第3話 ORCAシステム管理局
「
窓口の女性はさも当然、というような口ぶりで言った。まるで、「ここは地球なので太陽は東から昇りますね」、というような口ぶりだった。
社会生活に密接に関わるORCAシステムの管理は公的機関が行っている。日本の場合、内閣府の外局としてORCAシステム管理局が設けられ、その支局が全国の県庁所在地に設置されている。支局には地域の住民からシステムに関する相談などを受け付ける窓口があり、僕たち二人はそこにORCAシステムの異常を訴えに来ていたのだった。
管理局支局は何の飾りっけもない無機質な四角い10階建てほどのビルで、その中にある窓口も、僕の記憶の中の市役所の窓口の雰囲気そのままだ。番号順にお呼びします、といって紙に数字の書かれた札を渡された時にはあきれてしまった。とても80年後の最先端システムを管理する機関の建物とは思えない。どうもこの世界の技術はORCAシステムだけ異様に発展していて、残りは過去に取り残されているように感じた。
15分ほど待たされた後、人間であろう女性が僕達に対応してくれたのだが、先ほどから一向に話は前に進まない。ウィリーが何度目かの同様の内容の訴えを繰り返す。エラーが発生しないのならば、この相談窓口はいったい何のためにあるのだろう。
「そうは言っても、実際に自動生成が使えなくて、しかも
ORCAシステムのアバターは2タイプに分かれている。
一つ目は
もう一つ、ホビーアバターというのがある。これは主に、この時代のインターネットである仮想世界内で使えるものだ。著作権や肖像権を侵害しない範囲で自由にカスタマイズが出来るが、あくまで遊び用。現実世界でもプライベートな場所でなら使えるが、状況は限られている。僕の時代でイメージされるアバターは、このホビーアバターに近い。
僕のORCAシステムは遺伝子情報や生体情報から設定範囲が制限されるはずの公共アバターに制限が無くなっており、顔はおろか、性別、背の高さ、声の高さなどあらゆる項目の設定が無制限になっていた。簡単にいえば、人の視覚を直接上書きするリアルな変装がやり放題になっているのだ。
「そう申されましても、システムは正常なんですよ。」
「だからぁ……もう、先輩も何か言ってくださいよ。」
話を振られて、話を前に進める方法を考える。
こういうのは紗由が得意だった。昔から頭が良くて、僕の方が彼女に教えられる事が多かった。
――手段と目的が入れ替わっていることに気が付かない人が多いんだよ。
何かに悩んだ時は、何が目的なのか、から考えると良いよ。
「ええっと、公共の場で好き勝手な姿になるのを防ぐために、ORCAシステムによる設定制限があるんですよね?」
「はい、その通りです。」
受付の女性はウィリーから僕に顔を向け、仕事用のにこやかな笑顔で返した。
「じゃあ、好き勝手な姿になれてしまう僕は違法、ということですか?困っているのはシステムが正常かどうかではなく、そこなんです。」
目的は公共の場の混乱を防ぐことで、そのための手段が公共アバターの制限のはずだ。システムが正常に動いて公共アバターが制限される事はあくまで手段であって、僕の現状の問題は公共の場の混乱を招きかねない状態になってしまっていることだ。
確かに自動生成が使えないのは不便だが、それ以上に何もしていないのに違法な存在として逮捕でもされてはたまらない。
システムは正常です、を繰り返すボットと化していた受付の女性は、少し困った顔をしてから、またにこやかな笑顔に戻って言った。
「……すみませんが、前例がないので、お答え出来かねます。」
僕はウィリーと顔を見合わせ、ため息をついた。このままやり取りをしていても悪質なクレーマー扱いになりそうだったので、いったん窓口を離れた。
何しろ、ただでさえアバターを纏っていない僕はさっきから変な目で見られていた。
出かけようとして公共アバターが自動生成されないことに気が付いてから、試しにゼロからアバターを作ってはみたのだが、これが存外難しいのだ。四苦八苦しながら昼ご飯を食べるのを忘れて出来上がったそれは、「人間のようなもの」だった。必死に笑いをこらえるウィリーの反応を見て、とてもこのアバターで外出は出来そうにはないことがわかった。ベースをいじるのとゼロから作るのでは難しさの桁が違うのだ。3Dモデラーってすごかったんだなぁ。
アバター無しで変人扱いもごめんだが、「人間のようなもの」の姿で出歩くのも同じくらいごめんだ。
こうなったらORCAシステム管理局に一つクレームでも言って直してもらおうということになったのだが、平日の公的機関の不便さは80年前と変わっていなかったようで、窓口が午後5時に閉まる前にと、こうしてアバター無しのまま来ていたのだった。
僕は当然服を着ていたが、この時代ではアバター無しは裸同然と言うことを知ってしまったとたん、道中は周りの視線が気になって仕方なかった。
「先輩、技術系や法律系の私の同期にも相談してみますけど、今日の所は帰るしか無さそうです。先輩のアバターが違法かどうかは結局よく分からないですから、しばらくはアバター無しで過ごすしかないですね。」
ここに来るまでに知ったのだが、ウィリーの仕事は何を隠そうORCAシステム管理局の職員だった。技術者ではなく経理らしいが、自慢げにシステムの説明をしていた理由に納得がいった。
今はあの時の自慢げな表情とはほど遠い、申し訳なさそうな顔を僕に向けている。
「すみません。私の職場、全然役に立たなくて。」
「管理局は仕事柄システムを正常に運用するのが目的だから、どうしてもああいう視点になっちゃうんだろうね。エラーが無いっていうのを信じるなら、インプラントの方の不具合じゃないかな?病院にも訊いてみよう。身体に何か異常があっても嫌だし。」
「なるほど、確かに先輩にだけ起こるなら、脳のインプラント側かも知れませんね。」
そう言った後、ウィリーは僕の顔を何か珍しい生き物でも見るようにまじまじと見つめていた。中身がイルカだとしても、整った顔の少女に見つめられるのは気分が落ち着かない。
「ええと、僕の顔に何か付いてる?」
「いや、先輩って意外と賢いんだなぁと思いまして。」
「意外と、って……まあ、昔の知り合いの影響だよ。」
「ふうん。その知り合いって人間ですか?って、当たり前ですね。」
「そりゃあ人間だよ。80年前は喋るイルカはいなかったからな。」
「そこの君。」
突然、落ち着いた渋い声が僕らの話に割り込んだ。僕とウィリーが振り向くと、背の高い男が立っていた。
「『喋るイルカ』という表現はあまり褒められたものではない。気をつけたまえ。」
「ええと、あなたは? 」
どこからともなく現れた男は青い目に金髪、すっと通った鼻筋と、まるでハリウッド俳優のような見た目だった。日本の公的機関で外国人が働いている可能性は捨てきれないが、たぶんイルカなんだろう。
「私は、ORCA管理局の副支局長をしている、ウィルターヴェだ。」
「ええっ、すみません!私、気がつかなくて!」
イルカにしては覚えやすい名前の男は、どうやらウィリーのかなり上の上司、偉い立場だったようだ。ふらっと地方の管理局窓口を視察に来たら、知性イルカを侮辱する上にアバターも纏っていない不届き者がいたので、これは許せないと注意しに来た、ということだろうか。
「この人はちょっと事情があって最近の社会常識に疎いんです。私から気を付けるよう言っておきます!」
「……すみません、僕も悪気があったわけではないんです。今後気を付けます。」
僕のせいでウィリーの職場での立場が悪くなっても申し訳ないので、少し釈然としない思いを隠して僕は謝罪した。
「まあ、これから気を付けてくれ。でも話しかけた目的はそのことじゃない。さっき窓口で話していたことを詳しく聞かせてくれないか?」
僕とウィリーは顔を見合わせる。責任者を呼べ!と騒いだつもりはなかったが、偉い人が自ら出てきてくれたようだ。
早速、ウィリーは副支局長に僕の現状を説明してくれた。
「ほう、コードVが有効、か。」
「エラーではないみたいなんですけど。コードって何なんでしょう?」
「原因はともかく、僕の公共アバターが無制限に設定できるからって、勝手な恰好で出歩いたらマズイ、ですよね?」
副支局長の顔を見上げながら、二人の話に割って入る。僕の脚の先から頭まで、ざっと確かめるように副支局長の視線が動いた。
「……」
聞き取れない小さな声で何か言っているようだったが、数秒後、絞り出すように言った。
「君が知りたいのは、このまま出歩くと違法かどうか、だったか?……エラーの起きていないシステムで許されているのであれば、違法にする理由はないな。」
「え、そうなんですか?」
副支局長は僕から目をそらし、咳払いをしてから言った。
「ORCAシステムはエラーを出していない。だから勝手にシステムを否定する理由がない。アバターの外観制限の目的は社会の混乱を防ぐことだ。逆に言えば、君が社会を混乱させなければ何も問題はない。むしろエラーが起きていない現状を否定すれば何が正しいのか分からなくなって、社会に無用な混乱を与える。この意味が分かるかね?」
なんというか、筋が通っているような、いないような、どこか間違っているような、どこも間違ってはいないような、そんな気がして僕はなんと返していいか分からなくなった。
ウィリーも同じく眉間にしわを寄せていたが、僕と目が合うと決まりが悪そうに咳ばらいをして言った。
「副支局長、わかりました。そういうことにするとして、直し方はわかりますか?このままじゃ不便ですし、先輩が間違って逮捕されたらそれも無用な混乱ですよね。だからといってアバター無しで出歩かれるのも。」
「ふん、直し方はわからないが、逮捕されなければ良いのだな?」
副支局長は少し待て、と言うと脳波コントロールの画面を開いて何か作業を始めた。
「浦幌御影君だったかな。代理で副局長の私の署名になってはいるが、管理局発行の正式な書面を作った。もし何か言われたら見せると良い。」
数十秒後、副支局長がそう言うと、僕の視界に添付ファイル付きの短距離通信の通知が入った。短距離通信は、相手の連絡先がわからなくても、近くにいれば物を渡す間隔でメッセージやファイルが送れるというものだ。
「もちろん犯罪行為を働いてもらっては困るが、人に迷惑がかからない範囲なら公共アバターの設定はどうしてもらっても問題にはならない。なぜならORCAシステムは正常だからだ。もうこの件は気にしないように。自動生成が出来ないのは不便だろうが、必要なら後日アバター調整の専門家を紹介しよう。」
「はあ。」
すぐに効力のある証明を発行できるような偉い人が地方の窓口にふらっと現れたのは少し不思議だったが、とりあえず目先の不安は解消した。
とはいえ、根本的に解決されたわけではない。今のところ不便なくらいの問題だが、原因が分からないのは不安だ。何しろこのシステムは脳に直結している。せっかくもらった第二の人生を、得体のしれない状態で生きるのはごめんだ。明日病院にも行ってみよう。
「ところで、浦幌君。最近まで治療していた病気は遺伝子に関わるものではないか?」
「えっ、何でわかったんですか?」
思わずウィリーの方を見ると、きょとんとして首を傾げている。さっき事情を説明したときにもそこまでの話はしていなかった。
「やはり……いや、なんでもない。とにかく、違法にはならないから安心してくれ。ウィリェシアヴィシウスェ、この件はこれで解決だ。わかったか?」
「はい、ウィルターヴェ副支局長、ありがとうございました。良かったですねぇ、先輩。合法的になんにでもなれますよ。」
ORCAシステム管理局を後にした僕たちは、腹ごしらえをするためにファーストフード店に向かっていた。結局昼食を食べていなかったので、すっかりお腹が空いてしまっていたのだ。
この時代における知性イルカとの共存への不気味なまでのこだわりに、僕は正直辟易していた。変なアバターやアバター無しで出歩いて、順法精神と知的生命体権意識にあふれる人に目を付けられたとしても、あのお偉いさんがくれた証明書でとりあえずしのげるだろう。
というわけで、僕は悩んだ末に自作の『人間のようなもの』の公共アバターを纏っていた。
ORCAシステムのウィンドウを呼び出し公共アバター表示をONにすると、ブンという音と共に視界に映る自分の体がアバターの姿に置き換わる。脳波コントロールにもだいぶ慣れてきた。自分でOFFにしなければ、公共エリアに入ると今後は自動でONになるそうだ。
自分の体を動かすと、視界に映る「僕の体ではない体」がその通りに動いた。素早く手を振ってみても特にタイムラグはなく、完全に自分の体が置き換わったように錯覚する。
通常、人間の場合は実際の体と大きく違う体形のアバターには設定出来ないため、誤って実際の体をどこかにぶつけてしまう心配は無い。
ウィリーのようなポッドに入った知性イルカでしかも小柄な女子のアバターだと、現実のポッドとアバターの大きさに結構な差が出てしまうのだが、そういう場合はうっすらとポッドの輪郭が本人にだけ見えるようになっているそうだ。最近はポッドの小型化も進んでいるとは言っていたが、気を使わないとポッドをぶつけて物を壊してしまいそうである。もっともウィリーは慣れたもので、イルカの体で人の形をしたポッドを動かしながら、さらにそのポッドに連動するアバターを動かしているというのに、動きにまったく違和感は無かった。
一方、ようやく裸の時間的田舎者を卒業出来たはずの僕はといえば、素人作成のひどい出来のアバターのせいでさっきから形容しがたい気持ち悪さに襲われていた。手足の長さのバランスが悪く、関節の位置が微妙に実際の位置とずれてしまっているので、動くたびに自分のイメージとのギャップで脳が混乱するのだ。見た目のほうも、適当に選んだ肌の表面テクスチャはのっぺりとしていて顔に生気を感じないし、顔の部品の配置や大きさのバランスが悪いのか、とにかく不気味である。
道沿いの店の窓ガラスに映る自分の顔を覗くと、その不気味な自分の顔と目が合い、おもわず自分で呻き声を上げてしまった。なお、実際にガラスに物理的に反射しているのは僕の本当の顔なのだが、埋め込まれたインプラントが瞬時に視覚情報を書き換えているのだ。ORCAシステムは確かに未来の技術だと、改めて驚く。
「うふふ、適当にホビーアバターでも買って、真似して作ると良いのでは?先輩。」
先を歩いていたウィリーは、ガラスに映る自分の顔を見て眉間にしわを寄せる僕に気づき、立ち止まった。なるべくこちらを直接見ないようにしているのは、おそらく直視すると笑いをこらえきれないからだろう。
「やっぱり自分で作るしかないのかな?公共アバターって買ったり出来ないの?」
「公共アバターのカスタマイズ専門の職人ならいますよ。規制の範囲内ですけど、自動生成のアバターをベースにカスタマイズしてくれるんです。上手い人だと驚くほど良くなるんですよ。先輩の時代で言うと、美容師とかメイクアップアーティストみたいな感じですね。」
「じゃあ、その人達に作ってもらうのは?」
「うーん、そういう人たちはゼロから作るのは普段やらないから、ちょっと難しいかも知れませんねぇ。頼むならホビーアバターデザイナーですかね。」
ホビーアバターを作成することを仕事にしている人たちがいるらしい。こっちは、80年前の世界でいうと服のデザイナー、イラストレーター、3Dモデラーが合体したような仕事だ。
この時代ではデジタルデータでもアバターのようなものは複製できないようになっているため、高度なセンスと技術を持つデザイナーの作品は目の飛び出るような価格で取引されているそうだ。
もちろん、もっと手に入りやすい価格の普通のレベルのホビーアバターもある。
「それだ。どこに行けば買えるの?」
「仮想世界内のショップですね。あっ、でも仮想世界に買いに行くのにもアバターが必要ですよ。」
「こんなアバターで買いに行くのか……」
思わずため息が出た。まさに、服を買いに行く服が無い、というやつだ。
正直、今も早くウィリーの家に逃げ込みたかったのだが、さっきからお腹が全力で空腹を訴えており、一刻も早く腹ごしらえをする必要があった。少し速足で再び歩き出す。
「先輩、この通りの向かいです。」
ひらひらした服を揺らしながら、道がわからない僕を軽やかな足取りでウィリーが先導する。髪が銀色というところは少しファンタジーっぽいが、色白の肌と清楚な雰囲気に良く合っていて、全体として浮いた感じがしない。自分のへっぽこアバターをまじまじと観察した後ということもあり、クォリティーの高さが際立つ。
これが遺伝子からの自動生成だって?もしデザイナーが作ったアバターであれば、かなり高額の値段が付くのではないだろうか。そういえば、あの副支局長も相当な美形だった。イルカは人間換算すると美男美女になりやすいのか?だとしたら、なんかずるい。
ようやく着いた全国チェーンのファーストフード店は、80年前とまったく同じ店名で存在していた。パッと見は店内も変わらないように見えたが、よく見ると
店内の客が僕の方を見て何か笑っているような気がするが、気のせいに違いない。
宙に浮いているメニューを見て何を食べようか考える。ハンバーガー、チーズバーガーなどなど、食べ物は変わらないようだ。イルカ用のメニューがある以外は。
「私はイワシダブル照り焼きバーガーのセットにしますね。先輩は何にします?私からの退院祝いです。遠慮しないでください。」
「このイルカ用ってのは人間が食べても大丈夫?大丈夫なら、同じ物にしようかな。」
ウィリーは一瞬目を見開いて、怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
「え、いや、食べても死んだりはしないですけど……美味しくないと思いますよ?」
「早くこの時代のことを知りたいんだよ。それに、魚好きだし。」
「先輩って結構チャレンジャーなんですね。後悔しても知らないですよ。」
ウィリーはイワシダブル照り焼きバーガーなるハンバーガーを2セット頼んだ。僕の飲み物はジンジャーエールだ。ウィリーの飲み物は何か訊いたら、海水、だそうだ。よくよく訊くと飲むのではなく、ポッドの水槽に補充するらしい。
支払いは電子マネーだ。紙幣や硬貨などの現金は既に廃止されている。ORCAシステムの機能でIDに紐づいた口座と連携して支払いが出来るそうだが、僕はこの時代の口座自体まだ持っていなかった。本当はこういった生活に必要な設定や手続きも今日やる予定だったのだが、例のコードVとやらのせいで、もう今日は時間がなさそうだ。
「ポッド対応の席がある奥に行きますね。」
イワシダブル照り焼きバーガーセットはすぐに出てきた。トレイに載った商品をカウンターのロボットアームから受け取り、ウィリーと席に向かう。奥の席は少し大き目の作りになっており、ポッドに入ったイルカが座っても大丈夫なようになっていた。ポッドは主に金属製なので、結構重いのだ。
こういう場面でも無いと、公共アバターを纏ったウィリーがイルカであることを忘れてしまう。ウィリーが席に座った時、ポッドの実体とアバターのサイズ差からウィリーが空中に座ったようになったが、すぐに位置は補正され、自然な姿で座っていた。
「良くできているな。」
「えっ、なんですか?」
なんでも無いよ、と言い、ウィリーの向かいの対角線上の席に座った。周りには僕ら以外に客はいなかったので、僕のアバターを見る視線に悩まされずにゆっくりできそうだ。
「退院初日から疲れたよ。」
「ホントですねぇ。謎は残りますが、とりあえず逮捕されたりしないなら良かったです。」
バーガーの包みを開くと、強い魚の生臭い香りが鼻をついた。この時点で、これはやらかしたかな?と後悔した。
ふと、ウィリーはどうやって食べるのか気になって目を向けると、普通に美少女が元気にハンバーガーを頬張っていた。大きく口を開けて満面の笑みで両手で持ったハンバーガーに食らいつく姿は実に気持ちの良い食べっぷりだった。
その姿が、またしても僕に過去の紗由とのデートを思い出させた。お金の無い高校生のデートのディナーは、高級レストランではなくファーストフード店になるケースが普通である。
「ハンバーガーってたまに無性に食べたくなりますねぇ。……ん、何ですか。私の顔に何か付いてます?」
目の前の少女に過去の他人の幻影を重ねていた事の後ろめたさをごまかそうと、無難だがもっともな返答を考える。
「ええと、今って実際はどうやって食べてるのかな?って思って。」
「ああ、なるほど。ええとですね、実際はポッドの上部を開けて、ロボットアームでハンバーガーを持ってきて、イルカの私が水面から口を出して、むしゃむしゃしてますよ。えへへ、なんか恥ずかしいな。」
頭の中で想像してみた。なぜだか恥ずかしがっているウィリーには悪いが、あまり積極的に見たく無い光景だ。
「先輩の目にはどういうふうに見えるんですか?補正されるのは知ってますけど、自分では見られないんで、わかんないんですよね。」
「ええと、元気に美味しそうに食べてたよ。見てるこっちがうれしくなるくらい。」
「それは良かったです。感情を読み取って、アバターの表情を生成しているんですよ。すごいですよね。」
こうして目の前でORCAシステムの技術力を見せつけられると、やっぱりここが自分の生きていた時代とは違うということを実感する。
イルカとの共存へのこだわりや、まったく違和感なく視覚情報が書き換えられていることには少し不気味さを感じるものの、「美味しいハンバーガーの食べ方」の見本のような元気な食べっぷりを披露している少女と、むしゃむしゃとハンバーガーを食べるイルカ、どちらが見たいかといえば前者なのは否定できない。
――見た目から感じる印象って、結局遺伝子にコントロールされているのかな?
どういうこと?
――遺伝的多様性を保ちつつ、子孫を残せるちょうどいい相手に魅力を感じるように出来ているのかな?ってことだよ。人の感情は目的なのか、手段なのか?ってたまに考えるんだ。
難しいことを考えるなぁ。紗由が魅力的なことに理由なんて無いんじゃない?
――もう、どこで覚えてくるんだか、そんなセリフ。
自分が純粋な男子高校生をしていた時の記憶。
およそ82年前に、同じ地球上で実際に交わされた会話。
自分がまだ何も食べていないことに気が付く。冷凍睡眠の後遺症に「センチメンタルな感情」という症状でもあるのだろうか。調味料にもならない青い思い出を追い出し、手に持ったハンバーガーの包みを開く。
手の中のイワシダブルバーガーにはイワシの形をしているものは見えなかったが、すりつぶしてパティに入っているのかも知れない。一口食べると、口の中に塩辛い味が広がった。食べられなくはないが、人間向けの味付けとはだいぶ違うようだ。正直後悔した。
ふとウィリーを見ると、ポカーンとした顔をしてこっちを見ていた。なんだろう?
イワシダブルバーガーを人間が食べるのがそんなに珍しいのだろうか?、と思っていると、ウィリーは突然笑い出した。
「アハハ……先輩……やめてください!……何ですか、その食べ方。ちゃんと口を開けてくださいよ。」
「?……普通に食べてるよ?何がそんなにおかしいんだ。」
「ああー、わかった!先輩、アバターに表情とか、口を開けるとかの設定が入ってないんです。」
ポーズも表情も固定の銅像や人形と違い、人が纏って生活するアバターでは、体以外にも顔の動きが重要だ。
体の動きは、脳が出す運動の命令をインプラントで読み取ってアバター表示に反映させるだけでも大きな破綻は起きにくい。
だが、顔の細かな動きは複数の筋肉が複雑に連動したものであり、少しの違いが表情のニュアンスを変えてしまうため、顔の作りに合わせた調整が必要なのだ。
ORCAシステムでは、最初に自動生成をすると顔の骨格と表情筋に合わせた表情の動きや、口を開けた時の動きなどが自動で割り当てられるのだが、僕の場合はそれが出来ておらず、全ての顔のアクション設定がされていなかった。
「だからさっきから一切顔も動かなかったんですね。びっくりしましたよ。ハンバーガーを無表情で顔に押し付けたと思ったら、ハンバーガーがすこしずつ消えていくんですから。不気味だったなぁ。」
造形の稚拙さに加え、表情が一切無かったのがこのアバターの不気味さに拍車をかけていたようだ。顔の動かない人間は、遺伝子云々の前にヒトではない。
「はあ…なんでこんな面倒な社会になってしまったんだ。」
僕はため息をつきながらアバターの表示を解除し、19年間慣れ親しんだ自分の姿に戻った。ピカピカに磨かれた壁の装飾を見つけ、そこに自らの顔を映して確かめた。顔も動くし、口も動く。大きく口を開けて、塩辛いハンバーガーを口に押し込む。
「あ、解除しちゃうんですか? もう一回、顔でハンバーガー食べるのやってくださいよ。」
ウィリーがいじわるそうな笑顔で言う。ウィリーが楽しそうなのはうれしいが、笑わせた、のではなく、笑われているというのが複雑な気分だった。
こんな光景も、そのうち新しい微笑ましい思い出になるのだろうか。
「もう、しばらくはアバター無し!たとえ裸扱いでも、無表情の不気味なアバターよりマシだろ。」
「口を開けずに顔でハンバーガーを食べるびっくり人間のアバターですよ。」
「もう、勘弁してくれ……」
僕は残りのイワシダブル照り焼きバーガーを口に放り込み、ジンジャーエールで流し込んだ。
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