鳥に転生?! ~陽の当たらないシステムエンジニアの異世界冒険~

乾燥バガス

第1話 鳥に転生した

「先輩も今日は帰った方が良いんじゃないですか? 昨日は帰ってないんですよね? ではお先っす」

「うん、お疲れ様」


 僕は、修正している設計書が映っているディスプレイから目を離さずに、後輩の鈴木君に言った。


 窓の外は真っ暗で何も見えず、外より明るいオフィスの様子が反転して映っていた。並んだ机の一つにぽつんと一人、猫背気味の冴えない男がディスプレイに向かって居る。城島瑛航きじまえいこう、つまり僕のことだ。


 情報工学系の大学を出て某メーカーのシステム部門に入って十数年が過ぎた。入社以来これといったプライベートでのイベントはない。つまりはずっと独り身という訳だ。会社のイベントは沢山あった。数々のデスマーチプロジェクト、幾度かのグループ会社を巻き込んだリストラ、同期の出世、不況による賞与のカット、福利厚生制度の劣化、などなど。


 現状から抜け出そうという気力はもちろん、うの昔に無くしてしまっている。どうせ頑張っても変わることなんて無い。与えられた環境の中で精一杯生きるだけだ。


「さてと」


 鈴木君が作成した設計書の修正に集中していた僕は、その作業から意識を引っ剥がした。彼に指示して修正させるより、自分で修正した方が早い。


 大量の栄養ドリンクとブラックコーヒーを摂取したせいでキリキリと痛む胃と目薬の差し過ぎでカサカサになった目蓋の端が気になった。さらに腰痛と肩こりも気になり始めた。


「そろそろ帰ろうかな」


 椅子から立ち上がり両手を真上に突き上げ大きな伸びをする。目の前に広がるオフィスの光景に突然白い光の粒が大量に現れ、視野全体がぶわっと暗転した。


 あ! これは貧血の――


  *  *  *


 気づくと畳の上に寝転がっていた。目の前には木製の台の足が見える。その向こうには座布団に正座している脚が見えた。


 貧血で気を失っていた僕を誰かが運んでくれたのだろうか……。


 のっそりと体を起こすと、その場所の異様な様子が広がっていた。


 そこは雲の上に浮かぶ四畳半の上だった。壁は無い。その狭い畳エリアの中央にはちゃぶ台が置かれている。ちゃぶ台の上には縁が赤く全体が丸いお盆に乗った茶色い急須と茶筒、二つの湯呑があった。そして、その和風の空間にまったく似合わない人物がちゃぶ台の向こうに座っていた。


 長く艷やかな青髪、異様に大きな青い瞳、デコルテが露わになっている青を基調としたイブニングドレスを身に付けているその女性は、満面の笑みを浮かべている。


「あら、気づきましたか。私は女神です。あなたは今日、転生することになりました」

「て、てんせい?」

「ええ。あなたは過労死したんですって」


 お悔やみの表情を微塵も現さず、笑顔のままの女神が言う。


「かろう?」

「あなたには目を付けてたんですよ、城島瑛航きじまえいこうさん。

 三十七歳、ソフトウェアエンジニア、独身、童貞、趣味読書、貯金残高二千五十七万百五十九円。優秀なんですが他人を巻き込むことが苦手で自分で解決してしまうタイプ。人間付き合いが不得手なんですね。初恋の相手は小学三年生の頃の同級生の副島楓そえじまかえで。その子のリコーダを舐めたいと思ったけど実行せず、代わりにその子の席に座って机に頬ずりしてましたね。自宅のパソコンの中には――」

「や、止めて!」


 しっかり目がめてしまった僕は、聞くに絶えられなくなりそうな女神の言葉を遮った。


「あ、あなたが神様っぽいってのは分かりましたから……」

「それはよかったです」


 これは一体どういう状況なんだろう?


 次の言葉が見つからないまま僕がだまっていると、


「実は人の死には二種類あるのです。一つは本当の死。もう一つはもう一度人生をやり直す仮の死です。今回あなたが該当するのは後者の死です。つまり転生です」

「転生?」

「そうです。前世の記憶をきれいに消して次の人生をやり直すのです。ただ今回は、同一世界ではなく別世界に転生してもらいます」

「もしかして、俗に言う異世界転生ですか?」

「そうです」

「じゃ、じゃあ、次の世界は所謂いわゆるファンタジー系の世界なんですか?」

「なぜ異世界転生かとは尋ねられないのですね。あ、少々お待ち下さい」


 そう言うと女神は人差し指を顎にあて、斜め上を見て何か考え事を始めた。


 しばらくの後、


「お待たせしました。えっと……、あなたからの質問の答えは、剣と魔法の世界ですよ、と答えることができます」

「なるほど。じゃあ、何か『特別な力』みたいなものはあるんですか?」

「随分と食いついてきますね。もちろんありますよ。そう作られましたから」

「あの……、何人なんぴとにも負けない剣技を授けてもらうことはできますか?」

「どんな人にも負けない剣技を保有している、と言うことですね?」

「ええ」

「ちなみにあちらの世界の魔法は、今のあなたの仕事と親和性が高いのですけれど、魔法の方の能力はどうですか?」

「そっち方面はちょっとお腹いっぱいなので……。それに記憶を消されるなら今持ってる知識も無駄になるでしょ?」

「それはそうですね。さて、転生後の各種パラメータはランダムに割り振るのですけれど――、あ、少々お待ちを……」


 話の途中で女神は人差し指を顎にあて、また何か考え事を始めた様だ。


 しばらくの後、


「お待たせしました。えっと……、『剣聖』の能力が望みに合いそうですね。あ、それから今回は能力を『剣聖』に固定するということで良いですね?」

「ええ、お願いします」

「ただし念の為確認しておきますけど、ランダムに割り振る対象と言うのは――」


 話の途中で女神は人差し指を顎にあて、また何か考え事を始めた。


 忙しいのかな?


 しばらくの後、


「お待たせしました。……それでは浄化を始めます」


 そう言うと僕に寄ってきた女神は、右手を僕の額にあてた。そして僕の記憶の一番深いところ、つまり生まれた瞬間からの記憶が次々と呼び起こされ、そして消されていった。幼少の頃近所の年下の子と喧嘩して負けた記憶、小学一年生の初日の登校時に上級生からなぶられた記憶、などなど。そして中学生の頃の記憶が呼び起こされ――


「――少々お待ち下さい」


 浄化の途中で女神は人差し指を顎にあて、また何か考え事を始めた様だ。


 しばらく経っても戻ってこない……。


 さっきより待たせる時間が長いな。なんでパラレル処理ぐらいできないんだ? それだけ女神役が多忙だということか?


「お待たせしました。もう浄化は終わりましたから次行程に移りましょう」


 え? まだ途中――




 ――気づくとそこは真っ暗な闇だった。縮こまった姿勢の俺が感じられるのは、周囲から伝わってくる母親の愛とも言えるとても暖かい体温だけだった。俺は記憶と自我を残したまま転生していることに気づいた。体を動かすこともできず、すべきことも無いので過去の記憶をさらってみると、中学生より前の記憶が全くなくなってしまっていた。そして一番古い記憶は中学二年生のときの記憶だった。


   *   *   *


 そしてその時が来ることを俺は本能で感じ取った。剣聖爆誕の瞬間だ! 俺は母親の力を借り、十分に成長するまで俺を包み守ってくれていたその殻を破りこの世に這い出した。


 すぐに視界は広がらなかったが、次第に世の中の様子が見えてきた。俺を見る暖かい目がまず見えた。そしてその顔の全容が明らかになってきた。


 母さん! って鳥!?


 それは鳥類の頭部だった。母親は不死鳥フェニックスでもなく、怪鳥ロックでもなく、妖鳥ハーピィでもなく、獅子鷲グリフォンでもない、ただの鳥だった。


 俺が呆然として動きを止めていると、母鳥は俺の周りの殻を優しく砕きながら剥がしてくれた。そして俺は途方にくれた。


 と、鳥に転生!?

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