第7話 死神屋敷から聞こえる音2


「こんなところに貴族のご令嬢がたった一人で乗り込んできたんです。それも二回も」

 何故か前回侵入したことがバレてしまっている。

 どうしてここに来たかと言えば、それは石の音が聞こえたからであって、決して倒錯的な性的嗜好からではない。

 しかし、きちんと説明すれば魔力持ちだと判断されて魔術院へ連れて行かれるし、死神屋敷に侵入したことだってゼレクに露見してしまう。

 説明したくともうまく言葉が出てこない。


 いつの間にか青年の手が無遠慮に顎を掴んできた。

「あなたは私を見ても恐怖で怯えない。醜い化け物だと叫びもしない。失神もしない。この不可解な状況から、倒錯的な性的嗜好を持つご令嬢と判断するのが妥当だと思うのですが?」

 まったく訳が分からない。

 エオノラが困惑して黙り込んでいると、青年は痺れを切らした。


「もう私が誰なのか、分かりきっているはずですが一応挨拶しておきましょう。私はこの屋敷の主であるクリスフォルス。あの有名なラヴァループス侯爵です」

 クリスフォルス――クリスはエオノラから離れると艶やかで優雅な所作で挨拶をする。

 見とれていたエオノラは一瞬の沈黙を経て、吃驚した。

「……ええっ!?」

 漸くエオノラは彼の今までの発言を理解した。



 ラヴァループス侯爵は醜い顔をしている。もしもそれを好む人間がいて、どうしても侯爵の顔を見たいとすれば?

(さっきから変なことを訊かれると思っていたけど、そういうことだったのね。でも、侯爵の顔は醜いどころか、眉目秀麗だし。杖をつく老人どころか青年だわ)

 さらにもう一つ気づいた点がある。


「そういえば、侯爵様の顔を見た人間は死んでしまうって言われているけど、私はまだ死んでないわ……」

「噂の最後のくだりはただの噂でしかないんです。見た者はあまりの醜さに失神してしまいますけどね」

 皮肉交じりにクリスは腕を組むとこちらを見つめながら顎に手を置いた。


「どうやら、あなたには私の本当の姿が見えているようです」

 本当の姿。つまり、呪いで他人の目には彼の姿が醜く映っているということなのだろう。しかし、エオノラが見る限りクリスは眉目秀麗な青年だ。

「何故あなたは私の本当の姿が見えるのですか?」

「私にもどうして侯爵様の本当の姿が見えているのかさっぱり分かりません」


 エオノラは魔力持ちであるといっても、石の声が聞こえるだけ。それ以外の力は持っておらず、他の体験をすることはこれが初めてだった。

(もしこれで魔術師と判定されて魔術院に連れて行かれたらどうしましょう!?)

 一生を鳥かごのような魔術院で過ごす。考えただけでもお腹の底から恐怖が込み上げてくる。


 不安を抱いたエオノラはクリスの様子を窺った。

 彼は思案顔で聞き取れないくらいの声で何かを呟いている。暫くして視線をエオノラに向けると、別の問題に矛先を向けた。

「ところでエオノラ嬢は何故二度も私の屋敷に侵入したのですか?」

 クリスはエオノラが死神屋敷に足を踏み入れた理由が一番知りたいようだ。

 エオノラは誠意を示すために再度謝罪をした。

「勝手に屋敷に入って申し訳ございません。バラの香りがしたので気になって押しかけてしまいました。バラは早春には咲きませんし、育てるのが難しいと聞いています。ですが、ここではバラが咲いていて、しかもとても美しい庭園で、どうしてももう一度来たくなったんです」

 また呪いに関する話に戻って魔術師の疑いを掛けられては大変なので石の音が気になったことは伏せておいた。


 クリスは尚も胡乱げな表情をしていたがエオノラに庭園を褒められて機嫌を良くしたのか少しだけそれを和らげた。

「そうでしたか。大切に育てた庭園をエオノラ嬢に褒めいただきとても光栄です」

 曰く、バラはこの百年で品種改良が進み、多種多様なバラが生まれた。その中からクリスは交配を進め、早春にも咲くバラを生み出したそうだ。


「この庭園には他で見ることのできないバラがまだたくさんありますよ」

 朗らかに笑うクリスの様子を見て、エオノラもつられて微笑みを浮かべた。

 これなら庭園を見て良いか頼んでも問題なさそうだ。このまま上手くいけば石の音が聞こえる場所までスムーズに移動できるかもしれない。


「多種多様のバラを見るのは初めてですし、本当に見事な庭園です。なのでもっと……」

 いろいろと見て回っても? という問いを投げる前に声を呑んだ。気を良くしたはずのクリスの目はちっとも笑っていなかったのだ。

 目を細めるクリスが氷のように冷たい声で尋ねてくる。


「――本当に理由はそれだけか?」

「ええっと?」

 どう答えることが得策なのか分からず、言葉を詰まらせる。視線を泳がせているとクリスがさらに追究してきた。

「この間と違って今日は正門を閉じていたのに。エオノラ嬢はどうやらネズミのように侵入に長けているらしい」

 いつの間にか丁寧な言葉遣いは消えて、荒々しく棘のあるものに変わっている。

 礼儀を欠いているのはエオノラの方なので、すかさず謝罪した。


「申し訳ございません。令嬢にあるまじき行為だと自覚しています」

 丁寧に謝罪したところで向こうは機嫌を損ねている。頭にはある不安が過った。

(お兄様に苦情が行けばきっと叱られてしまう。それどころか婚約解消と合わせて余計に悲しませることになるかもしれないわ)

 これがもし社交界に知れ渡れば、面白がってあらぬ噂を立てられるに違いない。

 真っ青になったエオノラは途方に暮れてしまった。


 すると、その様子に見かねたクリスが深い溜め息を吐いて側頭部に手を置いた。

「心配するな。誠意をもって謝ってくれているのだから酷いことはしない。ただし、三度目はない」

「もしかして、見逃してくださるんですか?」

 ぱんっと手を合わせるエオノラの口からは、これ幸いと言わんばかりに明るい声が出た。


「……あんた、まあまあ肝が据わっているな」

 呆れた表情を浮かべるクリスは目を眇めてみせる。

「今回は見逃してやるが次はない。それじゃあさっさと出て行ってくれるか。ネズミがうろちょろされると困るんだ」

 クリスは露骨に嫌そうな顔をすると、手でシッシッ、と追い払うような仕草をする。


「で、でも私はまだ……」

 まだ鈴のような音の正体を確認していない。

 今尚、庭園に響く悲しげな助けを求める音。

 一体何が悲しくて音を鳴らしているのか理由を知りたい。

(なんて説明すれば良いのかしら。だけどこの力を打ち明けるわけにもいかないし……)

 俯いて考え込んでいるとクリスに腕を掴まれる。

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