048 電話で話す

 一人取り残された佳穂の耳にエンジン音が聞こえてきた。

 一隻のモーターボートが沖から近づいてくるのが見える。それは、氷川丸のすぐ横までくると停泊した。

 目を凝らすと、その近くに誰かが仰向けに浮かんでいる。


「クソーッ! 負けたーっ!」


 焔の緋色が煌めいた。

 どうやら、生きていたらしい。佳穂はそそくさと岸壁を離れた。


 便利屋はバラ園の花壇のへりに腰を掛けて待っていた。

「よお」

 なぜか疲れた顔をしている。

「まあ、辛勝ってとこか。ご苦労さん」

「……勝ちたくて勝ったわけじゃないです。終わらせたかっただけです」

「はあ、そうかよ。

 ところで最後に出てきた、あの外人のトリなんだ?」

 最後――――シュナイダー先生のことだ。

「学校の先生です。担任の。で、追撃者チェイサー

「はあ?!

 まったお前、なんでこんな面倒ごとばかりなんだ?

 お前の事、知ってるやつばっかじゃないか? やる気あんのか?」

「…………」

 そんな事を言われても、好んで佳穂が選んだわけでもない。どうしてこうなったのか知りたいのはこちらだ。

「いや、なんかおかしいぞ!

 あまりにも偶然が重なりすぎている。仕組まれている気がする。

 そうか、お前も仕込みか? コウモリ女! オレをどうにかしたいんだな!?」

 んなわけはない。どう考えてもターゲットは便利屋じゃなく、佳穂自身だ。

 とにかく周辺に色々なことが起こりすぎだ。どうして自分なのか?

「誰か、聞ける人がいれば……」

「……だな」

 二人は考えこんだ。

「「あ! 電話だ」」

 二人は顔を見合わせ、そして便利屋はポケットからスマホを取り出した。


『はいはいお疲れさまー、今日もよくがんばったね。お姉ちゃん』

 スピーカーから脳天気な声がする。コルボの少年だ。

「おい、ちょっと。いいか?」

『はーい。なんでしょう?』

「この仕事、割に合わねー! 賃金上げろ!」

 いや、そっちか!?

『まーた、ハハハ。

 今日もご苦労さんだったねー、便利屋のお兄ちゃん!

 大活躍じゃないかー! ができるんだね、全然知らなかったよ。今度詳しく教えてよ!』

「う、うるせー!」

『じゃあねー。用事がなかったら切るよー』

「いや、いや、ふざけんなちょっと待て!」

『切るよー』

「わかった、わかった、わかったから! 質問させてくれ。

 まず一つ。こいつら、なんで誰もビビってないんだ?

 コソコソ隠れなくてもいいのはありがてえが、ここは山下公園だ。こんだけ人がいるのに誰も驚いていない。いくらなんでもおかしすぎるだろ」


 言われて初めて気がついた。陽が落ちてから1時間と少しだ、観光地でもある山下公園には、まだたくさんの人がいた。にも関わらず佳穂と便利屋の近くには誰も近寄ってはこない。もちろん佳穂は変身したままだ。誰も気がついていないなんてあり得ないはずだ。


『それはね、今日渡した指輪の付加機能だよ。お姉ちゃんの素性は守りたいからね。付けている人を中心に、タダの人間は無意識に避けるようになるし、万が一見えていても覚えることができなくなる。指輪の結界に入ってこられるのは、クオリア使いか、指輪の使用者が認識した人だけだよ』


「――――そうか、安心した。余計な心配をしなくてすむ」


 人払いの機能――――。

 いいものをもらった、と佳穂が思ったのは内緒だ。


「つ、次は私から……。

 犬上くん、私が誰だかわからなかった。あれはどうして?」


 あんなに近くで顔を見られたりしたのに、だ。


『それはお姉ちゃんが今、コウモリに変身しているからだよ。

 変身中は、匂いや声が元のお姉ちゃんのからほんの少しだけ変わるからね。鈍いタダの人間なら違いは分からないけど、鋭敏なクオリア使いなら全然別物に感じてしまう。あのオオカミはとても鼻が効くみたいだから、それだけで騙されちゃうってわけ』

「ふん、クオリア使いだからこそ騙される、撹乱ステルス機能ってわけか」

『そだよー!』

 と、いうことは……。佳穂は、前髪を留めていたヘアクリップを外した。

「これのおかげでもなかったんですよね」

「うるせ! 金は払えよ!」

 便利屋は切り捨てた。


 しかし、では、なぜシュナイダー先生には見抜かれたのか?

 新たな疑問が湧く。

 いや、それよりも。今、一番知りたいのは――――。

「いったい、なぜ私なんですか!?」

『……ヒミツ、かな。、教えられない』

 今までに聞いたことがないような、抑えた少年の声がスピーカーから聞こえてきた。

にでも聞いてごらんよ。

 さ、今日の質問の受付は、これまで!

 そろそろ指輪の効果無くなるよー! 変身解かなきゃ、お姉ちゃん!』


 はぐらかされた!?

 しかし、時間切れには敵わない。諦めるしかなさそうだ。

 佳穂は、変身を解こうと目を瞑った。

 真鍮色の音と光が佳穂を包む。


『あ、そうだ。便利屋のお兄ちゃん! カメラ構えてー!』

「ん?」

『はい、チーズ!』

 シャッター音がした。

「な、な、な、なにを撮ったんですか!?」

 制服を着た普通の高校生に戻った佳穂が、便利屋に詰め寄った。

 便利屋が、鼻で笑いながら画面をこちらに向ける。

「なななななな、なんですか! これ!?」

 画面には、変身が解けた自分の姿が写っていた。

 だが――――衣装は、パンクロッカーのままだった。

『衣装が戻る前に、少しタイムラグがあるんだってさー。

 それ、毎日撮っておばあちゃんに送るといいよー』

「お、送れないよー! こんなの!?」

 叫んだ瞬間、プツリ。通話が切れた。

 便利屋が、笑いを堪えている。

「い、犬上くんの家まで送ってください」

 佳穂は便利屋ドライバーに命令した。



 ベンツの後部座席から港の景色をぼんやり眺める。赤い点滅が滲んで霞む。


 佳穂=コウモリ。気付かないのはステルス機能のせい――――。

 少年から聞いて、佳穂は少しだけホッとしていた。

 自分がコウモリだなんて、知られたいわけないのに。


「なあ、やっぱやめないか? オオカミだっけ? あいつの家に行くの。

 どう考えても危険だろ」

 追うものと追われるもの。それが同じ場所で生活する。

 まるで茶番だ。

 普通に考えたら問題があるに決まっている。


 佳穂は首を横に振った。

『写真の母』の件は便利屋には伝えていない。言う必要もない。

 寝ぼけたことを言っていると思われるだけだろうから。 


 バックミラーを覗き込みながら、便利屋は眉間に皺を寄せた。

「お前……」

 ベイブリッジを渡り終え、大黒埠頭が旋回する。

「今、なにか言いましたか?」

「いや、なんでもねえよ。

 真面目に逃げてくれりゃ、それでいい……」

 便利屋は前を向いて運転手に徹した。

 右手には火力発電所の煙突が並んでいる。

「明日はこっから始めるか……」

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