035 海面を翔ぶ

「早くないですか!?」

「知らねーよ!  なんか、探知機でも使ってんだろ!

 一往復ぐらいは練習できるだろうと思ってたが、しゃーねーな!」

「コスプレをいじられなければ、練習できたんじゃ!?」

「ウルセー!  済んじまったことより、目の前の事だろ! ぶっつけ本番、さっさと飛んでけ!」

 無茶苦茶を言う。 しかし、選択肢はない。

 陸側からは車のエンジン音が響いて来た。

 昨日のバギーだ。

「飛びますよ!」

「ああ! 飛べよ!」

「飛びます!」

「飛んでねえよ!」

 バギーはすぐそこまで来ている。 しかし、次の一歩が踏み出せない。

 目の前には黒い海面が無表情で広がっている。

 横目でバギーをちらりと見る。もう形がはっきりわかる距離だ。 しかも、積まれている筒状のものがこっちを向いている。

 絶対、物干し竿ではないだろう。

「いいから! 早く飛べ!」

「ひゃあ!」

 佳穂は思わず叫び声を上げた。

 いきなり、便利屋に両脇を掴まれたからだ。 そのままトスされ、佳穂は空中に放り出される。

「ひぃやあああっ!」

 放り出された事より、脇の下をつかまれた事のほうがショックだ。

 だが、ダメージを受けているヒマはない。

 足の下は海なのだ。

 脇をつかまれ、バンザイ状態だった両手を振り下ろす。

 とたんに、体がフワリと持ち上がる。


 次のストローク。

 腕を上げた瞬間、体がガクンと落下する。

(ぅああっ──!)

 恐怖だ。

 足元が地面じゃないという事がこんなに恐ろしいとは思わなかった。

 無我夢中で羽撃く。

 だが、上下するだけで前に進んだ感じが全然しない。

──空中でもがいている。

 傍から見ればそう見えるだろう。

 バシュッ!

 突然、背後で音がした。 バギーが積んでた物干し竿だ。

──何かがこっちに向かって飛んでくる!?

「ひゃああ!」

 恐怖が体を突き動かす。

 体を大きく前に傾けて、翼を力強く振り下ろす。

 前へ。

 さらに前へ。

 撃ちだされた何かは、間一髪、佳穂を掠めて逸れて行った。

(蜘蛛の巣?)

 いや、網だ。

 大きな網を撃ち出す銃のようだ。 絡まればひとたまりも無いだろう。

 ガントリークレーンのランプが視界に入る。 後戻りは出来ない。

 はるか先のゴールを目指して前に進むのみだ。


 バギーは佳穂の飛び立った突堤縁で停車した。

「くそっ!」

 バギーに乗った男がハンドルを叩く。

「はーずーれー」

 佳穂を見送った、便利屋が呟いた。

「なんだと!?」

「何でもねえよ」

「お前──昨日のベンツの!」

「知らねえな。オレは部外者だからな。

 ところで……、もう一人はどこだ?」

「知るかよ!」

 怒りを抑える様に吐き捨てると、バギーの男は急ハンドルを切って元来た方に走り出した。

「……マズいな。こりゃ……」

 便利屋はため息をつき、歩きだした。


「はあ! はあ! はあ! はあ!」

 前には進むようになった。 嘘みたいに思えるが、飛べている。

 いや、飛んでいる。自分の意思で、だ。

 ウォオオオオオオン。

 けたたましい音を立ててジェットスキーが背後から迫ってきた。

「ええっ!? もう、来たの!?」

 炎の緋色がきらめいている。 間違いない、昨日のバイクの女だ。

 女は佳穂の斜め下に付けると、左手に何かを取り出した。

 パスッ!

 砲撃だ。

 先程の『蜘蛛の巣』とは違う衝撃。

(───!?)

 恐怖に怯んで羽撃きが止まる。 途端に海面が迫ってくる。

「ひゃあっ!」

 慌てて羽撃きを再開する。 羽撃く度に翼の先が、水を打つ。

 怖い、怖すぎる。

(落ちる! 落ちる! 落ちる!)

 だが、意外にも落ちそうなのに落ちてしまわない。 むしろ、翼のストローク一回ごとにしっかりと体が押し上げられる。 海面スレスレ。 まるで、クッションの上を跳ね跳んでいるようだ。

 しかも、急降下したのが幸いした。 女の放った衝撃は佳穂の頭の上を掠め、遠くの方で落水した。


 その先、ガントリークレーンの威容が目に入る。

 対岸まで、あと数十メートルほど。

 しかし──

「いっちょ前に飛ぶんじゃねえよ!」

 炎の緋色が燃え盛る。

 女はジェットスキーを蛇行させつつ、弾をぶっ放した。

 

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