第13話
ガラスに貼りついて、足音の主が近付いてくるのを待っていた優衣は、その姿が見えた途端に背筋がぞくりとするのを感じた。
怖い。
姿が見えただけなのに、手が震える。
背筋が凍りつくようだ。
あの森で遭遇した魔族など、まだ安全なほうだったのだと思い知る。
金と朱の入り交じったような不思議な色合いの目が、ガラス越しに優衣を見据えていた。
腰まで伸びている長い髪は、まるで身体に炎が纏わりついているかのような赤。黒い服と白い肌にその赤が映えて、とても綺麗だった。
美しい。でも身体が震えるほど恐ろしい。
逃げたいと思うのに、ガラスに貼りついたまま動けなかった。
彼は目の前まで歩いてくると、不思議そうに首を傾げる。
「君は……。人間のようだね。迷子?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出る。
殺されるかもしれない。
そう思って怯えていたのが馬鹿らしくなるくらい、優しい声だった。その彼が手を掲げると、優衣を捕らえていたガラスの壁が消滅する。
「どうやってここまで来たのかわからないけど、危険だよ。早く逃げたほうがいい」
「に、逃げるって言われても。ここはどこなんですか?」
敵意のない口調に、怯えていたことも忘れて思わずそう尋ねていた。
「ここは、魔族の縄張りだよ。だから……」
彼から感じるのは、温泉地で遭遇した魔族などとは、比べものにならないくらい強い気配。それなのにとても心配そうに言われてしまい、優衣は戸惑う。
優衣がさらに尋ねようとしたそのとき、目の前にいた赤い髪の青年が、何かに怯えるようにびくりと身体を震わせる。
直後、ふたりの背後に現れた気配。
「……ルシェー、それに触れるな」
そして聞き覚えのある、でも聞いたことのないくらい威圧感のある声に、優衣も思わず後退り、振り返る。
ふたりの背後に立っていたのは、ジェイドだった。
直前まで眠っていたのだろう。
金色の髪が少し寝乱れていて、それが妙に色気がある。
でも今はそれを恥ずかしがる余裕もない。優衣は震える手を握り締めて、思わずルシェーと呼ばれていた、赤い髪の青年の背後に隠れる。
むしろジェイドのほうが怖い。
(ど、どうしてそんなに怒っているの?)
だが、それによってさらにジェイドの放つ気が凶悪なものになる。中庭に勝手に入ってしまったことを、怒っているのかもしれない。
「ご、ごめんなさい。暇だったから建物の中を見ていたら、何だか荒れ果てた中庭があって。思わず入ってみたの」
こうなったら謝るしかない。
優衣はルシェーを盾にしたまま、一気にそう言った。
「ティラさんに鍵のついた部屋に入ったら駄目って言われたけど、鍵が差しっ放しになっていて。それでつい……」
必死に言い訳をしているうちに、ジェイドは呆れたような顔になっていく。
それでも、あの威圧されるような恐ろしさは消えていた。それに安堵して、ようやくルシェーの背後から前に出る。
「……帰るぞ」
まだ不機嫌そうだったが、ジェイドはそう言った。
これ以上彼の機嫌が悪くなったら大変だと、優衣は躊躇わずに傍に駆け寄る。すると、ジェイドの雰囲気が目に見えて柔らかくなる。もう怒ってはいないらしい。
「ええと、ルシェー、さん? 庇ってくれてありがとう」
一応そう言ってみたが、庇ってくれたというよりも、優衣が勝手に盾にしたというほうが正しい。
だからルシェーも、曖昧な顔して頷いた。
「え……。あ、はい」
ジェイドはそんなルシェーにちらりと視線を向けたが、何も言わずに魔法を使う。
あいかわず魔法での移動はあっという間だ。気が付けばもう館の中だった。荒れ果てた中庭が目の前にある。
「……どうして中庭から、あんな場所に通じていたの?」
飛ばされた場所は魔族の縄張りだと、ルシェーが言っていた。ここから通じる先にしては物騒すぎる。だが、返ってきたのは深い溜息だけ。
言葉に出さずとも、彼が思っていることはわかる。
説明するのが面倒、だ。
だったら質問を変えてみよう。
我ながら、すっかり彼の怠惰に慣れてしまったのは悲しいことだが、優衣は先ほど会った赤い髪の青年を思い出す。
「えーと、彼はルシェー、っていうの?」
「ああ、そうだ。純粋な魔族ではないから、そう恐れることはない」
今度は面倒ではなかったらしく、あっさりと答えてくれた。
「え? それって……」
「……あいつの母親は人間だ」
魔族との混血。
人間と魔族が恋愛をするのならば、その子どもが生まれることもあるかもしれないと思っていた。
実際に魔族と遭遇した今だからこそ、よくわかる。最初に彼を見たときに感じた恐ろしさは、間違いなく魔族のもの。でも話してみると、普通の人間のようだった。
「純粋な魔族でなければ、守護者にはなれないの?」
力があって、しかも人間のように接することができる。そんな相手なら、選出者にとっても守護される側にとっても良いのではないか。
そう思って尋ねてみたが、ジェイドは切り捨てるように言った。
「無理ではないが、あれに他の魔族と戦えると思うか?」
「それは……」
たしかに、優衣が近付いても怖くないくらい優しそうな魔族だった。
「それに人間の血が混じった魔族は、力が安定しないことが多い。それさえなければな」
「そう……」
ジェイドの言葉に違和感を覚える。
彼は、人間の血が混じった魔族と言った。些細なことかもしれないが、自分達の立場からすれば、魔族の血が混じった人間と言うのではないか。
(まるで魔族側のような……)
「優衣、今日はどうするつもりだ?」
考え込む優衣の様子に、ジェイドは気付いていなかった。そう尋ねられ、図書館に行きたいと告げる。
「この間借りた本も返したいし」
「わかった。準備をして待っていろ」
それだけ言うと、ジェイドの姿は消えた。
残された優衣はしばらく荒れ果てた中庭を見つめていたが、やがてそれを振り払うように首を振る。
(考えすぎよね、うん)
それから部屋に戻ると着替えをして、彼が来てくれるのを待つ。その間に、今まで借りていた魔族に関する本を開いてみる。
ふと思い出すのは、赤い髪をした人の良さそうな青年。
ルシェーは、どんな魔族の血を引いているのだろう。彼の金と朱が入り混じった不思議な瞳、そして炎のように赤い髪を思い浮かべながらページをめくる。
「これかな? えーと、火竜族?」
そこには、彼と同じような瞳と髪をした姿が描かれている。
力はかなり強いが、他の魔族と違って理由もなく人間を襲うことはないらしい。一部の国では信仰対象にさえなっているようだ。
(魔族ではなく、竜族として区別している国もあるのね)
混血とはいえ、ルシェーの力もかなり強かった。しかも性格も穏やかで、迷い込んだ優衣の心配をしてくれたくらいだ。
(それに比べて他の魔族は、気紛れで残忍。寄るな危険! だものね……)
しかも魔族は強いくせにわりと群れる。人間達の国のように、他の魔族を従えている魔族の王もいるらしい。
(いわゆる魔王さまってヤツ? 魔法に魔王とか、まさにファンタジーね)
ふと、優衣はまた考える。
どうしてあの館の中庭が、魔族の住処に続いていたのかを。
本を閉じたところで、ジェイドが迎えに来てくれた。そのまま魔法で、図書館に移動してもらう。
「昼には迎えに来る。二階から出るなよ」
「うん」
彼の忠告に、素直に頷いた。
さすがにもう、危険な目には遭いたくない。
(毎回言っている気がする。でもわたしのせいじゃない……よね?)
ジェイドの姿が消えると、気を取り直して借りてきた本を返却した。
そのままふらりと歩き回り、次の本を選ぶ。
「魔族に関する知識がないって言われちゃったし、勉強しないとね」
ここに来てから色んなことがあって、それに適応するだけで精一杯だった。だが、知らなければならないことは、思っていたよりもずっと多いようだ。
(よし、がんばるぞ!)
気合を入れ直して、本の背表紙を見つめる。
まず調べたいのは、魔族と人間とのハーフについて。
ルシェーに出逢ってから、少し気になっていた。力が不安定とはどういうことか。町には、ルシェーのように魔族の気配を持った人間はいなかったと思う。だとしたら彼らはどこに住んでいるのか。
だが、どれだけ探してもそれに関する本は見つけられなかった。
(一冊もないって、ちょっと不自然よね。うーん……)
「優衣?」
どうしたらいいか悩んでいると、ふと後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、見覚えのある女魔導師がこちらに向かって歩いてくる。
「あ、マルティさん」
最初の頃よりはだいぶ打ち解けた顔で、彼女は笑った。
ふたりの距離を近づけたのは、間違いなくあの女。
悪役のミルーティだ。
「昨日は災難だったわね。もう大丈夫?」
「うん。もう絶対にあの人には近寄らない」
ミルーティの顔を思い出しながら、力強くそう言う。
本当に、ジェイドが来てくれなかったら殺されていたのだ。
「その方がいいわ」
深く頷いたマルティは、優衣の手もとを覗き込む。
「何を探していたの?」
「あ、えーと」
聞いてもよいことなのか、少し悩む。だがきっと、マルティなら答えを知っているかもしれない。
「魔族と人間が恋愛するなら、子どもが産まれることもあるのかなぁ、って思って。それを調べてみたくて」
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