私を召喚した(無駄に美形な)イジワル魔導師が、いつのまにか最愛の人になりました。

櫻井みこと

プロローグ

第1話

 じんわりと汗が滲む。

「……暑い」

 首に掛けたタオルで汗を拭いながら、優衣は扇風機の前に座って思わずそうつぶやく。言葉にしても解決しないのはわかっているが、それでも言わずにいられない。

(今年の夏って、ちょっと暑すぎる……) 

 太陽はもう沈んでいるのに、昼間の熱気がまだ部屋の中にしっかりと残っていた。

 ひとり暮らしの狭いアパートの中では、古いデザインの扇風機が低い音を出しながら回っている。でもこの暑さでは、無駄に部屋の中の熱をかきまわしているだけだ。

(でも会社の中は涼しいのよね。この温度差がなかなかきついなぁ)

 社会人になってから、まだ半年。

 仕事を覚えるのが精一杯で、休みの日にも遊ぶ余裕などなかった。

 もう半年もすれば仕事にも慣れ、心にも体にも余裕ができる。先輩たちもそう言っていたし、それを信じて今日もなんとか一日の業務をこなしてきた。

「それにしても、暑いよ……」

 まとわりつく長い黒髪をひとつに結び、少し日焼けした手足を投げ出すようにして座り込んだ。

 扇風機の角度を変えようとした瞬間、部屋にある大きな鏡にだらしない姿が写る。それを見て、さすがに反省した。

 いくらひとり暮らしでも、年頃の女性としてこの格好はない。

 明日から気をつけようと心の中で思う。今日はとても暑いし気力もないから、明日からだ。

「窓、開けたら少しは風が入ってくるかなぁ」

 力なくそう言ってみるが、そうするつもりはなかった。網戸もないこの部屋では、窓を開けたりなんかしたら、たちまち虫が集まってくるに違いない。

(虫、ちょっと苦手なのよね)

 ひとり暮らしでは、苦手でも自分で対処するしかないのが悲しいところだ。結局暑さに耐えることを選び、扇風機の設定を強にしてみる。

 ごおおお、と軋んだような耳障りな音が響いた。しばらくそのまま風を浴びていたが、じわりと身体を包む不快感に耐えきれなくなり、立ち上がる。

「何か冷たいものでも飲もう……」

 仕事の帰りにコンビニで買ってきたペットボトルの緑茶が、冷蔵庫にあるはずだ。

 ふらふらと歩きながら、電気も点けずにキッチンへ向かう。

 実家から持ってきた小さめの冷蔵庫はかなり年季が入ってきて、扉を開くのに少し力を込めなければならない。

「よいしょっと」

 がちゃり、と大きめの音がして冷蔵庫が開く。ペットボトルを取りだそうとして手を伸ばした。

「あれ?」

 だが、目当てのものはその中にはなかった。

 お茶だけではない。明日の朝食用に買ってきたパンも、作りすぎて残してしまった夕飯のおかずも、何もない。慌てて立ち上がり電気を点けてみると、中身はすべて無く、あるべきはずの棚もない。

 ただ真っ黒な空間に、ぽつんと光が見える。

「え? 何これ?」

 きっと暑さで、思考能力がかなり落ちていたのだ。

 だからか、優衣にはその小さな光がとても魅力的なものに見えていた。触れずにはいられなくなって、無意識にその光に向かって手を伸ばす。

 もう少しであの光に手が届く。

 その思った瞬間。

小さな光がまるで蛇のように動いて腕に絡まり、強く引かれる。

「きゃあっ」

 それはあまりにも強い力だった。

 振り解くこともできずにそのまま引き摺られる。小さな冷蔵庫はブラックホールにでもなったかのように、優衣の身体をすべて飲み込んだ。

「!」

 どんなにもがいてもまるで釣り上げられた獲物のように、光は腕から離れない。

 足に引っかけていたスリッパだけを残して、その身体がすべて中に消えたあと、冷蔵庫はひとりでに閉じてそのまま沈黙した。

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