幕間4 ある勇者と剣の師④

 師匠の左半身は焼けただれ、未だ苦悶の表情を浮かべていたが、徐々にその傷も修復されているようだった。おそらく、しばらくすれば全て癒えてしまうのだろう。


 なら攻めどころは、まだダメージの残っている今しかない。こんなチャンスは二度と来ない。神剣を掲げ、駆け寄る。


「……ふふ」


 師匠が、小さく笑った気がした。勝機を逃さんと迫るぼくを、どこか暖かい表情で迎え入れるように。

 が、それも一瞬のことで……


 次の瞬間にはこれまでと同じ、柔らかく、けれど不敵な笑顔を浮かべ、こちらを迎え撃つ。


「はぁぁあ!」


 ぼくは、ボロボロになった師匠の左手に狙いを定め、神剣を横一文字に一閃する。が……

 剣は、なんの抵抗もなく空を薙いだ。そこに師匠の姿はなかった。目の前で標的を見失ったことに困惑した次の瞬間――


 スパン!


「!?」


 足元に強い衝撃を受け、浮遊感を覚える。視界がぐるりと回る。軽く混乱しながらも、頭の冷静な部分はこの感覚を憶えていた。


 初めて師匠に会った際やられたことと同じだ。こちらが剣を横薙ぎに振るったのに対して、それを下回る低さまで身体を沈み込ませ、地を這うようにしながら強烈な足払いを仕掛ける。それでぼくの身体が、側転するように回転しているんだ。


 そのままこれを甘受すれば、次には平衡感覚を失いながら、地面に投げ出される。その隙を見逃す師匠じゃないだろう。だからぼくは――


「ふん!」


 ぼくは勘だけで地面に神剣を突き刺し、それを軸にバランスを整え、着地した。


「(……成功した……!)」


「あはっ! やるね、アルムちゃン!」


 内心で心臓をバクバクさせながら、続く師匠の剣撃を受け止める。左半身の怪我が痛むだろうに、彼女はやはり笑顔で剣を振るう。


「――……」


 全神経を集中して、師匠と剣を交わし続ける。

 少しでも気を抜けば命を落としかねない緊張感の中、ぼくは一合一合剣を重ね合わせる度に、自分が強くなっていることを実感していた。


 神剣が手に馴染んでいく。実戦の空気に意識が研ぎ澄まされる。

 対峙する師匠の剣を間近で見れば見るほど、感じれば感じるほど、少しでもその理想に近づこうと、身体が限界を超えて動き、力を引き出し続けてくれる。師匠の強さに引きずられていく。


 師匠がどうしてここで戦いを挑んできたのか。なぜ自らを悪人に仕立て上げてまで、ぼくに神剣を使わせようとしていたのか。

 その理由になんとなく、もう少しで、手が届きそうな気がしている。

 そして同時にぼくは、ぼくが剣を握る理由を、ようやく掴めた気がしていた。


 最初は漠然とした思いだった。

 物心つく前に両親を魔物に殺された。だから同じ目に遭う人がこれ以上増えないよう、この手で魔物を討伐できるように、一人で剣の稽古を始めた。


 じいちゃんに読んでもらった絵本で、強くて優しい勇者に憧れた。だから絵本の勇者と同じように、旅をしながら世界中の人を助けたいと思った。


 実際に勇者に選ばれて仲間と出会ってからも、それは形の定まらない夢想に過ぎなかった。地に足がついていなかった。


 けれど、師匠に出会って叩きのめされて、現実を突き付けられた。

 戦で大勢の人と魔物が争い、命を落としていく様を目撃した。

 そして先刻、仲間が殺されかかってようやく、それに強く反発する自分に、気付かされた。


 なんのことはない。ぼくは、目の前で命が失われるのが耐えられないし、それが仲間ならなおのこと許せないというだけの、小さい人間なのだ。


 でも、それでいい。それを地道に繰り返せばいい。仲間の一人も護れない人間に、そのずっと先にある世界なんて護れやしない。

 そして、師匠も……

 そのためにも今は――


「(ぼくの全力で、ぼくの持つ全ての力で、師匠を、超える――!)」


「《――私は『神剣』という名である!》」


 ギィン――!


 改めて名を呼ぶことで存在を強固にし、物質としての強度を上げる。淡い光を纏った神の剣は、襲い来る師匠の剣を正面から弾き返した。


「《――私は『義なる者』という名である!》」


 キィン――!


 再び師匠の剣と打ち合い、弾き返す。

 持ち主の義の心、善思が強いほどその本領を発揮するという神剣は、ぼくの心を認めてくれて、力を貸し与えてくれる。


「《――私は『魔を払う』という名である!》」


 ギャリリ――


 地面から擦り上げるような師匠の剣撃を防ぎ、受け流す。

 先刻も使ったこの名は、魔に類するものに作用する。魔術を払い除け、魔物や魔族には致命的な傷をその身に負わせる、退魔の剣となる。


「《――私は『清浄をもたらす』という名である!》」


 ビシュン――!


 こちらの反撃の剣を、師匠は後退してかわす。

 この名によって、ぼくの身体は常に清浄に保たれ、護られている。またこれは、法術の助けなしに周囲の空間を浄化する力も発揮する。


「《――私は『輝く光輪』という名である!》」


 その名を唱えると共に、ぼくの背に光の輪が灯る。それは仲間の気持ちを背に受け、収束させて、ぼくにさらなる力を届けてくれる。光輪の力に押されるようにして、ぼくは地面を強く蹴り、前方に突進した。


「《――私は『到達する者』という名である!》」


 神剣が持つ最後の、そして根幹の名。この名があるからこそ神剣の刃は、不滅の魔王の命にも一時的に届きうる。

 そしてこの名は、持ち主がその身に秘めた実力を、束の間、限界まで到達させてくれる――!


 ギィィン――!


「っ……!」


 こちらの剣撃が想定以上に鋭かったからか、師匠はうまく受け流せず、勢いに押され後退する。それを見据えながら、ぼくは神剣を肩に担ぐように構え、後ろ足に力を込めた。


「《これらの名が汝に力を与える! これらの名が汝に勝利を与える! 我が名の力と勝利もて、彼らの敵意を破壊せよ!》」


 強く、最後の一歩を踏み出す。その一歩を光輪が後押しし、限界を超えた速さで師匠の元へ到達する。そして最後に、その名を唱えた。


「《神剣・パルヴニール!》」


 剣から光が迸る。師匠の間合いの外から、叫びと共に袈裟懸けに振るう。

 全身に溢れる力と魔力を集約し、剣先にまで伝え、呼吸をする間もなく振るい切る。あの日師匠が見せてくれた、剣の理想。

 その理想の境地に、一瞬だけ手が届く。自分でも手応えがあった。この剣は、師匠といえども防げない――!


 師匠は――


 師匠は一瞬、口元に笑みを浮かべた。そして――防ごうとしなかった。


「(――え……?)」


 ぼくは、反射的に力を抑え込み――


 ザン――!


 けれど、一度溢れ出した力を全ては抑え切れず、師匠の左肩から腹部までを、神剣が纏う光が斬りつけた。人間の部分である腹部には傷一つつかなかったが、魔族化した左半身に甚大な損傷を与える。


「あっ、ぎ、あああぁぁァ!?」


 師匠の口から、絶叫が漏れる。ぶつけた退魔の剣の力が、彼女の魔族の身と反発し合っているのだろう。再生しかかっていた火傷を上から塗り替えるように、神剣の光がその身を焼いていた。


「あ……ぐ……!」


 それらの負傷や疲労が足にきているのか。師匠は苦痛に身をよじりながら、数歩後ずさった。その背後には崖が広がっている。


「く……あ……ふ、ふふ……ほんとに、強くなったね、アルムちゃン……出会った頃は、ここまで腕を上げるなんて、思わなかったなァ……」


「師匠……」


 痛みに耐えながらも、彼女は笑顔を浮かべてみせる。何かを喜ぶように。そして何かを諦めたように。


「……結局、最後までわたしを敵とは見なかったね、アルムちゃン。まぁ、そういう子だから、神剣も力を貸してるのかもしれないネ」


「師匠……! 師匠はやっぱり、最初から正気で……!」


 師匠が使った部分的な魔族化。それはおそらく、師匠本人が元から持っていた力で、誰かに操られていたわけでもなかった。それがどういう意味か分からないほど、ぼくも鈍くはない。けれど……


「なんのこト? わたしは魔物側に寝返って、魔族の力まで受け入れて、まんまと力に溺れて勇者を襲った、悪人だヨ? 正気でできることじゃないし、師匠って呼ばれる資格もないヨ」


 彼女は、あくまでそれを自身の力とは認めない。認めたくない理由があるのだろう。世間知らずのぼくにはなんとなくの想像しかできないけれど、後天的な魔族化に対するアニエスの――神官の反応を見れば、先天的なそれをなおさら隠したい理由は、理解できる。


 そして、なぜそこまでして戦いを強要してきたのか、その理由も、今なら分かる気がしていた。


「……それでも、ぼくの師匠は、師匠だけです。強くなれたのは、誰がなんと言おうと、師匠のおかげなんです。それを、なかったことになんてさせません」


 彼女はぼくの言葉に、再度諦めたような笑みを返す。


「……しょうがない子だなぁ……。……う、けほっ……!」


 わずかに内蔵も傷ついていたのか、師匠が咳と共に血を吐き出す。口元から赤い雫が滴った。


「……そろそろ、限界、かナ」


 呟くと、師匠は右手に握っていた剣を、背後の崖に放り投げた。剣は緩やかに回転しながら、崖下に落ちていく。それを自分から追いかけるように、彼女もまた一歩後ずさる。まさか……!


「それじゃ、わたしはここで消えるヨ。勇者さまに退治された悪役は、舞台から退場しなくちゃいけないからネ。……じゃあね、アルムちゃン」


 それだけを言い残し、彼女は背後の崖に身を躍らせて……


「ダメ……!?」


 神剣を放りだし、反射的に崖に駆け寄ったぼくは、落ちゆく師匠の左腕を――魔族化している黒い腕を、掴み取った。


「アルムちゃン……」


「ダメです……嫌です! こんなところで死ぬなんて! ぼくはまだ、師匠に教わりたいことが、たくさん、あって……!」


 師匠との出会いだって、シエラたちのそれと同じくらい、ぼくには大切なものなんだ。こんなところで失いたくない!


 神剣を全力で解放した反動か、身体を疲労感が襲っている。それでもぼくの腕力なら、師匠一人を引き上げるぐらいは……!


「バカ! 何してんだ! お前まで落っこちちまうぞ!」


「ごめん! でも手伝って! このままお別れなんて、ぼくは嫌だ!」


 後ろから支えてくれるエカルに顔を向け、助力を願うが、その瞬間……


「……本当に、しょうがない子だなぁ、アルムちゃんは」


 下から聞こえたその呟きと共に。

 師匠が、掴まれていた左手を振り払う。


「あっ……!?」


 師匠の姿が、遠ざかっていく。その顔は、最後まで、笑顔で。


「師匠おおおおぉぉぉ――!」


 ぼくは、エカルやシエラに身体を押さえつけられながら、叫ぶことしかできなかった。

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