最近はイルカがしゃべるようになった
根竹洋也
プロローグ
ネアンデルタール人ではなく
でも、それはある時突然終わりを迎えた。知的生命体という称号が、もう人間だけのものでは無くなったから――
大学生の頃に発症した珍しい病気は、僕の命にあと数年という無慈悲なタイムリミットを設けた。僕には遺伝しなかったあきらめの悪さを遺憾なく発揮した父親がタイムリミットを伸ばそうと奔走した結果、「冷凍睡眠技術で眠って治療法が確立されるまで待つ」、という積極的なんだか消極的なんだか分からない手段を見つけ、僕は深いまどろみの中で復活を待つことになったのだった。
そして僕は80年間眠り、目覚めたのはつい1週間前、意識が戻った時には病気は治療され、無慈悲なタイムリミットはあっさりと取り去られていた。
第二の人生のオープニングを飾った記憶は、白い天井、白いシーツ、白衣の医者と看護師達――80年前と大して変わった気のしない、地方の駅前にある少し大きめの総合病院のベッドの上で、僕は目を覚ました。
僕が最初に認識した未来は、病室に窓の代わりのディスプレイが嵌っていて、いつまでも散らない桜が映し出されていたことだった。窓から見えるあの最後の葉っぱが落ちたら私も死ぬ……という展開を防ぐためなのかも知れない。となると、他の部屋では野球選手がホームランを打つ映像がエンドレスで流れているのかも知れない……
奇跡の生還のはずなのだが、症例が少なすぎて一般人にはウケないと思われたのか、僕の事が大きなニュースになることは無かったようで、病室は静かなものだった。
僕にとってはそのほうがありがたい。普通に平和に生きること。80年前に無慈悲に奪われかけた普通の人生に戻るのだ。
今のところ体はすっかり健康だったが、経過観察だ、検査だ、と病院からは出してもらえていなかった。おかげでこの時代のことはまだ知らないことだらけなのだが、最近一つ、大きな違いを知った。
それは、地球の知的生命体が既に人間だけではない、ということだった。
「先輩、おはようございます!」
今日もイルカが僕に挨拶をしてくる。そう、あの海にいるイルカだ。水族館で輪っかをくぐったりする、あのイルカだ。
だが80年後の世界のイルカたちときたら、水族館で芸をする代わりに手足の付いたロボットのような水槽に入って地上を歩き回り、脳波を拾って変換するスピーカーから人間の言葉を話すのだった。
ベッドの上で上半身を起こし、当然のように話しかけてきたイルカの方を見る。やっぱり喋っているのはこのイルカで間違いないようだ。水槽の中からじっとこちらを見つめる視線に耐えられなくなって、僕は口を開いた。
「うん、おはよう。えっと、ウィ……ウィリアビシスエ、 さん?」
「おはようございます。ええと、昨日も言いましたけど、正しい発音は、ウィリェシアヴィシウスェですよ、先輩。」
この長ったらしい変な名前の喋るイルカは三日前から僕の病室に来ているのだが、どういうわけか僕の後見人という立場になっていた。
初めてイルカが話しかけて来たときは治療の副作用による幻覚だろうと思った。だが、医者や看護師達も普通にイルカと会話をしており、イルカ?しゃべりますけど、なにか?という感じの反応をしているのを見て、どうやらこの時代ではこれが普通なんだと無理矢理納得するしかなかった。
生きていくためには、この時代に柔軟に適応しないといけない。
病室に来るこのイルカは色々と話しかけてくれるのだが、正直まだどう接していいかわからなかった。
「先輩もいっそ自分の声帯なんて使わないで脳波コントロールで発声すれば、発音も正確になるのでは?早くこの時代に慣れましょう。」
「ああ、すみません……」
イルカたちの名前は、イルカ同士が超音波で呼び合っていたものを人間が聞こえる音域に転写したものらしいが、覚えにくかったし、僕はまだ正しく発音も出来ていなかった。
「じゃあ先輩、短くして、ウィリーって呼んでもいいですよ。仕方ないですねぇ。」
「えっ……ああ、助かるよ。ウィリー、さん。」
イルカたちはペットでもなければ、実験動物でも無い。この時代、人権という言葉は知的生命体権という言葉に置き換えられ、イルカは人間と同様の知的生命体として社会の対等な一員になっていたのだった。彼らは自らの名を名乗るばかりか、こちらに気を使って呼びやすい名前を提案してくれるくらいには知的生命体だった。
「さて、先輩。今日はついに退院ですね。」
こうしてイルカがしゃべる世界での僕の第二の人生が始まった。
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