14節 選んだのは②

「あ……」


 リュイスちゃんの右目に、青い光が灯る。それは水のように、あるいは炎のように揺らめき、顔を覆う手の隙間から光を漏れ出させた。


 彼女の右目に宿る神の加護、〈流視〉。『物事の流れを視認できる』という、河川の女神より与えられし能力。

 その力は、時折こうして彼女の意思を離れ、ひとりでに開くことがあった。その際に見えるものは、人の生涯や、大規模な災害など、個人の手には余る大きな流れだという。


 そして、この目は先刻もひとりでに開き、彼女にある光景を強制的に見せつけたばかりだった。今いるこの国、ハイラント帝国が、魔物と共謀して他国に攻め入るという流れを。


「……」


 彼女はしばらく右目を片手で押さえたまま虚空を見つめていたが……ややあってからその身体から力が抜け、くたりとその場で倒れ込みそうになる。わたしは慌てて彼女を支えた。


「リュイスちゃん……大丈夫?」


「う……はい……もう、平気です」


 そう言って彼女はわたしから身体を離す。が、まだふらふらと上体を揺らがせていた。

 魔将との戦闘で消耗していたところに、さらに〈流視〉によって魔力を使わせられたせいで、心身が疲弊してしまったのだろう。できれば休ませてあげたいのだけど……


「そんなに心配しないでください、アレニエさん。そこまで柔じゃありませんから。今は、それよりも……」 


「分かってる。見えた光景の内容、だね」


「はい」


 彼女は強く頷いてみせる。その視線は思ったよりしっかりしていた。


「ハイラントの戦争の流れに、変化でもあった?」


「いえ。今回見えたのは、勇者さまの――アルムさんたちの、旅の流れでした」


「あ、そっか。わたしたちがルニアを退けたから、未来が変わったんだ」


「はい。き止められていた流れは拓かれ、新たな進路が示されていました。彼女たちはまず、ハイラントを出国します」


「出国できたってことは、今やってる戦争も無事に終わったってことかな」


「そうなると思います。その後、彼女たちは東に向かい、最端の街アライアンスと、〈無窮の戦場〉に立ち寄って……」


「……まさか、戦場直行コース?」


 先代の勇者は、魔物ひしめく戦場を力づくで薙ぎ払いながら、正面から踏破したらしいが。


「いえ、様子を見るだけに留めたようです。あまり長居はせず、街を出た後は山脈沿いに南下して、山越えのルートで魔物の領土に足を踏み入れていました。そして、その先の魔王の居城に――」


「え。もしかして……とうとう、魔王の城まで辿り着くの?」


 リュイスちゃんが、コクリと頷く。


「そっか、いよいよか。……なんだろ。ここまでやってきたことが実を結んだんだと思うと、ちょっと感慨深いなぁ」


「苦労しましたからね……。……ただ――」


 ただ。その前置きに続く言葉は、予想できる気がした。ついさっき懸念を抱いたばかりだ。つまりアルムちゃんたちは……


「……魔王には、勝てなかった?」


 再び、彼女が首肯する。


「そっかー……辿り着いたのはいいけど勝てなかったかー……」


「どうしましょう、アレニエさん……このままじゃ、アルムさんたちが……」


 不安げに尋ねるリュイスちゃんだったが、不意に、何かを思いついたように顔を上げる。


「そうだ、今からでも、私たち――いえ、私はともかく、アレニエさんがアルムさんたちに同行すれば、助けられるんじゃありませんか?」


「え? うーん……でもわたしたち、人数が増えると潜入しづらくなるとか、勇者が死ぬなんて話を公表できないとかって理由で、陰から助けてるんじゃなかったっけ」


「う」


「それに、守護者の地位と報奨って、おこぼれをパルティールの貴族たちが取り合ってるし、国の予算も足りないから、下手に増やせないんじゃなかった?」


「それは……でも、今はそんなことを言ってられる状況じゃありませんし、報奨は辞退すれば……もちろんその場合、アレニエさんの分は総本山から補填を――」


「それはありがたいし、貴族の事情なんて最悪無視すればいいとは思ってるよ。確かにわたしたちが手助けすれば、邪魔する魔物や魔族、あるいは魔将なんかも、撃退できるかもしれない。でも――」


「でも……?」


「結局、最後に魔王に神剣を突き立てるのは、勇者しかできないわけでしょ? なら根本的な問題として、勇者であるアルムちゃんが強くなるしか、道はないと思うんだよ」


「アルムさんが、強くなるしか……」


「今までみたいに、わたしたちが先回りして倒せる相手ならよかったんだけどね」


 わたしの言葉を受けてリュイスちゃんは、先ほどより少し控えめに口を開く。


「だとすると……今からでも合流して、また稽古をつけたり……?」


「そうしてもいいんだけど……最近の魔物の増えかた見てると、あまり時間の猶予はない気がする。それに、わたしが教えられる基礎は大体教えたつもりだから、あとは模擬戦を繰り返すくらいしか思いつかないんだよね。だけど、模擬戦はあくまで模擬戦だから」


「……実戦の経験が、足りないってことですか?」


「稽古でできてたことが実戦でできないっていうのは、リュイスちゃんにも覚えがあるでしょ?」


「それは……はい」


 自身の初陣を思い出しているのかもしれない。彼女は神妙に頷いてみせる。


「実戦の緊張感の中で得られるものって大きいし、稽古だと甘えが出る場合もあるからね。だからほんとは、もう少し魔族とか魔将が襲ってきてたら、アルムちゃんたちの経験になったかもしれないけど……」


「……私たちが、その経験を、奪ってきた……?」


 リュイスちゃんが愕然とした表情を見せる。


「奪わなかったら死んでたんだから、仕方ないとは思うけどね」


 だから今は、勇者が命を落とすという最悪の状況からは逃れられているはずだ。


「というか、アルムちゃんのこの先の旅で、その経験を積めそうな相手は他に出てこないの?」


「どうも、そうみたいです……」


「ルニアは?」


 先刻までこの場にいた雷の魔将を思い浮かべる。彼女は城に帰還したはずなのだから、アルムちゃんたちの前に立ちはだかってもおかしくないのだけど。


「彼女が戦いを挑んでくる様子は、映っていませんでした。アルムさんたちが城に辿り着いてから、ほとんど直通で魔王の元まで通されたみたいで……」


「そう……どういうつもりなんだろうね」


 短い間しか接触できなかったのもあるけど、それを差し引いても掴みづらい性格の魔族だった。彼女がどういう理屈で行動するのか、読めない。


「うーん……そうなるともう、とーさんとやってたアレしかないかな」


「アレ?」


「ほとんど実戦みたいな模擬戦」


「……なんですか、それは」


「言葉通りの内容だけど」


「……具体的には?」


「お互い真剣を使って死ぬ寸前まで模擬戦を繰り返します」


「ダメダメダメダメ!?」


「えー、ダメ?」


「ダメですよ! 下手したら死んじゃうでしょそんなの!」


「手っ取り早く強くはなれるよ? ……生きてれば」


 実際わたしは、それでかなりの実力を身につけられた。もちろん互いに殺さないようには気を付けるが、死がちらつく緊張感は、模擬戦とはいえ大きな糧を与えてくれる。

 まぁ、わたしの場合〈クルィーク〉が怪我を治してくれていたし、教える側のとーさんが加減が分からないしで、自然とこの方法になっていたんだけど。


「強くなる前に死んだら意味ないじゃないですか……魔王の前にアレニエさんが殺す気ですか?」


「でも、他に敵が出てこないなら、もうそれぐらいしか思いつかないし…………ん? んー……ふむ?」


「アレニエさん?」


 敵がいない。山越えルート。〈クルィーク〉。今までみたいに先回り。魔王の前にわたしが殺す。

 バラバラだった欠片のようなものが、頭の中で一つに組み合わさるのを感じる。かすかな興奮を覚えながら、わたしは口を開いた。

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