。でもちょっとまだ早かったかなぁ。あそこは玄人向けだよ。」

「ユリネを連れてくると、3時間は楽しそうにしてるんだけどなぁ。」

「あはは……3時間はちょっと厳しいかな。」

 アルがユリネを連れてさっきの店に来ている姿を想像して、少し微笑ましく感じた。僕を気遣ってくれたり、意外と良いやつなのかも知れない。僕がそう感じたのは、姿の影響もありそうだ。なんだか気取った感じの「IT企業社員風アバター」のアルよりも、今の小太りの公共アバターのアルの方に僕は親しみを感じていた。中身は同じはずなのに。人間の見た目でもそうなのだから、これがイルカそのままの姿だったら、同じことを喋って同じ行動をしたとしても印象はさらに違ってしまうのだろう。

 僕たちは一体何を見て、他人の事を判断しているのだろうか。

 自分が今からしようとしている事に自信が無くなってきた。今からしようとしていること――アルを騙して一人でシロキさんに会いに行くこと。 

「さて、アバターデザイナーの所に寄るんだろう?どこで待ち合わせなんだ?」

「ああ、えっと……」

 後にして思えば、この時の僕の選択が大きくこの後の結果を分けた。僕はなんとなくそうなることを――もう後戻りのできない選択であることを――感じながらも、決めた決断を変えることは出来なかった。もう少し、彼と話をしていれば、不確定な姿の後ろにあるというものをもっと感じられたのかも知れない。だが、この時の僕にはそんな余裕はなかったのだ。不安だらけの世界で80年前の元恋人に会えるかもという期待は、この時も僕から冷静さを奪い取ったままだった。

「メインの通りのカフェだよ。最初にウィリーと一緒にシロキさんと会った場所だ。」

「なるほどな。じゃあ、早く向かおう。今のところ大丈夫そうだが、うろつくのはリスクだ。あんなことがあって、地下に籠ってたら気が滅入るばっかりなのは分かるんだがな。」

「……ああ、そうだね、ありがとう……ところで……」

「ん?どうした?」

「ところで、実はトイレを我慢してたんだよね。公園の公衆トイレに行ってくるから、先に向かっていてよ。」

「なに?一人は危険だぞ。」

「トイレくらい一人で行けるさ!じゃあ、また後で!」

 あまり良い演技だったとは思えなかったが、仕方ない。僕は戸惑うアルを置いて、公園の方向に向かって駆けだした。アルの視界から消えた所で、路地に入る。目的地はもちろん公園ではない。後ろからアルがついてきていない事を確認したところで、立ち止まる。心臓の鼓動が高鳴っているのは、走ったことだけが原因ではないだろう。

 ORCAシステムで地図を表示し、「本当の待ち合わせ場所」へのルートを確認する。空中に浮かんだ地図に指で触れ、そのルートを表通りを迂回するように編集した。

 込み上げる罪悪感。だが、おかしいじゃないか、何も悪いことはしていない。僕は情報が欲しいだけなのだ。選択するための情報が。謎の地下の秘密基地に籠って、よくわからない「支援者」に引き渡される……行動しなかった時の結果を考えることで、自分の行動の正当性を必死に確かめた。

 大きな通りを避け、ビルの間を進んで僕は目的地にたどり着いた。エアコンの室外機や、ゴミを入れておく大きな金属の箱がならぶ、雑居ビルの間のスペースだった。誰もいないと思ったら、突然声がした。

「やあ。たどり着いたようだね、無事に一人で。」

 黒い髪をさらりと揺らしながら、背の高い人間の影が物陰からスッと現れる。初めて会った時とは違い、その髪には赤い目立つメッシュは入っておらず、服装もシックな印象の黒いスーツに白いシャツだった。

「シラキさん、来ましたよ、一人で。……イルカはいません。」

「お礼を言うよ、信用してくれたことに。」

「まだ、信用するかは分かりません。その……あなたは何者で、いったい何を知っているんですか?」

 背後に逃げ道があることを確認してから、僕はシロキさんの目を見つめる。冷静に、情報を得るんだ、と僕は自分に言い聞かせる。だが、シロキさんの次の言葉が、僕を困惑へと叩き落とした。

「ふむ。まずは、君が、鹿追士郎を殺害した件について話そう。」

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