22節 百年の平和の陰に
「……なんだ、貴様は? 妾の楽しみを邪魔するつもりか?」
「ヒっ……いえ、決してそのようなことは! ですが、火急の用がございまして……!」
苛立つ王に怯えながらも、女性は口を閉ざさなかった。それだけ重要な報告なんだろう。
「フン……いいだろう。申してみよ」
「はっ! たった今、物見から報告が上がりまして……――勇者が、間もなくこの城に辿り着くとのことです!」
え……もう来ちゃったの?
「……ほう?」
気分を害していたはずの彼女は、その報告にほんのわずか興味の色を覗かせる。
「如何致しますか? 今ならば、侵入を許す前に配下に迎撃させることも可能ですが……」
「いや、ここまで通してやれ」
「……え? いえ、ですがそれでは――」
「聞こえなかったのか? 妾は「通してやれ」と言ったぞ」
「ヒっ……! も、申し訳ありません! すぐに、そのように致します!」
部下の魔族はそれだけを言い残すと、慌てて玉座の間を出ていった。
「……興が冷めたな」
つまらなそうにミラが呟くと共に、鉤爪と化していた手が元の形に戻り、生えていた羽も尻尾も縮み、やがて消失する。玉座の間を包んでいた圧し潰されそうなほどの魔力も、少しずつ和らいでいく。
「だが、悪くなかった。勇者共との殺し合いより、余程楽しめたな」
「そりゃどうも。わたしはもう勘弁だけどね」
嘆息しながら呟く。一歩間違えれば死ぬような攻防の連続で、もう心身共にクタクタだ。できれば早くどこかで休みたい。
「クク、お前から売ってきたケンカだというのに、つれないな」
「別に、戦いを楽しむ趣味はないからね。今回は必要だと思ったから売ったけど、そうじゃないならなるべく避けたいよ」
「本当に、つれない女だ」
そう言いながらも、ミラは笑っていた。そんなにおかしなことを言っただろうか。まぁいいや。
「それより、リュイスちゃん。ほんとにアルムちゃんたちが来るっていうなら、早くここを離れないと」
「? どうしてですか?」
「だってわたしたち、アルムちゃんたちからしたら、もう死んでるはずの人間なんだよ」
「……あ」
「死んだと思わせて半魔の件をうやむやにしてるから、ここで顔を合わせるのはまずいと思うんだよね」
「でも、普通に城門から出ても結局鉢合わせになってしまうんじゃ……」
二人でどうするか悩んでいるところに、口を挟んできたのはミラだった。
「ふむ。よくは分からぬが、勇者共と顔を合わせるのは避けたいということか。ならば、ルニア」
「はい。そういうことでしたら、アレニエ様、リュイス様」
今まで黙っていたルニアが、壁の一部、(入口に比べれば)小さな扉が備え付けられた箇所を示しながら口を開く。
「こちらの扉から、城門とは別の出入り口に進むことができます。どうぞお役立てくださいませ」
「……じゃあ、ありがたく使わせてもらおうかな。ほら行こ、リュイスちゃん」
「は、はい」
即断即決し、リュイスちゃんを促して扉へ向かおうとするが、その背に向けて――
「アレニエ、リュイス」
引き止めるように、ミラがこちらの名を呼んだ。
「……先刻のケンカで、大分消耗させられた。お前たちの狙い通り、妾は勇者に敗れるだろう。そうなれば、次にこの肉体が目覚めるのは百年先だ」
つまりそれは、わたしたちが会う機会はもう訪れないということに他ならない。
「口惜しい。もはや勇者共との殺し合いでは、先のような充足感は得られまい。いや、勇者だけではない。他の何者であろうと、お前たちの代わりにはなるまいな」
言葉通り悔しげに顔を歪ませる魔王の口調には、ほんの少しの疲れが滲んでいた。
永遠を生き永らえ、けれど城からは出られず、長い眠りから目覚めては、襲い来る勇者と殺し合うだけの日々。わたしたちとのケンカは、そんな退屈な日常に差し込まれた、思いがけない楽しみだったのかもしれない。でも――
「大丈夫。人間は技術を継承して、次に繋げられる生き物だから。わたしたちぐらいの実力の持ち主だって、多分そのうちどこかから現れてくれるよ。それに――」
今まさにこの城に近づいているという、彼女たちの顔を思い浮かべる。
「今の勇者だって捨てたもんじゃない。多分、あなたが思う以上に、あなたを楽しませてくれるはずだよ。なんたってわたしの弟子だしね」
「ほう?」
ミラの視線には、先ほども浮かべたわずかな興味の色が蘇っていた。
「ならば楽しみに待たせてもらうとしよう。期待に外れるものだったなら、お前に責任を取ってもらうがな」
冗談交じりのその言葉に笑顔を返してから、わたしは踵を返す。
「それじゃあね、ミラ。機会があれば、また会うこともあるかもね」
その場合、アルムちゃんたちが返り討ちに遭ってることになるから、あまり歓迎したくない事態なのだけど。
「ああ、また、な」
それを分かってのことか、ミラもそう言葉を返し、わたしたちは別れる。
「それでは、こちらへどうぞ。城の側面に出る直通の通路になっております」
ルニアの先導で扉を潜り、わたしとリュイスちゃんは玉座の間を後にする。
通路は思ったより広く造られていた。わたしたち三人が並んで歩いてもまだ少し余裕があるほどには。
部屋と部屋の隙間を縫って築かれているからか、何度か左右に曲がった末に、出口と思しき扉に出迎えられる。そこで、ルニアがピタリと足を止めた。
「
そう述べた後、彼女はわたしたち二人に向けて、静かに頭を下げた。
「アレニエ様、リュイス様。魔王様を楽しませて下さって、本当にありがとうございました。お二人に出会えたことは、私にとって望外の喜びです。どうか、この先もお二人が健やかに過ごされるよう、お祈り申し上げております」
最後まで仰々しいな、この人。というか、魔族が祈る相手って悪神なんじゃ……まぁいいか。
「わたしも、会えてよかったよ。腰の低い変わり者の魔将がいたこと、多分ずっと憶えてる」
「わ、私も。命令だったとしても、貴女が私を護ってくれたこと、忘れません」
その言葉にルニアは微笑みを浮かべ、改めて頭を下げる。それを尻目に、わたしたちは出口の扉を開け、通路を抜けた。
外に出ると、目の前に一台の馬車が待ち構えていた。行きの際にもここまで運んでくれたデュラハンの馬車だ。もしやと思い、声を掛けてみる。
「乗せてくれるの?」
そう問うと、首の無い御者は手綱を握りながら器用にビっ!と親指を立ててみせる。乗っていいらしい。
ありがたく後ろに乗せてもらい、わたしたちは魔王の居城を足早に離れるのだった。
***
デュラハン馬車に〈無窮の戦場〉まで送ってもらったわたしたちは、戦場の外れ、大きな岩陰の辺りで停めてもらった。街まで乗り入れて誰かに見つかった場合、「魔物が攻めてきた!」と勘違いされそうだったからだ。
「送ってくれてありがとね」
馬車を降り、御者にお礼を告げる。彼(?)は返事の代わりか、再び親指をビっ!と上に立てると、そのまま城に戻っていった。
わたしたちは人類軍のキャンプを目指し、徒歩で移動する。
途中、戦場からはぐれた魔物が襲ってくるのを撃退しながら、なんとか戦に巻き込まれないようにしつつ、無事キャンプに辿り着くことができた。
そこで、アライアンスの街に向かう馬車などないか探していたところ、以前に護衛の依頼を引き受けた商隊のおじさんと再会する。
「おぉ、また会ったな! 君たちも戦に参加していたのかね?」
「えーと……うん。まぁ、そんなとこ」
魔王と戦をしていたわけなので、全くの嘘でもない。
街に帰還するという彼らの馬車に乗せてもらい、わたしたちはアライアンスの街に辿り着いた。〈常在戦場亭〉とは違う宿を取り、二人でここまでの疲れに仕返しするようにぐっすりと眠りにつく。
翌朝。
疲れのせいもあっていつもより遅く起きたわたしの耳に、部屋の外からざわざわと喧騒が聞こえてくる。ベッドから抜け出し、窓を開けて様子を見てみると――
「――朗報、朗報だ! 勇者様が! 勇者様ご一行が魔王を討ち取り、無事に帰還なされたぞー!!」
「「「ワアアアアアア!」」」
おそらく戦場からやって来たと思われる早馬が、魔王討伐の報を
「(そっか……やったんだね、アルムちゃん)」
その歓声を耳にしながら、わたしは一人、心に刺さっていた棘が抜け落ちたような安堵を覚えていた。
とーさんが幼いわたしを助けたことで歯車が狂った、魔王復活の周期。それが、リュイスちゃんの依頼をきっかけに再び動き始め、今ようやく正常に戻ったのだ。
決して表には出ない、勇者の旅の裏側での物語。わたしとリュイスちゃんのこれまでの旅は、確かにここに実を結び、勇者の無事の帰還をもって花開かせた。
世界は救われた。少なくとも魔物との争いに関しては、この先百年の平和が約束される。報せはいずれ世界中を駆け巡り、勇者を讃える声は鳴り止むことがないだろう。その陰で犠牲になった魔王を気に留める者は、誰も……いや。
「(わたし一人ぐらい、あなたのこと考えててもいいよね)」
人類の勝利に沸き立つ街の喧騒を聞き流しながら、わたしは一人、空を眺めた。
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