第51話 パイラが激情に駆られた
* * *
気がつけば俺が乗っている荷車は街道を進んでいた。狼の姿のファングが荷車を引き、その横で棒っ切れを降っているモモ。シャルは荷車の荷台でクロスボウを磨いていた。
「おはよう、なのです」
俺が起きたのに気づいたシャルが言った。太陽は既に空高くにあり旅行く俺たちを照らしていた。
「ところでシャル、俺たちは何処に向かってるんだ?」
「当面の向かう先はセカルドの街なのです」
「それはどのくらいかかる?」
「十日から二十日ぐらいだと思うのです」
「ずいぶんと幅があるな」
「それは途中の出来事次第なのですよ」
「モモの気分次第ってことか?」
「そこまでは言ってないのです」
人差し指を立てた右手を俺に突き出しながらシャルが言った。
『エコー、起きたわよ』
『ああ、感覚の共有を頼む』
『ええ』
「すまんシャル、これからパイラの方を見てくる」
「分かったのです」
シャルはクロスボウの手入れ作業に戻った。俺はパイラの感覚を共有して状況を覗き込むことにした。
『休めたか?』
『ええ、多少はね。ここは安全だったわね』
『もう少し休むか?』
『それよりも……』
「ねえシャー、あなたに聞きたいことが有るのよ」
「もちろんですわ」
「あなたクロスコン家って言ってたわよね」
「ええ」
シャーロットがクロスコン家の一員だと、シャーロットとパイラが閉じ込められていた牢で言ってたな。
「当主は誰?」
「エムレーダ=クロスコン、私のお父様ですわ」
「……。エムレーダの前の当主は誰?」
「フルアイス=クロスコン、私のお祖父様ですわよ」
「クロスコン家の領地はどこなの?」
矢継ぎ早に問うパイラ。
「エクリプスですわ。エクリプス侯爵領。五年前にお父様が拝領したばかりの新しい土地で、まだまだ発展途上ですわ」
パイラの様子に少し戸惑いながらも丁寧に答えるシャーロット。
「エクリプス領? クロスコン家と言えばアクティベス領を統治していたのではないの?」
「ええ、それはお祖父様の代の話ですわ。実は二十三年前にクロスコン家はエクリプス領をインディル国王から召し上げられましたの」
「召し上げられたって生易しいものではないわ! インディル国王はエクリプス領に派兵して領地を焼き払ったのよ!」
急に立ち上がり声を荒げるパイラ。
え? おい! なんで突然!?
「お、お姉様?」
俺と同じぐらい
「そしてフルアイス領主とその妻、その子供さえも殺したの。今のエムレーダ侯爵を除いてね!」
『お前まさか、以前に言ってた復讐ってのは……』
『そうよ! インディル国王及びその家族の抹殺よ!』
「お姉様、落ち着いて。お姉様は勘違いされていますわ」
シャーロットも立ち上がりパイラの両手をその両手で包むように握った。
「何が勘違いよ! インディルはクロスコン家が発展させたアクティベス領が欲しくなって武力で無理やり取り上げたのよ。禍根を残さないようにクロスコン家も抹殺して。シャーの話によるとエムレーダ兄さんだけは生き残った様だけど――」
少しずつ話す速度が落ちるパイラ。
「それに五年前にエクリプス領を拝受して……」
自分が口にしている事に何か気づいた様子のパイラは、その語気が次第に落ち着いてきた。
「……でも、どうして……」
「お姉様、座りませんか?」
「……」
シャーロットに促されるままゆっくりと座るパイラ。シャーロットも対座した。
「お姉様、フルアイスお祖父様は二十三年前ではなく一昨年に亡くなりましたの。それにエミュラッテお祖母様はご健在ですわ」
「え?」
「エムレーダお父様だけではなく、デイラム叔父様も、メリモアーナ叔母様も、マチルアーナ叔母様もご健在ですわ」
「そんな……」
「ただ、
シャーロットはそう言ってじっとパイラの目を見つめた。
何も言わず、俯くパイラ。
音を立てるものが何もない遺跡の中、小さな炎を上げている松明が小さな音を立て
「私が生まれる前、今から二十三年前に確かにフルアイス=クロスコンはアクティベス領をインディル国王に召し上げられたのですわ。それはフルアイスお祖父様の統治が、いいえ、当時の執務長がしでかした多額の横領と敵対国への情報漏えいを見抜けなかった事に拠るのです。治世も執務長に頼りっきりだったのでしょうね、その頃の領内の経済や治安も目も当てられない程になっていたそうですわ。このことは私、お祖父様から直接聞きましたのよ?」
指が交互に重なるように組み合わせた自分の手をじっと見て、何も話さないパイラにゆっくりと話すシャーロット。
「ですから、フルアイスお祖父様は責任を取ってアクティベス領を手放さざるを得ませんでしたわ。クロスコン家は王都の片隅に小さな屋敷と僅かな荘園を得て、そこでひっそりと暮らしたのです。他に頼れる爵位持ちの親族は居ませんでしたからね。そして当の執務長は、アクティベス領を召し上げられる時に姿を眩ませてしまったと聞いてますわ。パイルーナ叔母様もその頃に……。ねぇパイラお姉様?」
パイラの組み合わせた手にそっと自分の手を重ねてくるシャーロット。
「もしかしたらお姉様の本名は、パイルーナ=クロスコンでは無くて?」
パイラの両手にシャーロットの手が被さっている様子が映っている視野が突然ぼやけた。
ぼやけた視野が一瞬戻ると同時に、水滴が数粒シャーロットの手に滴る。それが何度も繰り返された。
シャーロットはパイラの涙が自分の手に落ちてくるままに任せていた。
「やはり。そうなのですね」
「パイルーナは二十三年前に死んだわ。私はその抜け殻……。今まで復讐だけを糧に生きてきたけど……、でも今はただただ喜びが溢れているの……」
小さくうずくまるパイラをシャーロットは優しく抱きかかえた。暫くの間、叔母と姪の二人が鼻をすする音だけが聞こえていた。
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