049 讃美歌を歌う

 月のない星空を背景に、無音の翼を閃かせる。

 はるか下の地上では、山下通りの車列が赤と白の二重線を形作っている。

 その中に、「あの」生徒が乗っている車がある。


 新米教師、ウーヴェ・シュナイダーため息をついた。


 *    *    *


 入学式。

 講堂の隅で他の教師と一緒に立ちながら、ウーヴェはぼんやりと生徒たちを見つめていた。


――――あれは、間違いなくウチの制服だった。


 昨日の晩、山手の崖、放り出された黒い影。

 それが白く輝く光に抱えられ視界の外に消えていった。

 視界をほんの一瞬だけ掠めた黒い影。

 だが、ウーヴェにとってはそれで充分だった。


 全校生徒の顔と素性は全て記憶ずみ。その誰にも該当しない。

 


 気が重い。

 本来、祭礼において、コウモリの素性は決して詮索してはならないというルールがある。あくまで祭礼の時間内に捕獲する。それが絶対条件だ。


 式典は進み、讃美歌となった。ピアノの前奏が終わり、口を開く。

 ウーヴェはこの歌が苦手だった。子供の頃から何かにつけて歌わせられた歌。

 高貴な調べ、古い翼人の言語ことばあやなされた歌詞。

 美しい、とは思う。

 だが、何か心に引っかかる物がある。それは、ほんの一握りの翼人しか知らない事実にあった。


 歌は、翼を持つものなら誰だって知っている。

 歌詞の意味は、少し勉強すれば誰だって理解できる。


『人を待つ、ずっと待つ』たったそれだけの内容の歌だ。


 だれも知らないのは、これがだと言う事だ。


 二小節ほど過ぎた頃だった。生徒の一部が騒然となった。

 編入生が並んでいるあたり、一人の生徒が倒れたのだという。


 だが、ウーヴェにとってはそれで充分だった。


 気が重い。

 式典が終わると、ウーヴェは職員室で保健室からの連絡を待った。

 自分から動いたのでは、証拠が残るかもしれない。万が一を考えての事だ。

 連絡は、程なく入った。


 月澄佳穂――――自分のクラスの生徒だ。


 職員室の端末に特別コードを入力し、情報を繰る。

 素性はあっさりと知れた。

 だが、詳しいことは何もわからなかった。

 いや、わかったのだが、まるで『普通』だったのだ。

 血筋も、来歴も、まるで普通。ただの人間。翼人でもケモノでもない。

 たった一つ、わかった事がある。

 自宅の場所。

 検索した結果、あるニュースが引っかかった。昨日の夜のガス爆発。

 彼女は現在、家に帰れないのだと。

――――まずは会って確かめねばならない。

 ウーヴェはオリエンテーションのために教室へと向かった。


 *    *    *


 山手の崖の上を飛び越える。


 “上”に報告すべきか――――。

 ウーヴェは迷っていた。

 “上”から彼に下された命は、三つあった。

「誰にも知られないように、コウモリの素性を調べよ」

 のっけからルール違反スレスレだ。

 確かに、ウーヴェの参加は8日目からだ。それまでは、祭礼のルールには縛られない――――言ってみれば、これはルールの穴だ。

 だが、しかし。なぜ自分にこんな命令がくだったのか理解に苦しむ。

 ウーヴェが、筋の通らぬことを苦手としているのは“上”もよく知っているはずだ。

 そして、二つ目と三つ目。

 これはさらにウーヴェにとって不可解なものと不愉快なものであった。


――――保留だ。

 不本意とはいえ、任務は遂行しなければならない。

 それが翼人の為になるというのなら。

 だが、翼人であると同時に、今のウーヴェは教師でもある。


 ただの生徒がなぜ、蔑如べつじょすべきコウモリに成り果てたのか、知ってからでも任務に支障はないはずだ。

 それがウーヴェにとっての筋の通し方だ。


 ウーヴェは月のない夜空を見上げ、羽撃きを強めた。

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