第32話 波乱の社交界デビュー4
無事に一曲目の演奏が終わると、エオノラは涼しい風に当たろうと提案する。
彼は「構いませんよ」と言って了承してくれた。
外にある庭園に出ると休む人はエオノラと彼以外にいなかった。まだ舞踏会は始まったばかり。序盤で休憩を挟むなんて普通なら勿体ないのだ。
庭園に到着したエオノラは仮面を取ってにっこりと微笑んだ。
「ダンスの相手をしてくださってありがとうございます。お陰で無事に終えることができました」
「お礼を言われるほどじゃない。久しぶりに踊りたくなって側にいたのが丁度あなただっただけ」
「いいえ、私はとても感謝しています。だって、あなたがいなければ私はまた恥をかくところでした。なので、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「名乗るような者じゃない。お互いに利があった。ただ、それだけのこと」
「ですが……」
エオノラが食い下がろうとすると、唇に青年の人差し指が当たり、続きを遮られる。
「折角の仮面舞踏会という魔法が解けてしまう」
「……私はあなたに素性がバレています」
不満だという態度を取ると、青年は肩を竦めた。
「仮面舞踏会の前に第二王子と一緒にいたら誰だって注目する。公平じゃないと言われても仕方がないことだ。――ここでは名乗れないが、私はあなたの身近にいる」
最後は囁き声ではあったが、その意味深な発言にエオノラの身体がびくりと揺れた。
(やっぱり……あなたはクリス様? だけど、瞳の色が違うのはどうして?)
戸惑っていると、背後から突然声を掛けられる。
「エオノラ!!」
女性の声だったのでシュリアかと思って振り返る。と、たちまちエオノラの表情は凍り付いた。
声を掛けた相手はアリアで、愛らしいフリルがたくさん付いた桃色のドレスに身を包み、胸元にはペリドットのブローチが輝いている。編み込んで結い上げられた髪にはエオノラと同じデビュタントを表すラペットが付いていた。
「こ、こんばんは、アリア。あなたも今日の舞踏会には来ていたのね」
「ええそうなの。まさか社交界デビューがエオノラと同じ日になるなんて。私、とっても嬉しい!」
「そう。社交界デビューおめでとうアリア」
「エオノラもおめでとう。今日のドレス、大人びていて素敵だわ。私もそういう服装にすれば良かったあ。なかなか髪型が決まらなくて、リックと早く会場に着いていたのに化粧室で何度も直していたのよ」
未だ髪型に納得がいっていない様子のアリアは手袋を取って編み込みに手をやった。
「髪型が決まらないのも不満だけど、リックにも不満があるわ。だって彼は一曲目のダンスを踊ってすぐに帰っちゃったの。どうしても外せない用事があるらしくて……。私のエスコートがまだ残っているのに一人で先に帰ってしまうなんて酷いわ!」
アリアは頬を膨らませてぷりぷりと怒る。
きっと仕事があるというのは嘘だ。これはただの憶測だが、リックはアリアを舞踏会場で待っていて、先程のハリーの発言を聞いてしまった。そしてこれまで自らが流していたエオノラの悪口が嘘だとバレてその場に居づらくなってしまったのだろう。
そんな中、社交界デビューするアリアのダンス役を最後まで務めたことは称賛に値するが、非難の的になるのを恐れて尻尾を巻いて逃げたので、どのみち甲斐性なしといえる。
エオノラは苦々しい表情を浮かべた。
(そういえば、前までは嫌でもリックの姿が頭に浮かんでいたのに、全然そんなことないわ……)
最近頭に浮かぶのはクリスの姿ばかりで、すっかりリックの存在など忘れていた。同時に、リックの呪縛から逃れられたことをエオノラは実感する。
もう苦しめられなくて済むことに感動していると、アリアがふわふわとした羽がついた扇を優雅に開いた。
「ねえそれより――さっきの殿方はだあれ? 私にも紹介して欲しいなあ」
「えっ?」
エオノラは首を傾げた。さっきの殿方というのは一緒に踊った相手のことだろうか。それなら自分の後ろにいるはずだ。
アリアの性格上、初対面の相手でも臆することなく自ら挨拶をするはずなのに。
きょとんとした表情で後ろを振り返ると、先程までいた彼の姿がどこにもなかった。
「あ、あれ? さっきまでここにいたんだけど」
「あの方、名前はなんて言うの? 踊っている時に少しだけ見たんだけど、とっても素敵そうだったわ」
扇越しに、アリアがほうっと溜め息を漏らす。
「ごめんなさい。私も彼が誰なのか分からないの。お兄様と踊るはずだったんだけど、同僚に呼ばれていなくなってしまって。壁際に立っていたらさっきの親切な方がダンスを誘ってくれたのよ」
エオノラが事実をありのまま伝えるとアリアが片眉をぴくりと動かした。
「もしかして、エオノラは私に彼を紹介したくないの?」
「そんなんじゃないわ。仮面舞踏会だから誰かはっきり分からなかっただけ。だけど心当たりはあるから、今度確かめてみようと思うわ」
「本当!? ねえ、分かったら私に紹介してくれない?」
「…………え?」
思わずエオノラは眉を顰めた。
踊ってくれた相手は恐らく未婚の男性だ。婚約者のリックがいるアリアに未婚男性を紹介するなんて常識的に考えても無作法である。
ビジネス上ならまだしも、アリアはホルスト男爵の仕事の手伝いはしていないし、向こうが何のビジネスをしているかも分からない。
正直なところ、紹介する理由が一つも見つからない。
「アリア、踊ってくれたあの人は親切心から私と踊ってくれただけよ。それにあなたの婚約者に未婚の男性を紹介したことが知られたら角が立つわ」
エオノラが戒めるとアリアは灰色の瞳を潤ませてこちらを見つめてきた。
「そんなつもりで言ったんじゃないわ。エオノラと仲の良い人と仲良くなりたいだけなの」
小動物のように身体を縮こませる姿からは、純粋にエオノラの友人と仲良くなりたいという想いが伝わってくる。
自分が変に勘違いしてしまったと、エオノラは小さく息を吐いた。
「分かったわ。だけど向こうの意見もあるからあまり期待しないでね」
もし相手が本当にクリスだった場合、嫌がることは確実。エオノラとてクリスに無理強いなんて絶対にできない。
だからあまり期待はしないでと布石を打っておいたのだがあまり効果はないらしい。アリアはうっとりした表情を浮かべている。
(……本当にただ私の友人と仲良くなりたいだけなのかしら? シュリアを紹介した時は何の興味も示さなかったのに)
彼女の表情から疑念が湧く。
すると丁度、舞踏会場から流れていたオーケストラの演奏が鳴り止んだ。それに続いて数人の男女がぞろぞろとこちらへとやって来る。
どうやら二曲目のダンスが終わって休憩に入ったようだ。
エオノラは我に返ると、仮面を付けながらアリアに言った。
「いけない。お兄様が会場で私を探しているかもしれないから戻らないと」
「……うん、分かった。またね、エオノラ」
エオノラは踵を返して足早に会場内へと戻った。そのせいので、顔を上げたアリアの表情をきちんと見てはいなかった。
「……きちんと、私に彼を紹介してよね? エオノラ……」
アリアが灰色の瞳をギラギラと光らせていることを、エオノラは知らない。
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