第3話
豪奢な金色の髪が陽光に煌めいている。
背はすらりと高く、色白ながらも男性らしい体つき。雄大な深い海を思わせる色の瞳は、強い光を宿して優衣を見つめていた。
まだ少女だった頃、好きだったお伽話の王子様のような姿だ。成長し、身近にいる異性を意識するまで、ずっと憧れていた理想像。
(でも私の理想の王子様は、こんなに性格が悪くなかったわ……)
自分の要求だけを述べ、こちらの要求には露骨に面倒そうな顔をする王子様に焦がれる少女などいない。
やはり美形は見ているだけが一番幸せなのかもしれない。
「それで? 何を聞きたい?」
仕方がないという態度は少し……。いや、かなり腹立たしかったが、この機会を逃したらもう教えてもらえないかもしれない。
深呼吸をして心を落ち着けると、優衣は尋ねた。
「第一世界とか何とか言っていたけど、ここはどこ?」
「……同じことを何度も言うのは無駄だと思うが、理解することができないようだから、もう一度言おう。ここはお前の住んでいた世界とは別次元にある世界だ。ティーヌ王国という。理解しなくてもいいから、そう覚えろ」
'(や、やな感じの言い方だわ)
顔を引きつらせながらも、優衣は感情を押し殺して言葉を続ける。無礼な相手にいちいち怒っていても仕方がないと、職場の先輩も言っていた。
「それで、わたしは……」
「お前に何をさせたいかというのも、さっき言った通りだ。魔族を誘惑して味方につけ、この国の守護者としての契約を結ばせることだ。それも、一刻も早く。ここ最近、ティーヌ王国では魔族の襲撃が続いている」
「魔族って、何ですか?」
「人を襲い、殺す存在だ」
「そんな……」
悪魔のような恐ろしい存在を、どうやって誘惑しろというのか。しかもそれをやらないと、もとの世界には戻してもらえないという。
(なんであのとき、手を伸ばしちゃったんだろう……)
どんなに嘆いても過去には戻れないとわかっているが、それでも頭を抱えずにはいられなかった。
「そう悲壮な顔をするな。何も、絶対に不可能なことをやれと言っているわけではない。魔族といっても人間と変わらない容姿の者もいるし、こちらに友好的な者もいる。人との恋愛も実際にあることだ」
「そ、そうなの?」
「ああ。この世界では各国に守護者というものがいる」
ジェイドはそう言うと、守護者について説明しだした。
「もともとは人間の女に恋をした魔族の男が、国ごと彼女を守ったのが始まりらしい。ティーヌ王国は、守護者によって魔族による被害が格段に減った。その後も長く栄えたことから、それに倣って今では各国に守護者が存在している」
そして近年では、守護者の強さによって国の優越までも決まると彼は言った。つまり他国より強い者に、長期の契約を結ばせた国が優位になるものらしい。
「この国では今までの守護者がいなくなってしまったから、何としても新しい守護者が必要だ」
「どうして、そんな役目をわたしに?」
たしかに守護者というものは、この国を守るために重要なもののようだ。
でもこの国どころか、この世界の出身でもない優衣には、あまり関わり合いのないことだ。薄情かもしれないが、どうしてそんなことをしなければならないのかと思ってしまう。
「魔族好みの容姿をしているからな。魔族は黒髪の女性を好む。だが、この国にはいない。だからといって他の国の人間を連れてきたら、国際問題になる。守護者が変わる時期に、他国と問題を起こすわけにはいかないからな」
つまり、この国に魔族好みの人間がいないから、他から連れてこようと思った。でも他国の人間を連れてきたりすれば、国際問題になる。だから異世界から連れてきた、という理由らしい。
「でもわたしには無理だわ。魔族を……、その、誘惑なんて」
言いたくはないが、女として生まれてから十九年、彼氏など一度もできたことがない。女子校育ちで出逢いがなかったのも事実だったが、それほど興味がなかった。彼氏などいなくても、人生は充分楽しめる。
(……負け惜しみっぽく聞こえるのが、ちょっとあれだけど)
「そうだな。無理に押し付けるわけにはいかないな」
初めて、彼は笑みを見せた。
だがそれはさわやかと呼ぶにはあまりにも胡散臭すぎて、思わず数歩後退って、距離を取る。
「快く協力してもらえないのなら、仕方がない。他を探すことにする」
だが彼は、思ってもみなかった言葉を口にした。
「え、じゃあわたしは帰らせてもらえるんですか?」
この国を守るために協力できないのは心苦しいが、きっと他にも適任者はいる。そんな思いでジェイドを見ると、彼は不思議そうに首を傾げる。
「いや?」
「えっ?」
「目的を果たしてくれたらと言ったはずだが」
結局、協力しなければ帰してくれるつもりはないらしい。
(な、なんて人なの……)
文句のひとつでも言いたくなるが、あまり強固に拒み続けたら、本当に置いて行かれてしまうかもしれない。ここは危険だと、彼も言っていた。
「でも今度は守護者を選んだから帰さない、なんて言わない?」
「大丈夫だ。守護者と契約さえ結んでしまえば、もう用はない」
(うわぁ……)
なんてひどい言い方だと憤りそうになるが、いてほしいと言われても困る。
「……わかったわ。できるかどうかわからないけど、努力だけはしてみる」
どうしたらいいか考えたが、そう答えるしかなかった。
ジェイドはそれを聞いて、満足そうに頷く。
「ならば説明は終わりだ。急ぐぞ。もうすぐ会議が始まる。急がないとその格好のまま大勢の前に出ることになるが、それでもいいのか?」
「え、これで?」
簡単な部屋着のままの姿を見下ろして、首を大きく横に振る。
あまりにも暑かったし、部屋でひとりきりだったので、太腿が剥き出しになってしまうような服装をしていた。
(こ、こんな丈の短い部屋着でいたなんて!)
事態を把握するのに精一杯で、自分がどんな格好をしているかまで頭が回らなかった。意識した途端、恥ずかしくてたまらなくなる。
「と、とにかく着替えをさせてください」
お願いします、と小声で呟いた。
どうして自分が頼まなくてはならないのかと思う。それでも悔しいことに、すべての決定権は彼にある。
そんな優衣の姿に、ジェイドは満足そうに頷いた。
「よし、ついてこい」
そう言ったジェイドが向かったのは町ではなく、森の中だった。
陽光が遮られるほど枝を伸ばした木々が周囲を丸く囲み、それらが互いに重なり合って天然のドームのような屋根ができている。
珍しくて、思わず立ち止まって周囲を見渡していると、そのたびにジェイドに急かされる。時間がないと言われたことを思い出して、慌てて彼のあとについていく。
次第に足下は、草を踏み固めた獣道のようなものから、固い煉瓦が敷き詰められた人の手が加わっている道に変わった。
(あ、家がある)
やがて家や畑が点在するようになっていく。
人の住んでいる場所に出たのだろう。
家はどれも一階建てで、小さめだ。隣に畑があるところが多かった。
のどかな風景だ。
だが、どの家にも窓と入り口付近には厳重な格子が設けられていた。
(森に近いから、獣対策でもしているのかな。それとも……)
もしかしたら、その魔族というものに襲われないようにするためだろうか。
そう考えた途端、背筋がぞくりとする。そんな様子の優衣に、ジェイドは静かに告げた。
「守護者は他国に対する牽制となるが、一番大切なのは、魔族からこの国を守ってくれることだ。自分より強い者が守護する国を、魔族が襲うことはないからな」
少し改まった口調に、彼の深い懸念を感じ取って俯く。
たしかに、この自然と調和した美しい村が破壊されてしまうのは、あまり見たい光景ではない。
話に聞いただけではなく、こうして生きるために工夫をしている様子を目の当たりにすると、これは夢ではなく現実なのだと自覚し始める。
そして、何かできることがあるのなら。
そんな思いが少しだけ胸に芽生え始めていた。
(もしかしたらこれも、彼の計算のうちかも知れないけどね……)
この性格の悪そうな人ならば、考えそうなことだ。
優衣は、深いため息をついた。
目的地は、村から少し離れた場所にあった。
周囲の建物と比べると場違いなくらい大きい家だ。西洋風の綺麗な建物で、家というよりは貴族の屋敷と言ったほうがいいかもしれない。
この屋敷は、周囲の平和そうな田園風景からは明らかに浮いた存在だった。
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