042 目を瞑る
船溜まりを見つめながら佳穂はまたしてもため息をついた。
コルボの少年から渡された懐中時計を確認する。残りはあと十数分。
いつ、追手が現れてもおかしくない状況。ぼんやりしている暇など無いはずだ。
だが、張り詰めていた気持ちは、先程の衝撃が全て持って行ってしまっていた。
(なんで、犬上くんが……)
草の緑の輝きを纏い、駆け抜けて来た姿。佳穂に向けていたその背中。
頭の上には犬のような耳。お尻にはシッポもあった。可愛いと思えなくもない。ちょっと、笑えてしまう。
それに、耳とシッポだけではない。昼間、目にした犬上とは服装も違う。
なんというか──そう、あの犬上のお姉さんの部屋で見た服にどことなく似ているような気がする。
――――つまり。
奇しくも佳穂の今のコーディネートに似ているということだ。
「…………………………」
佳穂は噴火した。これではまるで
(ダメだ。今はそれを考えるのはよそう。先に進めなくなる)
佳穂は頭を振って、灼熱する顔を冷却した。
それにしても、未だに信じられない。こんな形で、同級生の秘密を知ってしまうとは思いもよらなかった。
まさか、
先ほどの鳥の少年の言葉を思い出す。
『普通の人間のクオリアは、薄れちゃってて使い物にならないよ!』
もし、その言葉が本当なら、犬上は特別な血筋の人間だということだ。
よく見知った同級生が自分と同じような変身能力を持っていた。
――――自分は一人じゃないかもしれない。
佳穂は少しだけ安心しかけた。
だがしかし。
佳穂は、少年が続けて言った言葉を思い出した。
『コウモリのクオリアは特別製――――』
佳穂はため息をついた。
『祭礼に興味はない』
犬上は言っていた。
しかし、コウモリを捕まえるのが、本来の祭礼の姿。
事情がどうであれ、『追う者』『追われる者』の関係は変わりはしない。
いや、そもそも、犬上はコウモリの正体が佳穂であることを知っているのだろうか?
空中でのニアミス。
一瞬の出来事とはいえ、しっかり眼と眼が合ったのは否定出来ない。
「────────」
思い出して佳穂は赤面した。
前髪の無い顔を─────見られてしまった。
感じるのは背徳感。
どうしてこんな気分になるのか、自分自身にもわからない。
気持ちを掻き消すように、首を振る。
『逃げろ! コウモリ!』
犬上は佳穂はそう言ってた。佳穂ではなく、コウモリ、と。
知られてはいない。そう思いたい。
そして、その言葉通り、佳穂は逃げて来た。
背後に感じたのは、
犬上は今、無事なのだろうか。佳穂は、茂みから船溜まりを見やった。
その時、見える音が輝いた。
近づいてくるのは、見知った感覚。佳穂は茂みから顔を出し、その影に声をかけた。
「便利屋さん……」
「うわわっ!?」
途端に、雨粒の水色が煌めいた。
「暗いトコからいきなり声をかけんなよ! おい、とか、あのうとか言いようがあるだろ!?」
「ご、ごめんなさい……」
「ったく! 無事だったのかよ。ガッカリだな」
「……余計なお世話です。
でも、不思議です。あの人達、探知機を持っていたんじゃないんですか?」
車に飛び乗ったとはいえ、その後、走った距離はほんの僅かだ。
昨日や今日のゲーム開始直後の事を考えると、5分もあれば追手が現れるのに十分なはずだ。
「さあな。多分、故障でもしたんだろ。捕まってしまってりゃ、オレも諦めが付いたのに、運の良いヤツだ」
「運が良くて悪かったですね。
それより、ありましたか? 顔を隠すもの。無いとまともに逃げられません」
「ケッ! 要求だけはするんだな。丁度いいのがあったから、ちょっと目を閉じてろ」
「え、え!? どうするんですか!?」
「つけてやるんだよ! いいから目、瞑りやがれ! 大声出すぞ!」
「…………」
それは普通、逆じゃないかと佳穂は思った。
そもそも、便利屋には昨日の前科がある。
いきなり掴まれた感触が、まだコウモリの耳に残っているような気がする。
だが、そうだとしても犬上に正体を知られてしまうのは願い下げだ。
追いかけっこはまだ終わってはいない。だから、すぐにでも顔を隠して安心したいのだ。選択肢はない。
「本当に大丈夫ですか?」
「さあな。大丈夫だろ」
「…………」
聞いても無駄のようだ。佳穂は仕方がなく目を瞑った
「じっとしてろよ」
「…………」
額の辺りに便利屋の手が触れる。
昨日出会ったばかりの男に2回も頭を触られている──。あり得なさに、顔が火照る。
「は、早くしてください!」
「動くなよ! 歪んじまうじゃないか! って、意外に難しいな、コレ」
本当に何をやっているのだろう。近すぎて見える音もぼんやりだ、かえって想像が掻き乱される。
「よし、これでいいだろ。目、開けてみろ」
言葉と共に便利屋の手が離れていく。
「…………」
佳穂は、恐る恐る目を開けた。
(なんかいつもより、視界がはっきりしているような……)
目の前には、くっきり見える便利屋の顔があった。
(この人、こんな顔をしているんだ……)
佳穂はそう思いながら、その理由を考えた。
「!?」
答えに思い至った佳穂はパニックになった。
佳穂の前髪――暖簾のように瞳を隠していた髪が、あろうことか左右にすっきりまとめられてしまっている。前髪を分けているのはヘアクリップだ。
「ななな、何ですかこれ!?」
「何って、シルバーだ。白いのは……なんかわかんねぇが花だ」
「そんなこと聞いてません! こんなのありえません! なんて事、するんですか!?」
恥ずかしすぎて、自分でも何を言っているのかわからない。
「バレなきゃいいんだろ!? その鬱陶しい前髪、無いだけで全然違うじゃねえか」
「あるとか無いとかの問題じゃないんですよ! ヘンでしょ? おかしいでしょ? だから、恥ずかしんです!」
ずっとこの恥ずかしさに悩まされてきた。
誰にも触らせないできたし、自分ではもちろんどうすることもできなかった。
なのに。
それを、いとも簡単に破られてしまった―――。
昨日、出会ったばかりの人間に。
考えれば考える程、顔が熱くなって来る。やり場のない憤りで、思わず便利屋を睨みつけてしまう。
「……そ、そうか?」
便利屋は視線を外すかのように宙を仰いだ。
――――やっぱりだ。
便利屋の態度からして、自分には、なにかヘンな所があるに決まっている。
「……ま、いいんじゃねえのオレは、よく知らねえが」
何がどういいのかさっぱりわからない。いなされてしまったようで、余計に腹立たしい。
信じてしまった自分を呪いたい。
「……は、外しますよ!」
佳穂は、自分の前髪を分けているヘアクリップに手をかけた。
「外すのは勝手だが、代金の請求はさせてもらうぞ」
「え? なんの代金ですか?」
「それだ、それ! ヘアクリップ! 2つで、1万な」
「代金とるんですか!? 使わないのに!?」
「たりめーだろ! オレは、お前さんの要求通り、正体を隠すものを買ってきた。使う使わないは関係無い」
「私がお願いしたのは、顔を隠すものです! 晒すものじゃありません!」
「正体隠すって目的が達成できりゃ、どっちだっていいだろ!」
「これじゃあ、速攻でバレてしまうに決まってます!」
「ほう。そうかい…………。んじゃ、試してみるんだな!」
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