21節 魔王③
アレニエさんは気づかぬ間に死角から忍び寄り、私と魔王の間を切り裂くように通過。相手の首を斬りつけていた。『気』を込めた斬撃を喰らい、魔王の首があっさりと胴体から離れる。が――
生き物のようにうねる血液が首を捕まえ、時間が巻き戻るかのように胴体と接着。すぐに傷も塞がってしまう。
「ハ――ハハハ! 言葉を交わしてる間に首を刈るとは無粋だな!」
「悪いね。隙があるとつい斬っちゃうタイプなんだ」
「ハハ! そうだな。今は戦の最中だ。隙を見せた妾が悪い。ならばこちらも態度を改めよう。全力をもって相対するためにも、呪文をさらに進めようぞ」
「させな――」
詠唱を阻止すべく近づくアレニエさんを、再び魔王を中心に吹く突風が遠ざける。彼女は難なく着地し、靴底で速度を殺すが、それでも後方に追いやられてしまう。その間に――
「《我が名は『敵意』である!》」
その詠唱と共に、魔王から発される圧力がさらに増す。息苦しいほどの魔力が玉座の間を包み込んでいく。
最初の詠唱は、魔術の王としての力を発揮するものだった。なら、今度の詠唱は……
それに、詠唱が進むにつれて、魔王の魔力が増しているのも気がかりだ。回避しきれない大きな流れが、少しずつ私たちに迫っているような……
考える私の目の前で、魔王は大儀そうに足を踏み出した。
その時、恐ろしいことに気づいてしまった。魔王はここまで、自分からは一歩もあの場を動いていない……!
「――ゆくぞ」
宣言し、魔王がさらに一歩踏み出す。と同時に、その姿が雷光と共にかき消えた。
「――!」
自身を雷と化して移動する、ルニアの魔術だ。私は〈流視〉でその動きの流れを捉え、咄嗟に叫ぶ。
「アレニエさん、前! 上から来ます!」
私の声が終わるか終わらないかのうちに、彼女の目の前に魔王が突然現れ、巨大な戦斧を片手で軽々振り下ろす。アレニエさんは軌跡の外側に跳んで回避するが――
ゴガァ!
轟音を上げ、床に叩きつけられる戦斧。魔王の力にも耐えるという城の建材が破壊され、抉られ、破片が飛び散っていた。
「(さっきより、力が増してる……!?)」
直前の詠唱の効果だろうか。身体能力が増強されているのかもしれない。あんなものを喰らえば、たとえ半魔の身体であろうと、一撃で両断されてしまいかねない。
魔王はさらに二撃、三撃と斧を振るうが、アレニエさんはその全てを避け、あるいは受け流していく。〈剣帝〉直伝の防御の技、『その剣に触れる事叶わず』。
が、次の瞬間――
パリっ――
当たらないことに業を煮やしたのか、魔王が再び雷と化してその場から姿を消す。
すかさず、その動きの流れを右目で追う。あるいはこちらに標的を変えるかもしれないと警戒したが……魔王はアレニエさんの脇を通り過ぎ、背後に回る。そして、先ほどの意趣返しか、彼女の首を刈るために横一閃に斧を振るおうとしている。
「
ろ、と叫ぶ頃には、相手の動きを動物的な勘で察知したアレニエさんが既に振り向き、姿勢を低くして戦斧の一撃をかわし――
「……ふっ!」
即座に、カウンターで一閃。左の肩口から腹部までを、斜めに切り裂く。鮮血が飛び散る。
「――……フ……ハハハ!」
その傷をやはりあっという間に再生させながら、魔王は哄笑する。雷と化して初めに立っていた位置まで戻ると、手にした戦斧を後方に放り投げる。
「敵意で力を増した妾を寄せ付けぬか! ならばさらに次へ進もう! 《――我が名は『悪しき竜』である!》」
ドクン、と魔王の心臓の鼓動が外にまで響く。魔力が血管を通じて全身を駆け巡る。
次第に彼女の両手は肥大化し、鉤爪のように鋭く尖る。背から被膜の翼が生み出され、スカートの裾からは爬虫類を思わせる尻尾も伸びていた。
その姿は、数ある魔物の中でも極めて強力で危険な個体である竜――ドラゴンを想起させた。
そして、姿が変わっていくのと共に、魔王から発される魔力がさらに密度を増す。その圧力だけで潰されそうな錯覚に加え、例の大きな流れがさらに近づいているのを〈流視〉が感じ取っている。これは、気のせいじゃない。私は魔王から目を離さないまま、アレニエさんの元へ駆け寄った。
「アレニエさん」
「リュイスちゃん。……また、厄介そうな姿になられちゃったね」
「それも問題なんですが……さっきから、魔王が詠唱するたびに魔力が膨れ上がっていて、避けられない大きな流れが迫っているように見えるんです……これって……」
「わたしも、なんとなくは感じてるし、ちょっと別件で憶えもある。いや、完全に別件でもないか。多分、神剣と同じなんだよ」
「神剣と……?」
「神剣も、ああやって詠唱を重ねていって、最後にとんでもない力を発揮してた。魔王と神剣は対になってるからね。似たようなことができてもおかしくない」
「……」
そんなことを知っているということは……そんなものを自分の身で浴びたということですか? だからあの時、あそこまでの大怪我を……? 無事で済んだのはよかったけれど……これは後でお説教するべきか。
「最後まで付き合ってたら、そのとんでもない何かをお見舞いされちゃうかもしれない。なら、どうしたらいい?」
「……キリのいいところで逃げます!」
「うん。冒険者らしくなってきたね、リュイスちゃん」
こんな状況だというのに、アレニエさんは嬉しそうに笑う。
「多分、やり合える猶予はあと一、二回ってとこだと思う。それが終わったら全力で逃げよう。てなわけで……いこっか!」
「はい!」
私はアレニエさんと共に駆け出す。最後になるかもしれない攻防へと。
「相談は終わったか? ならば全力をもってかかってくるがいい!」
魔王が言葉と共に口を大きく開けると、口の前に小さな球状の炎が収束していく。一拍空けて――
キュオっ――!
耳慣れない甲高い音を立て、火球から熱線のようなものが直線上を
私たちは左右に散ってそれを回避する。アレニエさんは右、私は左に回り、的を分散させながら接近していく。
その様子を目に捉えながら、魔王は両掌をくるりと上に向けた。肥大化したその指先から五つずつ、合わせて十個。始めにアレニエさんを襲ったのと同じ黒い球体が生み出される。それを、こちらに向けて撃ってくる……のではなく。
黒球はその場で異音を立て、細く、鋭く、緩やかな曲線を描いた形状に変化する。まるで、巨大な爪のような形に。それが――
「ハァっ!」
頭上から、猛烈な勢いで振り下ろされる。
黒爪は魔王の両手と連動しているのか、同じ動きで私たちを襲い、ガリガリと床を抉っていく。が――
アレニエさんは持ち前の勘と敏捷性で、私は〈流視〉の助けを借りて、幾度も振るわれる巨大な黒爪をかわし、魔王へ迫る。どちらを狙うか迷わせるため、互いに大きく回り込んで、左右から挟み撃ちにする。
「《プロテクション……プロテクション……プロテクション!》」
走りながら、唱える。拳大に凝縮した護りの盾を、両手に三枚ずつ纏わせ、足に力を込める。そして魔王まであと数歩というところで……
パリっ――
己の身を雷に変えて、魔王のほうからこちらへ接近してくる!
「――!」
内心では驚きつつも、右目と身体は反応してくれた。前進の勢いを殺し、急停止。続けざまに振るわれる黒爪を後ろに跳んでかわし、即座に一歩前に踏み出し……左拳の盾で、殴りつける!
拳に込められた『気』を乗せて、連なった三枚の盾が撃ち出され、背後の盾に押されさらに射出。振り下ろされた直後の黒爪に連撃を叩き込む。
カシャーンとガラスが割れるような音を立てて、黒爪の一部が砕けた。そこへもう一歩踏み出し、今度は右拳の盾を打ち放つ!
「《――プロテクトバンカー……
ズドドド――!
「ぐぅっ……!?」
零距離で叩き込まれる盾の連撃が、標的を強く打ちつける。しかし竜の姿になって耐久性も上がっているのか、数歩たたらを踏む程度だった。そこへ――
いつの間にか忍び寄っていたアレニエさんが、魔王の背後から黒剣〈ローク〉を突き刺す。
「がっ……!?」
〈クルィーク〉の『魔力の吸収』を先鋭化させた〈ローク〉は、魔王の肉体も抵抗なく喰い裂き、心臓を貫く。その魔力を喰らっていく。が――
「ハ――ハハハ!」
苦痛はあるはず。けれど魔王は哄笑を上げながら鉤爪を振るい、背後のアレニエさんを強引に振り払う。彼女の左手が離れ、吸収が効果を失う。黒剣が魔王の身体から抜け落ちる。
「《プロテクション!》」
その両者の姿を視界に収めながら、私は盾を張り直し、接近する。アレニエさんに気を取られている隙を狙い、踏み込んで右拳を叩き込む。そして、すぐに姿勢を低くする。なぜなら――
「……ふっ!」
直後にアレニエさんが魔王の首を狙って一閃。私の頭上を剣閃が通り過ぎていくからだ。
「ぬ……!?」
これまでと同様、首はすぐに繋がってしまうが、私たちは互いの動きを予測しながら、絶え間なく剣撃と打撃を浴びせ、魔王の命を消耗させていく。
「(分かる……アレニエさんの動きが。〈流視〉があれば……ううん、〈流視〉を通さなくても、全部……!)」
きっと、アレニエさんもそれを感じているはず。彼女との一体感と小さな万能感。戦いの高揚と、これまでの旅で培った経験が、私たちをここまで押し上げ、突き動かしている。その感覚に身を任せながら、私の意識はここに至るまでの旅路を思い返していた。
初めは、逃げるための旅だった。
自身の生に絶望していた私は、閉塞感に満ちた現状から抜け出すために、勇者を救うという善行を最期に残して死ぬつもりでいた。
けれど私は、アレニエさんに救われた。
過去の罪を告白したうえで、私という人間を受け入れてもらえた。傍にいてくれた。
旅を通じて様々なことを教えてもらったし、命を救われたことも一度や二度じゃない。
イフと戦い、アレニエさんが半魔だと知り、初めての口づけを交わした。
アルムさんたちと出会い、暗殺者に襲われ、その先でカーミエを撃退した。
ハイラントでは皇帝の暴走を目の当たりにし、その裏で暗躍するルニアと対峙した。
そしてとうとう、こうして魔王と拳を交えるところまで辿り着いた。
私一人だったら、挑もうなんて思えなかった。考えつきもしなかった。
それは、勇者と本気の決闘をして死にかけるような彼女だから――アレニエさんだからこそ思いつけた方法だったのだろう。
そうやって、いつも無茶をする貴女だから、貴女を助けたいから、私は拳を握る。握ることができる。
今、こうして貴女の隣で戦えることが、こんなにも誇らしい。
「「はっ!」」
私の拳とアレニエさんの蹴り足が、同時に魔王を打つ。彼女は衝撃に後退するが、それでも未だ膝をつく様子もない。
「クク、ハハハ! いいぞ、お前たち! だが、もっとだ! もっと、このケンカを盛り上げようではないか! 《――我が名は――》」
が、そこへ――
「し、失礼します、陛下!」
入口の扉を開け、慌てて入ってきたのは、部下と思しき女性の魔族だった。
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