第9話 秘密基地

 区画整理から取り残された、入り組んだ細い道に沿って建てられた不揃いな古い住宅達が肩を寄せる。地形に合わせて無理やり区切られたであろう敷地、それらを囲む塀と柄の隙間が苔むしたコンクリートの迷路を形作っていた。その迷路に沿って右に二回、左に一回、また右に二回―――やがてコンクリートの塀に突きあたる。どこかの誰かの家の塀に見えるその壁に、秘密基地の入口は隠されていた。

 壁に開いた入口の先には、うす暗い地下へと続く短い階段があった。身を屈めて入口をくぐり、階段を2段ほど降りたあたりで背後からカタカタという音がしたと思うと、入口はピッタリと閉じて再び壁に戻り、僕の視界は闇に包まれた。一瞬の暗闇の後、天井のオレンジ色の明かりが奥へ向かってパッ、パッと灯ってゆき、無機質なコンクリートに覆われた廊下がぼんやりと姿を現した。錆の浮いた古風な印象の金属製の扉が廊下の先に佇んでいる。

 僕はウィリーを抱え、重い足を半分引きずりながら暗い廊下を進む。後ろから追われる恐怖からは逃れたものの、まだ立ち止まるわけにはいかない。腕の中のウィリーが心なしかぐったりとしてきており、早く水の中に戻すべきなのは明らかだった。

「ウィリー……大丈夫……?すぐに水に戻すから。もう少し……頑張って。」

 ウィリーは僕の言葉に反応して体とヒレを動かし、キュー、というような声を出した。大丈夫という意思表示なのだろうと想像するしかない。テクノロジーの助けが無くなり、言語によるコミュニケーションが双方向では無くなってしまったことに、僕は言い知れぬ不安を覚えていた。腕の中のイルカは本当に昨日一緒にハンバーガーを食べた少女なのだろうかと。

 へとへとの体と心に鞭を打ち、歩く。

 足が重い。10mも無いはずの廊下が長かった。

 ようやくたどり着いた扉の前。二本しかない腕にウィリーを抱えた僕は立ち尽くす。

 ああ、手は三本も無いからこのままだと扉が開けられないなと、疲れた頭が当たり前の結論に数秒かかってたどり着き、状況を解決するために口を開いた。

「……アル……扉を開けて、くれないか?手が、ふさがってるんだ。」

 さすがに地面にウィリーを置くわけにもいかない。近くで見ると、扉はわざと古く作ってあるようだった。見た目だけではなく機能も古風なようで、しっかりノブを握って回さないと開かないようだ。

『おっと、そうだった。今、助手が開けるから待っててくれ。』

「……助手?」

『ユリネ、扉を開けてやってくれ。』

 通信越しのアルの声に続いて、ギィ、と目の前の扉がゆっくりと開き、逆光に小柄な女の子のシルエットが浮かび上がった。

「……はじめまして。」

 僕は予想外に現れた新しい顔に戸惑う。

「え、ええっと、君が助手さん?アルはいないの?」

『悪い。俺は実は自宅にいるんだ。そこは俺の家ってわけではないんだよ。代わりに優秀な助手に出迎えてもらった。』

 電子音と共に、女の子の背後、部屋の隅にある装置に半透明のアルの姿が現れ、僕らの方を見て片手を軽く上げた。仮想世界で会った時のIT企業社員風のアバターの姿だった。どうやら等身大のアバターを現実世界に表示してコミュニケーションが出来る装置のようだ。うす暗い室内には他にも何やらよくわからない機械が所狭しと置かれ、机の上には久しぶりに見る物理的なディスプレイが複数並んでいる。まさにハリウッド映画のステレオタイプなハッカーのアジトという雰囲気だった。

「ユリネです。」

「ほい?」

 疲れた頭でぼんやりと室内を眺めていた僕に、助手と呼ばれた少女がポツリと言う。それが自己紹介だと気が付く前に、半透明のアルが茶化したような顔で言った。

『彼女の名前だよ。ユリネちゃんと呼んであげてくれ。おっと、発音は出来るよな?』

「……人間の名前なら発音は出来るよ。初めまして、ユリネさん。」

 名前からしてたぶん人間だろう。久しぶりの素直な名前。ウィリーの本名が何だったか考えたところで、自分の腕の中でぐったりしている存在を思い出してハッとした。

「あ、ぼうっとしてる場合じゃなかった!ユリネさん、早速だけど、ウィリーを早く水に入れてあげたいんだけど。」

「あちら。」

 そう言って少女が指さす部屋の中央を見ると、手足の付いた水槽――ポッドが天井からの光に照らされて座っていた。ウィリーの物と比べるとかなりボロボロで、よく見ると左右の部品の色や形が少しづつ違っている。余った部品を繋ぎ合わせて作ったのかも知れない。

「あー……その中に入れれば良いのかな?」

「……」

 ユリネは無言で頷きながらポッドの横へ歩いていく。

 まだ扉の前から一歩も動いていなかった僕は、ユリネを追って部屋の中央のポッドの前に移動した。ポッドの周りは他の場所より明るく、何やらケーブルを機械に繋いだりといった作業をするユリネの姿がさっきより良く見えた。ショートカットの黒髪に、直線に切りそろえられた前髪、体はウィリーのアバターよりもさらに小柄だ。なぜかセーラー服で、その上に工場で使うような作業着を羽織っている。作業着は所々オイルで汚れており、ファッションではなくちゃんと作業着として使われているようだった。

「ハリーアップ。」

 ユリネがポッドの水槽の中を指さし言った。円筒形の水槽の中には既に水がたっぷりと満たされている。僕は頷くと、手を滑らせて落とさないよう慎重にウィリーを抱き上げ、ゆっくりと水の中に入れた。ぼちゃん、という音とともに水槽に浸かったウィリーは気持ちよさそうに身体をねじり、ひれをパタパタと動かした。

「はあ、良かった。ウィリー、大丈夫そうだね。」

 安堵する僕だったが、ウィリーからの返答はない。まだポッドが起動していないため、脳波読み取りのスピーカーも動かないのだ。ウィリーはポッドの水槽の中で何か言いたそうにこちらを見ている。

 ふと気が付くといつの間にかユリネが僕のすぐ隣に来ており、無言で身を乗り出してポッドの蓋を閉めていった。一瞬、その小さな体が僕に触れ、やわらかい感覚と体温に少しドキッとしてしまう。久しぶりに人間の体温を感じた気がした。一方のユリネは特に気にしていない様子で、ポッドとケーブルで繋がっている装置の所へトコトコと歩いて行き、何やら操作を始めた。

「ジャンクの組み合わせだから、電源と制御装置が内蔵されてない。外から起動しないとダメ。」

「あ、そうなんだ。」

「ジャストモーメントプリーズ。」

 どうやら少し時間がかかるようだ。忙しそうなユリネの邪魔をしないように、僕はウィリーのポッドから離れた。ユリネの顔は幼く見えたがコンピューターを操作する手順に迷いは感じられず、知識は僕なんかよりだいぶ上のようだ。任せておいて問題は無いだろう。

 手持無沙汰な僕は自分がいる部屋を改めて見回す。古い住宅街の地下に隠された秘密基地。誘導されるがまま、必死に飛び込んでみたはいいが、一体この場所はなんだ?いくらこの時代でも、地下に隠れ家があるのが普通、ということはないだろう。

 不安になってきた僕は立体映像のアルの姿を探す。アルは考え事でもしているのかじっと目を閉じ、腕を組んで半透明の姿で部屋の隅に立っていた。その様子に少し迷ったが、僕は近寄って話しかけてみることにした。あふれる疑問を仕舞い込んでおくには、今日は色々なことがあり過ぎた。

「アル、色々とありがとう。助かったよ。」

『はい、今のところ特に変わった所は……あ、ミカゲ悪い。なんだ?』

「あ、ごめん、誰かと話してたのか。」

『大丈夫だ。気にしないでくれ。何か用か?』

「ええっと、聞きたいことは色々あるんだけどさ。まず、ここは一体何なんだい?」

「ここは俺のラボだ。俺の目標は前に話しただろう?そのために誰にも見つからない秘密基地が必要だった。とある支援者が提供してくれたのさ。あー、たまたまお前の家の近くで良かったよ。」

「ふーん……」

 アルの答えはよどみなく、何かをごまかしたりという感じはしなかった。最後の、たまたま近くにあった、というのは少し都合が良すぎて引っかかったが、ありえない事でもないかも知れない。

「まずはゆっくり休め。ここにいれば安全だ。」

「うん、ありがとう。やっぱり落ち着いたら警察に助けを求めたほうがいいと思うんだ。」

 ウィリーの家で襲撃者が警察に繋がりがあるかもと言われたが、警察全体が敵という事はないだろう。イルカが喋ろうとも、この国が法治国家であることは変わっていないはずだ。僕たちは謎の放火犯に追われた被害者であり、保護を求めるのは警察であるはずである。

「うーん、それはやっぱり止めておいたほうが良さそうだぞ。」

「襲撃者との繋がりとかいう話?そんなにこの時代の警察は信用できないのか?」

「いや、実は……」

 その時突然、テテーン!と古めかしい電子音が静かなラボ内に鳴り響いた。音のしたほうを見ると、ウィリーの入ったポッドのLEDがチカチカと点滅している。アルが自慢げな顔をして言う。

『おっと、無事に起動したようだな。どうだ、イカすだろう。20世紀のパソコン用OSのサウンドライブラリーを再現している。』

「なんか昔家にあったパソコンからあんな音がしていたような気がするよ。」

『な、現物が家にあったのか!』

「先輩は99歳のおじいちゃんですからね。」

 僕らの会話に入ってきたのは、この数日間ですっかり慣れ親しんだウィリーの声だった。僕は思わずポッドに駆け寄る。

「ウィリー、大丈夫だった?」

「ええ、あんなに長時間水から出たのは久しぶりですよ。ちょっと身体に傷が付いちゃいましたけど、大した傷じゃないです。すぐに治ります。えーと……」

 ブン、と音がしてポッドの姿が一瞬ノイズに隠れたと思うと、いつもの少女のアバターを表示させたウィリーが現れた。

「アバター表示機能も問題ないみたいですね。」

 その姿に不安が和らぐ。

「ああ、良かった……ごめん、ポッドを捨ててきちゃった。」

「いえ。日常用のポッドで無理をするものじゃないですね……油断してました。えーと、先輩がいなかったら、ちょっと危なかったですね。ありがとうございます。」

 ウィリーは照れくさそうな顔で笑って答えた。

「とにかくお互い生きててよかった……疲れたよ。」

「私もです。はあ、私の家と、ポッド……早く警察に言って犯人を捕まえてもらいましょう。許せません。」

 そうだね、と答えようとした僕の言葉を遮り、アルが言いにくそうに口を開いた。

「あー、ミカゲ、ウィリェシアヴィシウスェ。実は二人に悪いニュースがある。」

「ウィムアルゼムィンスェ、そこは、良いニュースと悪いニュースがある、じゃないの?」

「はは、一度言ってみたいセリフの一つだが、残念ながら今は悪いニュースしかない。実は二人は今、殺人犯として指名手配中だ。」


 ラボの壁の一面にある大きなディスプレイが起動する。空間上にAR拡張現実で情報を表示出来る時代には、大きな物理的なディスプレイは実に無駄の多いデバイスである。

「15分ほど前に配信されたニュースだ。」

 そう言ってアルが操作をすると、ニュース映像と見られる動画の再生が始まった。焼け落ちた、かつてウィリーの家だったものが映し出される。続いて「人間の男性と見られる遺体が発見されました」、というナレーション。ウィリーを気絶させた襲撃者の事だろうかと思ったが、被害者として表示されたテロップの名前に僕は怪訝な表情を浮かべた。

「鹿追、士郎?どこかで……」

「珍しい苗字ですねぇ。」

 続いて流れたナレーションがその謎に答える。

『遺体の特徴から、被害者は市内の病院に勤務する医師で、昨夜から行方が分からなくなっていた鹿追士郎さんと見て確認を進めています。また、この家の住民であるイルカの女性と人間の男性の行方が分からなくなっており、警察はこの二人が事情を知っているものとして行方を……今、速報が入ってきました。』

 アナウンサーの顔が一瞬険しくなる。その先を僕はなんとなく予想できてしまった。

『えー、警察はこの家の住民のイルカ、ウィリェシアヴィシウスェと、人間の男性、浦幌御影の二名を殺人容疑で指名手配すると発表しました。遺伝子治療の費用をめぐるトラブルが原因と見られているそうです。』

 画面には、僕とウィリーの名前の後ろに「容疑者」という文字が付け加えられて表示される。名前の横には、いつ作られたのか、僕の鮮明な顔の3Dモデルがゆっくり回転していた。ウィリーの方はと言うと、ご丁寧にイルカの姿と公共アバターの姿の二つが表示されている。この時代の指名手配はアバターの人相も載せられるらしい。僕の方は公共アバターのデータが無かったのだろう。

『警察によりますと、浦幌容疑者は遺伝子治療の副作用により非常に凶暴で残忍な性格に変貌しており、大変危険とのことです。またウィリェシアヴィシウスェ容疑者は違法改造されたポッドを使用している疑いがあります。見つけ次第、すぐに警察に連絡してください。警察では、懸賞金を出すことも検討中とのです。』

 その後ニュースは別の話題に移ったが、画面の上の方には僕とウィリーの顔と、情報提供用の二次元バーコードがずっと表示されたままだった。「危険!ピンときたらすぐ通報!」という赤い文字が横に添えられている。

「先輩、ここまでされると笑うしかないですねぇ。」

「あはは……」

 僕はウィリーの言葉に力なく笑って返しながら、病院の診察室で見たネームプレートを思い出していた。僕を治療した医師は確かに鹿追という医師だった。だが、鹿追医師はウィリーの家に来ていないし、もちろん僕は殺していない。副作用で凶暴で残忍に変貌してもいない……たぶん。

『そんなわけで、今警察に逃げ込むと二人は捕まるんだ。街を出歩くのも危険だ。』

 アルが手を振ってディスプレイのニュースを消しながら振り返って言った。ふと気が付くと、ユリネが真ん丸な目で僕の方をじっと見つめている。

「凶悪で凶暴……」

「いや、僕はやってないよ!」

『分かってるさ。襲撃者の情報操作だ。言ったろう?襲撃者は警察と繋がってるって。思った以上にと繋がってたみたいだが。』

「警察の偉い人が敵ってこと?私と先輩が何をしたって言うの?」

 ウィリーの言葉で、襲われた時に拾った警察手帳の事を思い出す。なんとなくポケットに突っ込んだそれは、逃亡の間も落ちることもなく収まっていた。

「そうだ、あの時の警察手帳、持ってきたんだ。本物かな。冤罪で警察が動いているにしても、こんなフェイクニュースを流す必要は無いよね。うーん。」

 そう言いながら警察手帳の革のケースを開いてみるが、そこには何も書いていなかった。

「あれ?」

『ミカゲ、この時代の身分証明書の類は基本的にORCAシステム経由で提示するんだ。普通はロックがかかってると思うが。』

「貸して。」

 僕の横にユリネがスッとやってきて小さな手を出した。僕が少し戸惑いながらその手に警察手帳を置くと、ユリネはトコトコと机の上のコンピューターの前に移動し、青く光る装置の上に警察手帳を置いてキーボードで何やら操作を始めた。脳波ではない昔ながらのコンピューター操作が逆に新鮮だ。

「出た。」

「えっ?まさか。」

「へぇ、ユリネちゃんもハッカーなんだね。」

『優秀な助手だろ。』

 得意げなアルの立体映像の横を通り抜け、僕はユリネの前のディスプレイを覗き込んだ。そこには警察手帳の持ち主の情報と思わしき文字列や顔の3Dデータが並んでいる。そして、所属の欄にはこう書かれていた。

 警視庁公安部第13課。

 ウィリーも自分のポッドに繋がったコードの長さを気にしながら僕の横に来てディスプレイを覗き込む。

「公安?13?って何してるところですかね、先輩。」

「ええっ?捜査対象で分かれてるんだっけ……?僕は警察マニアじゃないからな。」

『あー、仮にミカゲが警察マニアだったとしても分からないだろうな。13課はミカゲの時代には絶対に無い。』

「というと?」

『13課は、が捜査対象だ。』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る